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もともと地上に道はない。歩く人が・・

もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ


 行けども行けども、はてしない道が続く・・・
「嫌になっちゃうなあ」と、時々思う・・・
「誰か代わってくれないかなあ!」と投げ出したくなる・・・

でも、楽しい時だってある・・・
「嬉しいなぁ、もっとがんばなろう」と、時々思う・・・
「好きで選んだわけじゃないけど、やってきて良かったなあ」と時に思う

先日、今井道子さんの「私の履歴書」をよんだ。
この人は、本当に「山が好き」なんだと思う。
「何もすき好んで・・・」というセリフは、この女性には通じない。
好きなんだ」これでいいんじゃないか・・・と、思う。

東日本大震災。13年前。3,11に、慶應義塾大学藤沢キャンパスにいた。
「地震だ!逃げろ!!」
地震速報も入らない。私は、グランドに繋がる階段に座って、ひたすら情報を集めた。三々五々人が逃げてきた。が、何もわからない。
困惑したが、主催イベントに参加していた高校生らの安全を最優先にした。
自宅に帰れない。次々と、すごい情報が入ってきた・・・。

そしていま、能登の地震・・・何が起こるかわからない。
何があっても、前向きに生きていかなくてはならない。それが人間だ・・・

最近、鳥山明さんが亡くなったという。
私は「ドラゴンボール」が好きだから、毎週「ジャンプ」が出るのを楽しみにしていた。
悟空が、次々と登場する難敵に向かっていく姿にドキドキした。
まさにゲーミフィケーション(gamification)である。
難敵に楽しみながら「挑戦」していく姿が好きだった。
悟空の「いっちょ、やってみっか!」という姿勢で、受験にも挑戦するべきだ、と他のコーナーでも書いた

強い相手を欲して「自分が強くなることへの探究」を止めない。
「ワクワクが押し寄せてくる・・・夢中になれることが、いつか君を、すげーやつにするんだ」という悟空の姿勢が、新しく「地上に道をつくる」のだ

「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」

むかし、私は仕事で中国の紹興に行った。
現在のように、観光化される前の「汚い旧い街」である。
魯迅の作品にでてくる「居酒屋」で飲んでいる市井の人の周りには
食い散らかした「ひまわりの種」が地面いっぱいに散乱していた。
昔の中国の原風景があった。(ひまわりの種は中国人の好物。)

魯迅の『故郷』の最後の文章は、むかし、中3生が使用するほとんどの教科書に掲載されていた。現在のことは知らない・・・。

今更、魯迅について解説しようと思わないが、仙台に医学を学ぶために来日したが、「祖国を改革しよう」と目的を変えて作家になった人だ。
『阿Q正伝』『狂人日記』などを読んだ人も多いだろう。
 
『故郷』の文章には、魯迅の「未来に対する願い」が込められている。
次の世代に対する「祈り」といってもいい。願いは激しく重い・・・。
魯迅自身の「新中国への願いや祈り」が込められているからである。

新しい世界で、新しい可能性を求めて、「道ができるまで頑張れ」と書いてある。これは、現在の世界情勢・日本の混迷からの脱出に通じる。
 
舞台は「紹興」。紹興酒という銘酒の産地である。
紹興では女の子が誕生すると、それを祝って米で造った酒を「甕・かめ」にねかせ、その娘が結婚する時に甕から出して「祝い酒」として振る舞う風習があったという。こんな風習を知っている人さえ少なくなっただろう。

未成年には早すぎるけど、紹興酒は、日本酒と同じく「カンをつけてのむ」数少ない酒である。だから、温めて飲みながら、いろいろと考えて楽しむのもいい。また、15年以上の常温もおいしい。贅沢だが・・・。

寧波は、遣唐使や留学生の入り口だった

寧波(にんぽう)は港町である。
古くから日本からの<遣唐使や留学生>が中国大陸に上陸する港だった。
日本に「新しい仏教」を広めた空海の上陸記録にあるように、日本との交流は寧波が窓口だった。

私は、静岡県と中国浙江省の友好提携事業のために浙江省に行く途中だった。
 
寧波から3時間ほど、汽車に揺られてみる田園風景は、古く汚い列車であることを忘れさせるほど、広く大らかだった。

さだまさしさんの「長江」という作品がアップされたのは後日でした。
彼は、撮影の許可を得るためと、過剰の経費のために、膨大な借金をしたとうわさされた。苦労したと聞く・・・。
 
私は魯迅の孫の周令飛さんと親しくなった。
東京・神田神保町にある内山書店(魯迅をバックアップした書店として有名特に上海の内山完造さん)に中国の仕事に関連して支援を受けたので知り合いになったのだった。

まだ若かった彼は中国人民政府から派遣されてテレビ局に研修に来ていた。その後、いろいろな恋愛ドラマがあり、週刊誌で取り上げられたこともあった。
周さんはいま、上海で活躍していると伝え聞いているけれど、その後のことは知らない。人生のつながりはこうして広がるものだ・・・・

あれから何年が経過したであろうか?

私より若い人の人生は多様です。挫けてはいけません。
前のめりに生きていさえすれば、多様な変化についていくことができます。人生を楽しむことさえできます。

「一歩前に」進んだのをきっかけにして、是非、前のめりに何事にも取り組んでほしいです。可能性は、自力で拓くのです。
 
そしていま、私自身は、自分が歩いてきた道は、果たして道になっただろうか。私が求めてきたものは、誰の、何の役に立ったのだろうかと、自問自答しています。一生懸命に努力してきたけれど・・・。

私には、まだまだ「自分がやるべきこと」、「やり残していること」が沢山あることに気づきます。
「凛として生きる先輩の姿」が目の前にいらっしゃるからです。
先輩は96歳の現役です。ヨボヨボなんてしていません。卓球大会に出場し、絵画を描き、写真展を開き、篆刻作品を作り、謡曲を唸っています。
 
自宅の居間に知人の著名な書家に書いてもらった
「もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という額が飾ってあります。

どんな方向を選んだとしても、私たちは「歩みを止めないこと」が道を創造するのだと信じています。
 


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