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都会の絵の具には染まれない

いざ

晴れて大学生になれた。
大都会へ引っ越した。
母とは変わらず、冷戦状態だったが
入学式には母も兄も来た。険悪でも過保護。

今まで勉強に追われ続けたから、その分大学は最低限の努力で卒業したいと思っていた。

そして家庭科の先生になるという学校選びの決め手は、早々に崩れることになる。
就職口があんまりなくない?と気がついてしまったのである。
笑う、この無謀さ。
でもとにかく恋人と上京できたので、どうでも良くなってしまった。

趣味は恋人、状態。この先小さい大学の中で、こじんまりと過ごすことになる。

(書いてて本当に恥ずかしいし馬鹿みたいだ。)

◆おやおや、?


恋人は超ソクバッキーであった。
大きく開いたトップスや短いボトムス等、肌を出すことは禁止。ダサい服を着ろ。異性の連絡先は当然削除。サークル選びでは男女混合のものはチラシを全て捨てられた。そういうものか、仕方ないか、と思っていた。


私は全ての余暇を捧げ、物理的に異性との交流を全て絶っていた。
だが一方恋人は、異性との交流があるのである。私に求めることを自分はしないのだ。
自分は共学出身だもの、とダブルスタンダードを当然のように使った。
私以外はジャガイモにしか見えないよ、とよく言っていたが、今思えばそんなことは関係がない。

ある日花火大会があり、せっかくなので浴衣を着て行った。喜ぶかな、可愛いと言ってくれるかな、とどきどきしながら会った彼は「俺普通に私服なんだけど」と言ってきた。

まあここまで読んで気づかない人はいないだろう。

当時は分かっていなかったが、この人はモラハラ気質だった。精神的DVだったかもしれない。そういえば、依存し合うのが恋人だと言っていた。とても怖い人だ。


胸がズキっとする感覚は、漫画や本の世界だけではなく、本当にある。効果音も聞こえるくらいの「ズキっ」である。
付き合っていて、その回数は非常に多かった。心臓が痛い、でも当時それを相談する人はいなかった。2人の問題を他人に話すなんてナンセンスだ、と言われていたから。

何で見抜けなかったんだろう。可哀想扱いされている時点で。
なぜ女子大とのインカレに入る彼の言うことを聞いてしまったんだろう。
彼が夜バイト先の女の先輩に困りごとで会ったのを非難した私は悪かったのか。
私は全て禁止されていたのに。

嫌なエピソードをもう一つ。
恋人は私を試す行動も多かったと思う。誕生日プレゼントがユニクロのトートバッグだったこと、私は一生忘れない。「値段じゃないでしょ?」と言ったその顔を。
学生だもの、親からもらったお小遣いで、そうなるのは仕方がないのもわかる。だがその後に発する言葉が本質を表している。
そんなふうに言われたら何も言えないし、悲しむことは悪だと、自分の心が汚れているのだと思わされる。

依存

親とも仲が悪い、友達も減った私には恋人しかいなかった。
生活の中心だった。
同じ人としか話さない生活は、精神衛生に悪い。考え方が偏る。
この人がいないとだめだ、となるのは不健康で不健全だ。

今思えばおそらく病んでいた。
大学のそばに住んでいたのに、ベッドから起き上がれずに行けないことも何回もあった。

脱却

相変わらず学校というものは好きじゃなかったので、アルバイトに勤しむようになる。
と、いっても体力も気力もないのでバイト戦士ではないが。
チェーンのカフェ店員になった。

お客さんには顔を覚えてもらい、同年代のバイト仲間達ができ、恋人以外の会話相手ができた。世界が開けた。

バイト先のお姉さん達が遊んでくれるようになった。夜遅くまでファミレスで話したり、スーパー銭湯でダラダラしてみたり、今までしてこなかった『友達っぽい遊び』がとてつもなく楽しかった。年相応の悩みを相談し合う、気が合う仲間。

大事なもの第一位は、こちらになった。

予定の優先順位を下げられた恋人はキレた。怖かった。でも、もう私の依存心は薄れていたので、切ることにした。
お金も貸していたし、少し別れるのに手こずったが、無事に1人になることができた。

◆殻を破る

自分改革をしよう。
別れる少し前から苦手克服に奔走するようになる。
天才ではなかった私は、いけてない布に身を包み、おどおどと数年過ごしていたため、必要以上に自信をなくしていた。

カフェでの接客も、もっと元気に!明るく!と言われることが多かったので、思い切って一変させた。

中高で学んだのにできなくなっていたニコニコ処世術が戻ってきた。

人前で話すことが極端に苦手で、安定剤を飲まないとミーティングで発言することさえもできなかったが、隔週プレゼンの授業をとった。最初はワナワナしていたが、次第にハキハキ話せるようになった。

「いやだな〜」という気持ちを無くすことはできなかったし今も好きではないが、「やればできる」状態には持ってこれたと思う。偉い!

当時の自分の言葉 20歳
21歳

一年で、前向きレベルが大きく変わっている。
いい過ごし方をしていたと思う。


痛みを知ると、痛みの想像ができるようになる。躓いた経験があると、躓く人の気持ちがわかる。
傷ついた分だけ他人に優しくなれる、というのは本当だと思う。

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