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元鬱病、学歴はボディービルだと思う

「私は"一応"東大出てます」
TVでも現実の会話でもなんでもいいが、どこかで聞いたことがあるフレーズだと思う。

私も"一応"東大を出ている。この"一応"を付ける現象に関して、高校生までは「なんか一流の人間が敢えてへりくだることで庶民からの好感度を上げようとしてて小賢しいな」と小賢しく思っていた。しかし、いざ当の本人になるとワンクッション起きたい気持ちがとてもよくわかる。

なぜなら、東京大学は私を誇っていないからだ。東大側が自慢するほどでもない人間に東大の名前を振りかざす権利など無いのだ。私は学生の頃、東大が、いや、世界が誇る人間に何人か出会った。あまりにもこの世に必要な方々なので、たらたら生きている私の寿命を分配できるシステムがあれば、1、2年寄付した方が世界貢献なのでは?とすら本気で思った。そんな人たちと人生で一度でも交差してしまったため、"一応"をつけねば居心地が悪いのだ。

"一応"をつけなくても胸を張っていただきたい方々の異常とも言えるひたむきさにドン引きし、IQが離れすぎてついていけない議論を必死にメモして少しずつGoogle検索をかけることにより時差が生じつつも発言の意図を理解し、自分の時間と体力を削った研究をぼろかす&建設的に批判してもらい、364日否定されても1年で1日だけ「この考察は面白い」と言ってもらえる日があって、それだけのために研究をできると確信できて。そんな目に見えない経験が私の誇りなのだ。漢字4文字なんかではなく。

ボディービルをやったことはないが、大会前は水抜き・塩抜きなどでものすごく自分を追い込むと聞いた。大学受験もそんなものだろう。入試前に追い込んで、学歴をgetするわけだ。しかし、現在がボディービル大会前のバキバキの体かと言えばそんなわけもない。過去のバキバキの体(学歴)を今の時間軸で誉められても「はぁ、そんなこともありましたね」と贅肉だらけの体で頭をかくだけである。

ボディービルを貶してるわけではない。あの体を作るには相当の努力がいる。受験勉強も大変だった。しかし、かと言って、ボディービルの優勝者がオリンピックで優勝できるかというとそうではなくて。目に見える筋肉(学歴)だけではなくて、人にはもっと持久力とか忍耐とか志とか色んな物差しがあって、後者を見ていこうぜと思うのである。

だから、大学で話を広げるのは、近所の旨い飯屋を知っている時だけにしよう。ちなみに、私が思う"良い大学"を出た人に対してかける言葉として腑に落ちるのは「良い学びがあったのでしょうね」である。それはあるし、あることに関して誇りもある。

そんなことを思った初夏であった。え?早くね?春をもっと満喫したかったのにもう夏じゃない??

明日も自分に優しくできますように。

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