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今更ながら観た!映画「スラムダンク(THE FIRST SLAM DANK)」の感想

 あれは、3年前のことでした。
 ひょんなことから「スラムダンク読んでみっか〜」となり、初めてスラムダンクを読みました。
 もちろん、名作であることは存じ上げているし、江ノ島に行った際には「ここが、例のスラムダンクの……!」となるぐらいのニワカっぷりではあったのですが、よくよく知っているつもりでした。

 しかし、それは本当につもりでした。
 実際に読んだところ、ものすごく笑ってしまった。まさかこんなにギャグバスケだったなんて……! と違う衝撃を受けながらも、安西先生の名台詞に感涙。
 そんな私は、なぜか主人公である桜木花道にハマってしまった。今までの傾向から言えば、流川である。なのにそんな彼を差し置いて、なぜ桜木花道!? と思いつつ(失礼)、今でも推している。

 桜木花道をなぜ推しているかも、映画「スラムダンク」を観たことで判明しました。
 けれど、まずは映画の感想から述べたい!

 映画「スラムダンク」は、宮城リョータが主人公の話です。
 彼が沖縄生まれであることは、苗字から想像できてましたが、まさかこんなに……こんなに泣くなんて! マスクがびちゃびちゃになりました。化粧も落ちた! 嗚咽も漏れそうになり、必死で声を殺したよ。

 ここから先は、考察混じりの感想です。ご容赦ください。

 まず宮城家は、リョータもですが、リョータ母も沖縄(正しくは、沖縄で亡くなった家族)に囚われたまま日々を過ごしている。何よりこれが、私の胸を抉りました。
 沖縄のように透き通った海ではないのに、湘南の浜辺と海のシーンがよく出てくるのがつらくて……。

 あの2人は、潮風の匂いと沖縄を重ねていたのです。海を見つめていた2人の目には、沖縄が映っていたに違いない。
 沖縄を出たら忘れられると思っていたリョータの母親は、沖縄を出たことで、さらに息子の死に囚われることとなる。
 リョータ自身は、沖縄を出たくなかった。だからこそ、彼は孤独感を深めてしまった。
 そもそもあんな境遇に置かれた彼が、明るく振る舞えるわけがないのです。
 彼の特徴でもある、腫れぼったい瞼に三白眼。その目付きと暗くトゲトゲした雰囲気のせいで、周りを寄せ付けない人間になってしまった。そんな彼の拠り所は、バスケだけ。そんなバスケですら、死んだ兄のことを連想させてしまう。
 
 そして、あのバイク事故のシーン。トンネルの向こうには、一面に沖縄のさとうきび畑が広がり、遥か先には海が見える。
 意識が回復してすぐに、母親に「沖縄が見えた」と言ったリョータは怒られてしまうけど、私はあのシーンは涙なしには見られなかったです。
 だってさ、生死の境目をさまよった時に見るのが「沖縄の景色」だよ?
 それは彼が、沖縄を天国のようだと位置づけていることに他ならないわけで、沖縄から抜け出せていない何よりの証拠にも思えて、涙が止まりませんでした。
 
 あれで吹っ切れたのか、本当に沖縄に行くことになったリョータ。近所のおばあちゃんらしき人が彼に「あら、リョーちゃん!」と声を掛けるシーンが好きです。
 あの暖かい眼差しも声も、湘南ではありえないし、懐かしかったのでしょう。だからリョータも、子どもの頭を乱暴にも優しく撫でた。あれ、めっちゃ良かったなぁ。
 兄との隠れ家(ガマ)で見つけたバスケ雑誌の表紙に書いてあった「(山王)に勝つ!」の文字に、私は注目しました。あの字、上手すぎない?
 リョータが母上様に書いた手紙の字の粗雑な感じからは、想像できない綺麗さ。でも、リョータのあの男の子っぽい字が好き。

 山王戦後、母親に赤いリストバンドを返し、その後のプロ入りした後のリョータは、手首に何も付けていませんでした。あれ、すっごい重要なところだと思っています。
 何故かと言うと、リョータと兄の物語が終わったことを意味しているような気がして……。
 山王戦までは、誕生日が同じ兄弟の二人三脚だった。ただし、兄の夢はそこで終わっているのです。もう叶ってしまったし、今後、兄が夢を思い描くことはできない。
 でも、あえて捨てられた手紙の言葉を引用させていただくと、「生き残った」リョータには、リョータの人生がまだまだ待っている。だから彼は、山王戦で兄との二人三脚を終え、リョータだけの物語始めたんだと思って号泣しました。
 
 リョータの母親も、色んなことが受け入れられない中で、リョータを責めたりするんだけども、親の心子知らずとはこのことだな、と。死んだ兄だけじゃなく、リョータ自身も愛している母親の愛情を、リョータが気づいてくれていたらいいなぁと思いました。
 広島まで山王戦を観に行ったのに、何も観なかったかのように振る舞う母親に、リョータを想う深い愛情を感じました。
 子の名前を呼ぼうとリョータの母親が声を上げるシーンで、母親ではなく、彩子の声が響き渡るのがいい。あれは、母親の手を離れてしまったような気がして、切なさも感じました。
 でも、お母さんも安心したはずなんです。寂しくもあるけど、嬉しくもあったはず。
 兄のことを引きずって、幼少期に仮面を被っていたリョータが大舞台で活躍している。これを喜ばない母親ではないのは、一目瞭然だからです。
 いつの日か沖縄の家で、誰よりも先に母親の元へ寄り添ったはずの兄の横を通り過ぎたリョータ。彼が喪服の母親を抱きしめるところで、先陣を切ってた兄が泣いていたことも知るあの場面も、涙なしでは見れません。兄を超えたというよりも、兄の先に行くようになって初めて知る苦悩。それらを丸ごと受け止めた宮城リョータの成長ストーリーでもあったわけです。

 映画「スラムダンク」は、宮城リョータに焦点を当てた話だったのですが、私の推しでもある桜木花道も忘れてもらっては困ります。
 安西先生が「楽しかった」と花道に打ち明けたシーン。原作で読んでた時は、そこまで深く捉えていなかったんです。
 でも初めて、あのシーンを声と動きで見せられた時に「あれ?」と思ってしまいました。
 もしかしたら、安西先生は知っていたのかもしれません。花道が無理をして、選手生命を絶つような大怪我を負うことを……。深読みし過ぎなのかもしれませんが、なんというか、あの声や表情に、何もかもを見通してしまう先見の明を感じ取ってしまった。だからつらくなって、泣いてしまいました。

 花道は、本当に楽しい男なんですよ。悪役だってへっちゃら! ムードメーカーで、本当にTHE主人公で、天才で、バカだからこそ愛される。
 そんな花道の指導者である安西先生は、それなりに歳を重ねています。歳を重ねると、感動が薄れる。
 そんな中で、輝く原石のような桜木花道を見つけたことは、数々の栄光や挫折を味わった安西先生の人生に、新しい彩りを与えたのでしょう。ど素人なのに天才的に技術を吸収する花道に、楽しさと危うさを感じたはずです。
 桜木花道のポテンシャルは未知数であり、私が推してしまう最大の要因は、そこにあると思います。私は登場人物全員が好きであり、でも、花道に重きを置いている。きっと安西先生も、箱推しでもあり、花道推しなんです。先生から漂う雰囲気に、自分が花道を推している理由を見出してしまいました。
 
 私がスラムダンクを観に行った目的は、安西先生の顎をたぷたぷする花道を見たかったからなんです。なのに、あんなに泣かされるなんて!
 本当に、何もかもかっこよかった。演出もだけど、製作者全員の魂を叩きつけられた心地です。試合中はのめり込みすぎて、タイムアウトになった際に「うーん!」と唸ってしまいました。映画館なのに。うるさいよ!
 でも、それぐらい良かった。本当にアレを観ないのは、もったいない!
 んで、原作忘れてしまっている自分にも喝を入れます。田岡監督も見たいし♡

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