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元鬱病、かける言葉を考える

大学生の頃、よく頑張り屋だと言われた。
本人は特にそんな自覚がないので、言われる度に何か言葉だけが空回ってるように感じていた。「そんな言葉を掛けて傍観してないで、あんたも死に物狂いで生きてみろよ」とさえ思っていた。

手紙やらLINEやらで「頑張り屋の君はすごい。自分にはできない。尊敬する。」旨が綴られた最後には必ず「体には気をつけてね」で締められた。これが未だに妙なのだ。なんか、キモい。なぜか、腑に落ちない。

散々に褒め称えた割に、文末では体を祈ることしかしない他人行儀な肩透かし感か?全員に健康を祈られてうんざりしたのか?本当に健康を祈りたいなら、サプリでもプロテインでもいれてくれたらいいのにその本心が見えない不信感か?あんたは儂のおかんちゃうねんから、踏み込んでくるなよという反抗的な心が芽生えるのか?こちとら必死にやってるのに、頑張ってない奴が偉そうに注意なぞしてきて、志に水を差される気がしたのか?

ふと言語化するといろんな要因がありそうではある。

いま振り替えると、やはり自分は頑張っている方だったんだろうと思う。だったら、反発的な心を持つ頑張り屋の大学生に今ならなんと声をかけられるだろうか。

とりあえず長文の無責任な言葉より、一発のアマギフを送るだろう。かつ、頑張ってる人間に「頑張ってね」なんてご法度だ。難しい。

「多分今は意味わからんと思うんやけど、引き際が大事やで。知らんけど」と添えるだろう。

いや、これでもアドバイスめいてうざいか。うーん、難しい。頑張り屋贈る言葉の最適解を探す旅路は続きそうだ。

明日も自分に優しくできますように。

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