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ネガティブ思考がダメなわけではない。

ポジティブ思考が正しいわけでもない

どっちも持っていてこそ
ヒトだと思うんだよね。
両面を持っていてこそ個性に深みが出るんじゃないか?とも
思います。

ネガティブがダメなわけでもなければ
ポジティブが正しいわけでもない。
ただじっとしているよりは
動いたほうが変化は速いのは事実です。

そしてネガティブなときってなかなか行動に移せない
スピード感もありません。
だけど長い人生、そういう時期もあるんだよなって思っています。
動けない時は
動けない「わたし」を責めるんじゃなくて
動けない「わたし」と向き合いましょ。
動けないんじゃなくて
動かないんです(笑)

私自身の体験でいうと
この時期に得ることも多いです。
ただ動けない「わたし」を責めていると
気付けないかもしれません。
(責めるのも悪いんではなくて、しんどいし辛いから
出来たらやめてほしいです。
ネガティブな時期ってどんな事も
「わたし」を責める材料にしてしまいがちなので
そういう材料は少なければ少ないほどいいんです。
全肯定!どんな「わたし」も受けとめてO.K!です。)

動かない「わたし」とむきあうことで
動かない「わたし」を責めない【だれか】と出会えます。
新しい人かもしれないし、前から一緒にいる人かもしれません。
もしかしたら人ではないかもしれません。
例えば情報だったり、本だったり、ペット的なものかもしれない。
私の場合はごくごく身近な人でした。
意外と受け入れられてるもんなんだなぁ・・・と
思ったし、許されている「わたし」を発見できたことは
大きな出来事でしたね。
「わたし」が構築している世界
「わたし」が解釈をしている世界の中では
本当に「わたし」次第なんです。
気付いていなかっただけで
私は「わたし」が気付くより以前から
周りの人に受け入れられていたのかもしれません。
だけど「わたし」が私は誰からも受け入れられていない
という解釈の世界に存在していたために
受け入れられている世界を認知できていなかった・・・。
ややこしいけど、そういう事なんだなぁと思います。

「わたし」を許さない人の筆頭は
「わたし」であることも
私が「わたし」と向きあう中で知った事でした。
「わたし」って辛辣
常に私を見張っていて、責め続けていました。
私がそういう「わたし」を発見することだけで
事態は収束に向かいます。
ただやめればいいだけですから。
責めない、見張らない
そうしてきたことも
そういう部分がある事も
認めて許す
そうしなくても生きていけること
確認する。
そして今までしてこなくて
したかったことをする

したかったことをする!決断をすると
自然とポジティブ思考になっています。
ネガティブにしている暇がなくなる(笑)
ネガティブ思考とポジティブ思考って
同時に発動できないんじゃないかな?
多分ね。
だから頭の中で激しく切り替わっている気がします。
頭の中がポジティブなときにはネガティブ思考が入り込めないし
逆の時もそう。
したい事をどうやって実現しよう?と思考しているときって
ネガティブ思考が発動できない
したいけどしたくないという
モヤモヤしたことを考えているときって
無意識にネガティブ思考になっていて
実現できない理由探しをしているんだよね。

「わたし」の中に両方ある
ネガティブ思考とポジティブ思考。
それぞれに両方持っていて
発動する時間がどっちの方が多いか?だけの違いだと思う。

この情報を知って
どう活用するか?は「わたし」次第。
無意識に発動している思考を
ほんの少しでも意識的に
お好みの思考を発動してみたら
「あなた(わたし)」の世界はどう変化すると思いますか?




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