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『マインドセルフピーリング』をし通して自己成長を促すプログラムの提供者。 『マインドセ…

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『マインドセルフピーリング』をし通して自己成長を促すプログラムの提供者。 『マインドセルフピーリング』とは日常生活でたまった心のおりやごみを取り除き、心の本来の輝きや健康を取り戻すための革新的なメソッドです。本気で変わりたいと願っている方とつながれることを心から願っています。

最近の記事

自身とともに

「わたし」と共にいる当たり前なんだけど どこに行く時にも私は「わたし」と共にいます。 だから「わたし」が変わらないと 場所を変えても同じような困った事に出会います。 同じような人間関係や環境に悩むのです。 それは外的な環境を変化させても 内的要因である「わたし」が同じだからです。 これはねぇ 逃げても逃げても追いかけてくるんですよね。 「わたし」から離れることはできないから。 そういう意味では 「わたし」を変えるしかないんです。 どう変えますか? 外的環境に合わせて変える?

    • 手放したら、新しいものが入ってくる

      めいっぱい持っている状態では・・・もう何も持てません。 当たり前すぎる現実です。 「今」満ち足りていて何も困っていない人には当てはまらないんですけど なんだか調子が良くない。 すぐ疲れる どうしたら好転するのか?わからない なぜかいつもうまくいかない 充足感がない 不満な事が多い そんな状態の時って めちゃくちゃ色んなものを所持しています。 それは物質的なモノも含めて 余分な思考もたくさん持っています。 現状とはちがう「わたし」と出会いたければ 何かを手放さないと始まり

      • 大丈夫であることに慣れる

        通常をランクアップさせていく通常、日常、当たり前のことを引き上げていく。 今に不満があるなら 少しでもその不満を充足に変えていく。 1歩前に踏み出して その場を日常にしていく。 例えば・・・ 自由に使えるお小遣い月1万円を 2万円に引き上げてみる。 それで1か月過ごしてみて 大丈夫なら・・・きっと大丈夫です。 2万円を通常にしてしまいます。 そしてそれに慣れたら 3万円にしてみます。 そうやって少しずつ「わたし」の日常を ランクアップさせていきます。 お金のことだけではな

        • 日々実験

          やってみないとわからない断捨離ね。 今は日常的にやっているけど 結婚して、子育てしながら引っ越しを3度した。 その間に夫からモノの処分を促されるたびに いらッ!としてた。 夫自身は動かずに 自分のモノを処分しようともしていないのに 私のモノと子どものモノを処分しろ!と迫ってくる感じが 本当に嫌だった。 したければまず自分からしろよ!って思ってた(笑) だけど 意地を張ってしないでいたら どんどんモノがたまっていくんだよね。 そしたらどうなるか? 部屋がモノに支配されていく。

        自身とともに

          そのまんまの「わたし」で

          そのまんまでいいついつい補正してしまう。 見栄えの良いわたしを演出してしまう。 それが余分。 余分なものをピーリングしていく。 どんどんはがしていって 「わたしそのもの」を探しだす。 どんどん研ぎ澄ましていく。 余分なもの・・・ 美しく飾っているつもりのものを 脱ぎ捨てていく感じ。 重ね着すればするほど 重くて動きが遅くなる。 逆に身につけているものが少なければ少ないほど 軽くて楽になる。 少しずつ身につけるものを増やしてきているから 今の重みに気付けていないかも。

          そのまんまの「わたし」で

          アクセルを踏んでるのに・・

          ブレーキも同時に踏んでいませんか?これってしんどいんですよね。 はい、そうです。 やっていました。 これ結構しんどいんですよね。 気持ちは前に進みたいんです。 めっちゃアクセルを踏み込みたいんです。 だけど ブレーキも踏んじゃってる。 怖いから💦 進みたいけど 同時に怖くて 止めてる。 綱引きをしているような状態ですよね。 行きたい気持ちと踏みとどまりたい気持ちが 同時に存在している。 しかも意識的には前に進もうとしているのにも 関わらず無意識にそれを止めてる。 当たり

          アクセルを踏んでるのに・・

          『わたし』をあきらめないで

          私が『わたし』をあきらめないでストレスに押しつぶされて 思い通りになにひとつ進まなくて 何も手に入れられていない・・・と絶望して どう進んでいいのか?わからなくなってしまう・・・ そんなときにでも 決して「わたし」をあきらめないでほしいんです。 もう何もかも放り出したいときや 嫌だ!っていう思いが沸き上がってきて 止まりそうにない時も、あきらめないで。 私自身も上記のような気分になっていて 終わりの見えないトンネルの中で 方向感覚すらなくなってきて 前に進んでるのか ぐるぐ

          『わたし』をあきらめないで

          ネガティブ思考がダメなわけではない。

          ポジティブ思考が正しいわけでもないどっちも持っていてこその ヒトだと思うんだよね。 両面を持っていてこそ個性に深みが出るんじゃないか?とも 思います。 ネガティブがダメなわけでもなければ ポジティブが正しいわけでもない。 ただじっとしているよりは 動いたほうが変化は速いのは事実です。 そしてネガティブなときってなかなか行動に移せないし スピード感もありません。 だけど長い人生、そういう時期もあるんだよなって思っています。 動けない時は 動けない「わたし」を責めるんじゃなく

          ネガティブ思考がダメなわけではない。

          人と比較・・・しちゃいますよね・・・

          わたしと誰かを比べて得られる情報って?他者と比較することで何を得ようとしているのか? 優位性? 遅れを取っていないかの確認? 何だろう? 目がさ 外に向かってついているからさ 私は「わたし」を見ることが出来ないわけよ。 他者をみる事で「わたし」を確認することは ある意味仕方ない事だと思うんですね。 比較したことで落ち込んじゃうとか 心が落ち着かなくなる・・・モヤモヤするのは ちょっとしんどいですよね。 だれとも比較せずに生きていくことも 不可能な話ではあるんですよね。

          人と比較・・・しちゃいますよね・・・

          ながら作業をやめる

          つい最近まで 私自身もしていました。 『ながら作業』 スマホで音楽を聴きながら・・・ オーディオブックを聞きながら・・・ 動画を見ながら・・・ テレビを見ながら・・・ 本を読みながら・・・などなど それはそれは昔からのクセでもあるので 40年以上前からしてるかも? スマホやタブレットの普及で 『ながら作業』がめちゃくちゃしやすくなってるんですよね。 何か理由があってしているというよりも 暇つぶし的な感覚でしていたように思います。 やめてみて初めてわかるんですけど

          ながら作業をやめる

          変化しないものはない

          あらゆるものは変化する大きな視点の話になりますが この世のあらゆるものは変化し続けているんですよね。 様々な価値観もそう。 恰幅の良い・・・なんて表現があるように 少し太っているのは、ある意味豊かさの象徴だったりもしたんです。 男らしさ、女らしさがもてはやされた時代もあったわけだしね。 体罰が愛情の1つの表れだと思われていた時代も・・・。 男女差別 人種差別 貧富の差 見かけの美醜 ファッションの変遷などなど 大きな時代の流れもそうだし 新しいものは古くなるし 形あるものはい

          変化しないものはない

          持っておきたいもの

          所有欲求の変化「わたし」と向き合うようになって 常に「わたし」が望むこと、どんな環境にいることが好きなんだろう? と考えているようになると、欲しいものに変化が現れます。 「わたし」がすきなもの、持っておきたいもの・・・と考えると 絞られていくんですね。 それまでの、なんとなく欲しいものって 他の人の目線を意識して選んでいた気がします。 流行もの、みんなが持っているから・・・ 逆にみんなが持っていないから・・・を理由に選んでいたように思います。 「わたし」を主体にすることで

          持っておきたいもの

          日常の中のちょっとした不安を手放す

          足りないかも?という不安を手放す足りないかも? ストック切れてたかも? そういう不安から スーパーマーケットによく行っていました。 当たり前だけど行けば行くほど モノが増えていきます。 ついでに購入しちゃうものもあるから・・・。 そしてお金だって飛んで行っちゃう。 それもいつの間にか飛んでいく感じ。 それはちょっと悲しい。 どうせ使うならもっと楽しんで使いたい(⋈◍>◡<◍)。✧♡ したい事、行きたいところ、欲しいもの 以前の苦しんでた頃の私には こういうのがなかったんで

          日常の中のちょっとした不安を手放す

          「わたし」は何を望んでいるのか?

          「わたし」を意識するできるだけ多くの時間で 「わたし」を意識してみてください。 意識していないと 自動で時間が過ぎ去ってしまいます。 どうしてか? それは意識しなくてもできることが増えているからです。 子どもの頃は意識しないとできない事が多かったはずです。 服を着替える時もきっと今よりずっと意識的にしないと うまく着脱することが出来なかったはずです。 今は何も意識しなくても服を着脱できますよね。 自動化していると、日常が楽ちんです。 気分は重くても、そこさえ気にしなければ

          「わたし」は何を望んでいるのか?

          『もったいない』を手放す

          もったいない、もったいない祖母も母も 「もったいない」という言葉をよく口にします。 「もったいない」悪い言葉でも、悪い概念でもないです。 そしてそこが問題でもあります。 もったいないと言ってしまいこんだり 惜しみなく使うべきものなのに 使えなかったりしていませんか? 母と祖母も プレゼントをしまい込む癖があります。 今はきれいな色やデザインのふきんを良く見ますよね。 日常的に目にするものが美しいと気分が晴れます。 なので母にプレゼントしたんですけど なかなか使ってくれませ

          『もったいない』を手放す

          目の前のモノを動かせるのは「わたし」

          してくれないと悲しむ前に・・・モノは勝手に動きません。 人も「わたし」の思うようには動きません。 「してくれない・・・」とただ悲しむより 動きましょう。 『動けーーーー!』と念じている時間がもったいないです。(笑) やっちゃいましょう。 スッキリします。 どうしても誰かにしてほしいなら 「気付いて――――!」と念じるよりも 言葉で伝えましょう。 そうした方がその願いが叶うの早いよ。 当たり前やん。 そう当たり前です。( ̄ー ̄)ニヤリ 念力でモノや人を動かすよりもずっと現実

          目の前のモノを動かせるのは「わたし」