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古本屋になりたい:44「エルマーのぼうけん」

 幼稚園や小学校の秋の遠足は、たいていみかん狩りだった。
 子どもの足で歩いていける距離に、みかん山がいくつもある。みかん山はみかん農家の果樹園であり、観光農園を兼ねているところもある。

 思い返すと、幼稚園に上がる前から、家族や、他の市から遊びに来たいとこたちや、近所の同年代の子どもたちと、何度もみかん狩りに行っていた。
 みかん山は傾斜のきついところが多いから、はしゃぎ回ると危ない。こけて、ケガをするかもしれない。
 どんくさいわたしは自分のことが心配だったし、元気でいつも跳ね回っている妹はともかく、泣き虫の弟が転んで転がって、どこまでも転がっていくところを想像して怖くなったりした。

 幼稚園のとき、先生が「おおきなおおきなおいも」を読んでくれたそのあと、向かいにある小学校の運動場をまわり込んで何段か下がったところの芋畑で、さつまいも掘りをした。
 もしかしたらおおきなおおきなおいもがほれるかもしれない。
 土にまみれていっしょうけんめい(一所懸命という言葉はまだ知らない)芋を掘り、ふと立ち上がって振り返ったとき、後ろの山が全部みかん山だと気づいた。
 一面のだいだい色、と言うと少し大げさだが、緑の地にだいだい色の水玉もよう、くらいに見えた。背中の側の小学校を除いて、目に映る景色の全てがみかん山だった。
 いつもは車で行くところだったみかん山が、こんなに近いとは知らなかった。
 小学校の裏が全部みかん山だとは。
 歩いていけるところにある山が全部みかん山だとは。

 もう少し大きくなってみると、みかん山は本当にあちこちにあって、家族でよく行っていたのは小学校の裏のみかん山ではなく、もう少し車で山の方へ走ったところにあるみかん山だと分かった。
 地元のみかんは小ぶりで、皮が薄く実にピタッとくっついている。むこうとすると皮が小さくちぎれて、面倒くさい。そして、甘味が濃いが、酸味も強い。
 少し離れたところに住む祖母やいとこの家でみかんをご馳走になることがあったが、そういうときに食べるみかんはちょっと違った。皮が実から少し浮いてふかふかしていて、むきやすい。白い筋もほろほろとすぐ取れる。しかし、味が薄くて、酸っぱくない代わりにあまり甘くもないのだった。皮の色も、緑だったり、黄色でも少し色が薄いように見えた。
 スーパーマーケットやデパートで買うみかんはどうやら、こういう味らしい。
 酸っぱいのは好かれないらしい。むきやすい方が好かれるらしい。
 しかし、このみかんでは5個も10個も食べられないだろう。

 エルマーとともだちになるりゅうは、みかん、正確にはみかんの皮が好きだったはずだと思い出して、20年ほど前にアニメ映画化されたときに出たポケット版「エルマーのぼうけん」を読み返した。

 語り手のお父さん・エルマーが子どものころ、猫にやさしくしたことからはじまった冒険を描いた、三部作の一作目だ。
 エルマーは、りゅうを助けに見知らぬ島にやってくる。はじめに到着したのがみかん島。そして、苦難の末にたどり着くのがどうぶつ島。
 みかん島に生えているみかんの木から、エルマーはリュックサックがいっぱいになるまでみかんをとる。その数31個。
 エルマーはみかんを8個食べ、しばらくしてもう3つ食べ、あと12ほど食べたいと思うが我慢する。
 皮をそこら辺に捨てて敵に見つかってしまってからは、みかんを3つ食べたあと、皮を長靴の中にしまって痕跡を残さないようにする。
 数字が具体的なところが子どもがおもしろがるポイントなのかな、とか、そうそう、みかんの皮が後から効いてくるんよね、などと思いながら読み進めていたら、違う点が気になって来た。

 なんだかエルマーの冒険の一つ一つが、古事記のエピソードに似ているのだ。
 エルマーは、追いかけてくる猛獣をリュックサックに入れて持ってきた道具で翻弄して時間を作り、相手がそれに夢中になっている間に逃げる。その様子が黄泉の国から逃げるイザナギみたいだなと思って読み進めると、スサノヲ対オオナムチ(オオクニヌシ)を彷彿とさせるエピソードが出てくる。

 ゴリラのノミをとるために、リュックから取り出した6つの虫眼鏡をノミ取り役の6頭の猿にあげ、その隙に逃げる。
 たてがみが枝に絡んでイライラしているライオンに、リュックに入れて来たブラシとリボンでたてがみを整えてあげ、自分でやってみたくなったライオンが夢中になっている隙に逃げる。
 黄ばんだツノが気に入らないサイに、リュックから歯ブラシと歯磨き粉を出して磨いてやり、これまた自分でやってみたくなったサイがツノ磨きに専念しているうちに逃げる。
 身づくろいに関連したことで足止めを食い、お助けアイテムで隙を作るのは、髪のシラミを取ってくれとオオナムチがスサノヲに頼まれたときを思い起こさせる。

 みかん島からどうぶつ島に渡るために、ワニたちにぼうつきキャンディをあげると言って油断させ、次のワニがキャンディを舐めやすいようにとワニの尾にキャンディを結びつけ、ワニを数珠繋ぎにして橋を作り、対岸に渡って逃げる。
 これは、因幡のシロウサギのエピソードによく似ている。サメではなく、そのままワニだけれど。

 リュックにお助けアイテムが入っているのは、最初にやさしくした猫が色々教えてくれて準備したからだ。
 このあたりも、オオナムチがシロウサギやスセリヒメに助けられて意地悪な兄たちやスサノヲを攻略する様に似ている。
 いや、こういうエピソードは古今東西、むかし話によくある。因果話のセオリーみたいなものだ。
 古事記と関係があるに違いない!と思い込んだら間違った方向に行ってしまいそうな気がするので、ごくあっさりと、作者は、文学として古事記を読んだことがあるかもしれないなと想像するにとどめておく。

 「エルマーのぼうけん」のなかに、エルマーがみかんの実を食べ、りゅうはみかんの皮を食べるシーンがあると思っていた。しかしなかなか出てこない、というか、かなり終盤にならないとりゅうも出てこない。
 2作目の「エルマーとりゅう」の初めの方だったかもしれない。
 りゅうは皮だけでいいのか、そうか申し訳ないな、助かるけど、ほんとに皮だけでいいのかな、たまには中身もくれるのを待っているのかも、と自分がりゅうと仲良くなった場合を想定して逡巡した。「ビスケット一枚あったら ジョリーとぼくとで半分こ」というアニメ主題歌が思い浮かんだ。それはそれで、犬はビスケットなんか食べたいかな、と疑問ではあったけれど。
 みかんの皮が好き、ってどんなニュアンスで描かれていたっけな。
 かわいそうではなかったのか。たぶんそうだろう。
 思い出せない。

 みかん島は原作ではorange islandなのだが、エルマーが一度に3個も8個も食べたのは、皮が手でむけるテーブルオレンジ(温州みかん)なのだろうか。そうでないとなかなか8個も食べられない。
 たくさん食べて賢くて機転が効くエルマーは、少年のようでずっと大人だったりして、オオナムチやスサノヲみたいに、とまた想像してみたりする。

 最近のスーパーマーケットの売り場では、どの果物にもほとんどと言って良いほど糖度の表記がある。みかんもずっと甘くなり、酸っぱくなくなった。
 みかん山のみかんは、道の駅などで買うことが多くなったが、さらに甘くなり、やはり酸味は控えめになった。
 小さい方が甘い、と母は好んで小ぶりなものを買う。わたしにもどんどんくれる。
 直径4、5センチ以下の本当に小さなものは、一度に一袋全部むいて、ゼラチンで固めてゼリーにする。仕事のように熱心に、全部むいてしまう。食べるたびに一つむいて、ポイと一口でなくなってしまうのでは、むく手間と釣り合わないような気がするからだ。

 果物はあれもこれも甘く濃くなってしまったけれど、夏の終わりに出回る青いみかんには、心許ないような、ほとんど爽やかさを食べるためのような、淡い甘さがまだ残っている。
 果物の季節の先ぶれのようなこの味も、今では物足りなさよりも、昔の記憶が蘇って懐かしさが上回る。これはこの先もこのままであってほしいと思う。

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