人間史は塩野七生に学べ

人間史は塩野七生に学べ
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」260/通算691 2024(令和6)年1/9/火】7日の朝方に見た夢は良かった。20代の頃から憧れていた才色兼備のSさんと結ばれた夢である。伊豆半島の旅館に入ったら、出自が地元の裕福な網元の娘さんだったSさん(編集者)が女将さんをしており、お互いにびっくり仰天。で、焼け木杭に火・・・その様子を見て怪しんだ旦那の目を盗んで・・・スリルも満点、一盗二婢三妾四妓五妻はまさにその通りだった(老化で空砲だったけれど)。このところ経年劣化の腰痛で体調が芳しくないが、「もう思い残すことはない!」という気分に浸った。

ところがちょっと元気になると“雀百まで踊り忘れず”多動爺の血が騒ぎ、多摩川の水辺に休憩所を作り始めた。まったく「浜の真砂は尽きるとも、いたずら爺の種は尽きまじ」。
その先では近所の町内会の老若男女が「お焚き上げ=どんど焼き」で参集していたが、神主様による儀式が長いし風が強くてとても寒いので風邪がぶり返さないよう「良き一年」を祈って大急ぎで撤収した。夕食は七草粥。能登半島地震と羽田空港衝突事故で始まった今年の正月は1月7日で終わったが、何やら波乱万丈の一年になりそうな気配だ。

産経2024/1/8「能登半島北部 数千年間隔で同規模地震 1万年で3回隆起」から。
<1日に発生したマグニチュード(M)7・6の能登半島地震と同等の規模の大地震が、能登半島北部周辺では数千年間隔で繰り返し発生していた可能性があることが、産業技術総合研究所の分析で分かった。約1万年前から現在までに、地殻変動で3回隆起していた能登半島北部の日本海沿岸が、今回も同様に隆起していたことから判明した。

産総研地質調査総合センターの宍倉正展・国内連携グループ長(古地震学)らが、令和2年に学術誌に発表した地形調査結果によると、能登半島北部沿岸一帯では、過去約1万年間に少なくとも3回、段丘を形成するような大きな地殻変動があった。大地震によって隆起したものとみられる。段丘の高さは場所によって異なるが、もっとも古い最初の地震で形成された段丘は標高約5~7メートル、2回目は同4~5メートル、3回目は同2~4メートルの位置に分布していた。

一方、今回の能登半島地震を暫定的に解析した国土地理院の地殻変動データによると、石川県輪島市西部で最大4メートルの隆起がみられるなど、特に能登半島北側で大きな変動があった。宍倉氏らの地形調査結果と照らし合わせたところ、今回大きく隆起していた場所は、調査地点で最も高い標高7.2メートルの段丘が確認された同市の吉浦地区など、過去に活発に隆起していた場所とほぼ一致していた。

宍倉氏は「沿岸一帯の段丘の年代ははっきりしていないが、仮に全体が同時に隆起したと考えれば、今回の地震は数千年スケールの発生間隔で起きたのかもしれない」と話している>(以上)

「1万年で3回隆起」・・・そのために耐震性の優れた建物にしろというのはかなり無理筋のよう。物事には「重要事項と優先事項」があるから、まずは喫緊の課題から取り組むのが良識だ。今の日本にとって「喫緊の課題」は中露北による侵略を撃退することである。

「和」の精神、多彩な神々への信仰、様々な宗教行事への敬意、勇武の伝統、自然との調和、天職への敬意と熱意、穏やかな国民性・・・こうした「日本らしさ」を必死に守っていかないと21世紀中に日本は確実に背骨を失い、三島由紀夫の言う「空っぽの国」になってしまいそうで、小生はとても心配している。「日本らしさ」がなくなってしまえば、1500年ほどの歴史をもつ日本はただの「極東の小さな島の少数民族、絶滅危惧種」でしかない。それでいいのか? いいわけない!

ここ1か月ほど塩野七生先生の「ローマから日本が見える」を読んでいる。古代ローマは紀元前753年の建国から当時の世界の覇者としておよそ1000年も続いた。先生曰く「歴史に親しむ歳月を送っていてつくづく考えるのは、民族は興隆した後に必ず衰退を迎えるものであるということ。興隆と衰退の間に長い安定期を享受できた民族は、実にまれにしか存在しなかった」。
これという天然資源のない日本はより良き世界、より良きインド・太平洋を実現しなければ衰退は免れない。要は、持続可能な平和のために戦うべき時は戦うという根性、決意、戦力、戦略が必要だということ。古代ローマには学ぶべきことが多く、「民主制は、民主主義者を自認する人々によって壊される」(「誰が国家を殺すのか」)なんて箴言である。米欧日は大丈夫か?

先生は2021年夏に転んで足を骨折したが、昨秋の文化勲章受章訪日でも完治せずに杖を曳いていた。1937年7月7日生まれの86歳だから仕方がないが・・・数年前から終活を始めたようで信者としてはちょっとさみしい。近況を拾ってみた。

FNNプライムオンライン2023/11/3「『にこっとして勲章を落としてしまった』文化勲章親授式 作家の塩野七生さんは陛下と長年の親交 ローマ遺跡の思い出」から。
<文化の日の11月3日、皇居で文化勲章の親授式が行われ、作家の塩野七生さんなど受章者7人に天皇陛下から勲章が授与された。
親授式は、宮殿・松の間で行われ、陛下は7人の受章者に「おめでとうございます」と声をかけ一人一人に勲章を手渡し、杖を手にしていた塩野さんが勲章を床に落とすハプニングも陛下は穏やかな笑顔で見守られた。
イタリア在住の塩野さんは、水問題の研究をライフワークとする陛下と長年親交があり、皇太子時代に古代ローマの水道に関する遺跡を案内したこともある。
記者会見で塩野さんは、「にこっとしてつい気が緩み、落っことしてしまった」と明かし、「髪の毛がさすがに白くなられたなと思いました」と陛下との久々の対面を振り返った>

asahi.com「好書好日」2023/12/5「塩野七生さん、文化勲章の喜び語る 『自分の世界から飛び出す好奇心・勇気がある。それが私の読者』」から。
<「ローマ人の物語」など半世紀以上にわたり地中海世界を書き続けた作家の塩野七生さん(86)に今月、文化勲章が贈られた。皇居での親授式にあわせてローマから帰国し、出版社で取材に応じた塩野さんは「私はどの組織にも団体にも属していないんです。だから頂けるとは思っていなかった。もしかしたら選考委員のなかに一人ぐらい、私の本を読んでくれた人がいたためかな、と思っています」と喜びを語った。
ローマ帝国興亡の歴史を描く代表作「ローマ人の物語」は韓国語や中国語、英語にも翻訳され、累計発行部数が1800万部に達するベストセラーとなった。幼少期から「本を読んでるか、ピアノを弾いてるか、それとも空想してるかだった」と塩野さん。空想のなかでは「自分が透明人間になって、行きたいところに行く。そういうところに私は、私の書いたものを通じて読者を連れて行きたいと思っていた」と話す。
「ただ、人間というのは自分が住み慣れた世界で生きるのがいちばん楽なんです」とも。「だから、私の本を読んでいる時間だけにしろ、自分の世界から飛び出していく。そういう人には、まず好奇心がある。それから、飛び出すための勇気もある。性別も年齢も、社会的な地位も関係ない。これが、私の読者です」と誇らしげに語った。
最後の歴史長編と銘打った「ギリシア人の物語」の文庫版4冊が今秋、出そろったばかり。最終巻では紀元前4世紀の東方遠征で知られる若き英雄アレクサンドロス大王を取り上げ、単行本は2017年に完結していた。「日本では年を取った作家が年を取った人間を書くと評判がいいの。ついに枯淡の域に達した、とかね。そういうのは腹が立つから、いちばん若い男を書いた」と笑顔を見せた。
現在も、日本の歴史を題材にコラムを執筆しているが、長編は本当にもう書かないのだろうか。そう水を向けると、「私はいま短期間に緊張することはできますが、それを1年間続けるには、これはもう体力なんですよ」ときっぱり。さらに、この一言がふるっていた。「だいたいあなた、いつまでも生涯現役なんて、エレガントではないじゃないですか」(山崎聡)=朝日新聞2023/11/29掲載>

山陽新聞dijital 2023/11/10「『ガザ解決のため「国家が介入を』文化勲章の塩野七生さんが会見」では――
<ローマ在住の作家塩野七生さん(86)が10日、東京都内で文化勲章を受けての記者会見を開き、パレスチナ自治区ガザの情勢について「弾を撃ち合い、憎しみが堆積している当事者間だけで解決するのは難しい。外部の国家が介入すべきだ」と語った。
さらに「平和のためには軍事力が必要。勝ち負けが付いた後に、勝った方が譲ることが重要だ」とも述べた。塩野さんは「ローマ人の物語」をはじめとした歴史巨編を多数発表。地中海世界を舞台に、キリスト教徒とイスラム教徒の衝突や共生についても描いてきた。
文化勲章の所感を尋ねると「選考委員の誰かが私の本を読んでくれていたのかもしれませんね」とほほ笑んだ>(以上)

塩野七生先生の父親は「詩人・小学校教師の塩野筍三(1905年 - 1984年)で、神田神保町の古本屋から軒並み借金をするほどの読書好きであった」という(WIKI)。「アスネタ」というサイトに筍三氏の「隧道」(子供社/1931年)という以下の詩があった。
<隧道は貫通だぞォ・・・おゝこの地獄の底で俺達は生きてきた 日の目を見ずに掘ってゐた坑! がんと大空をぶつたぎつた大山脈を その心臓を貫いてゆく隧道工事 ハッパと諸共に血みどろになつた兄弟の屍を超えて 俺達工夫は遮二無二ぶつかつてゐつたのだ>

1931(昭和6)年の作品・・・ということはレーニンらによるロシア革命で日本のインテリが共産主義に傾倒していった「大正デモクラシー」の影響が続いている時代である。「アスネタ」曰く「『隧道』は労働の過酷さを描いた、いわばプロレタリア文学的な詩で、筍三氏は左派寄りの思想の持ち主だったことがうかがえます。実際、その思想ゆえに教員の職を追われたそうです。しかしその文才は、確実に娘(七生)に受け継がれたと言えるでしょう」。

ロシア旧暦で1917年7月3~7日はロシア革命の「7月蜂起」で知られる。筍三氏は「七生」の名にプロレタリア革命祈願を埋め込んだのではないか。「旺盛な知的好奇心」というDNAを七生氏は引き継いでいるものの、時流に流されたような父親を「ダメンズ」と突き放したのか、良い印象を持っていないようである。
彼女の論稿は「流行に流されるな、常識を疑え、騙されるな、自分で調べろ」といつも言っているよう。小生にはとても刺激的に見える。
前置きが長くなった。次回から彼女の著作「ローマから日本が見える」を紹介する。
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