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コロナ出産、産後編

こんばんは。
さてさて出産後のことについて書きますね。
コロナ出産、産後編になります。

赤ちゃんと離れ離れに

約45分でスピード出産した私。
赤ちゃんとは透明のビニール越しに
おめでとうございます〜!
と、対面を果たし、会うことはできずに赤ちゃんとはサヨナラ。

私は胎盤を出して、
少し会陰の裂傷があったため、縫合。
そして後陣痛と戦い、PCR結果待ち。

そして部屋へ戻る。

赤ちゃんとはバイバイし、
私は部屋で再び軟禁生活です。
ちなみに看護師さんの出入りはビニールの防護服。
脱いだ服は部屋内のドアの前のゴミ箱に捨てられます。
1日目からスタートし、ごみの回収はなく、
クリーニングも無しです。
私のウイルスが何かに付着して、広がるのを防ぐためのようです。
出産後は家族と早速電話。
その後コロナの流行期であったため、
早めにベッドを開けなければ次なる患者が
待っています。
ベッド数確保のために空けたい病院側は、
4日で退院プランを提示してきたした。

早く退院してほしい病院

なんと、驚いたのは私と赤ちゃんをその後も隔離してくれと言うこと。
そのときは、濃厚接触者として隔離期間が7日間であったため、私はホテル療養し、新生児は子育てができる人は預けろというもの。
衝撃でした、、、、。
高齢の親戚や友人知人、誰でも構わないような感じでとにかく預けられそうな人をピックアップし、連絡を取ってくれと言われました。

弟家族に頼もうと思ったのですが、なんと同時期にコロナに罹患しておりました。
市の母子相談窓口へ相談しましたが、良い案がなく、結局元々の産婦人科へ頼もうということになりました。

しかし産婦人科へ誰が赤ちゃんを運ぶのかと言う問題が浮上してきました。
濃厚接触者である私、母は運べません。
父はちょうど県外出張でした。
親戚でも頼めず…
早く退院してほしい姿勢を崩さない病院。
保健所からも電話があり事情を話しましたが、
保健所は隔離期間さえ守ってもらえれば良い、
と言うスタンス。
とにかく濃厚接触者にさえならなければ一緒に退院しても良いと言う回答。
保健所や病院と、皆意見がバラバラでした。

病気が見つかる

しかし、ここでなんと病院側から赤ちゃんだけ3日間の入院延長が可能となりました。


娘に病気が発覚しました。

心室中隔欠損症 という病気でした。

心臓に穴が発見されました。

幸いにも塞がりやすい場所であったので、
経過観察ということになりましたが、赤ちゃんだけ3日延長されました。

私はその間、先に退院し、実家へ身を寄せていました。

自分の家には陽性者の旦那と娘がいるため帰れません。
(旦那も逃げられず、後日陽性となりました。そのため、家に帰れる日が更に延びました)

長女が悲しむため、
ばぁばの家に私が身を寄せているのは内緒でしたので、FaceTime中は背景が見えないようにするのに必死でした。笑

そして3日後に私は再び病院へ行き、
次女を迎えに行きました。
ここで、ようやく次女を抱くことができました。

長かったです。

まさかのミルク育児


ちなみに、3日目から搾乳したものを届けてもらうことになっておりました。
2日目がガチガチで早く出したかったのに、
看護師さんに忘れられていました…

タオルで冷やしたり、YouTubeでほぐす方法を
検索しながら、詰まらないようにしていました。
3日目から搾乳機をいただきましたが、
搾乳機が壊れており、4日目の午後に壊れていることが判明。
最初は、私がうまく絞れていないだけと思われていた…
壊れているんじゃないかと疑い出してから、
YouTubeで動画を見ながら手で縛ったりしていました。
YouTubeの動画様様でした。
文明の利器!!

そして、退院。

そしてようやく退院日にお迎え。

そこから元々の産婦人科にて授乳、沐浴指導など
久々の乳児を育てるために勉強のため入院。

長女の隔離解除日までお世話になりました。

退院日、一足先に隔離解除になった長女と
ばぁばがお迎えに来てくれました。

初めてこんなに離れ離れになって
ようやく会えました。
パパと2人、よく頑張っていたね、と涙。

そして初対面の次女に大興奮でした。

コロナの症状は、
発熱、咳、腹痛、下痢でした。
1番咳と腹痛がおさまらず、
お腹は家から出れない、ママに会えないストレスがあったのかなぁと。
咳は後遺症なのか、なかなか消えませんでした。

無事に良くなってきて、隔離解除になって良かったです。

主人の方が喉の痛みと微熱程度でしたが、
慣れない家事と料理と子どものお世話で
大変だったようです。

主人を残したまま、一足先に里帰り。

次女は最後2週間後にようやく主人と会えました。

ちなみに元々の産婦人科へ入院中からチャレンジしていた母乳ですが、先述の通り、搾乳も上手くできず、ずっと哺乳瓶で飲むことに慣れてしまっていたため、母乳を受け付けてもらえませんでした。
心臓に負担がかかるからか、
哺乳力が弱く、60ml飲むのに30分以上かかり
途中で寝てしまうことも多々。
本当に心配でした。
隔離生活が長く母乳を軌道に乗せることもできなかったため、生後3ヶ月頃まで頑張っていた混合育児でしたが、ほぼ完ミになりました。。。

こればかりは仕方がないですね、、、。

ちなみに…結局私は退院まで陰性のままでした。
部屋から一歩も出れなかったことは辛かったです。
高層ビルの上の方で窓はなく、
外の空気を吸いたくて窓を開けたいくらいでした
(開かないタイプ)
そして、ゴミも私が濃厚接触者だからゴミ処理してもらえないんですよね?と婦長さんのあいさつの際に聞いたら、感染対策専門家との会議で清掃が入れることになったようで、生ゴミと汚物は出してもらえました。
防護服のビニールだけは最後までそのままでした。
洗濯機も頼めば洗ってくださることとなり、良かったです。
タオルかが足りなくて大変でした。



さてさて。
ここでようやく一区切り、ですね。
最終的には主人も無事に隔離が明け
全員揃うことができました。
良かったです。

今後は何を綴って行こうかな〜というところです。

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