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ゲゲゲの鬼太郎 アニメ6期の闇

白黒テレビ時代からおよそ10年に一度の割合で、ゲゲゲの鬼太郎はアニメ化されております。
最近の6期は、かなり異色でした。鬼太郎はどことなく人間嫌いな印象でしたし、潔癖なほどのヒーローでもなかった。どこか突き放した感が、闇を感じてよかった。

猫娘もなんだかアダルトでした。

21世紀の世相。人間の心の闇などを浮き彫りとしている。それだけに善良な人間と悪辣な人間の対比も歴代より際立っており、妖怪と関わったり怒らせたりした悪人たちには、個々に因果応報的な報いを受ける場面がある。鬼太郎も反省したり悔い改めようとしない身勝手で卑劣な人間には無用の情けを一切掛けず愛想を尽かして見捨てる事が少なくない。
人間に対し閉鎖的な鬼太郎は、妖怪と人間はあまり交わるべきでないと考えている。

アニメとしてはノイタミア「墓場鬼太郎」を除き、初めて「鬼太郎が赤ん坊の頃に水木という青年に育てられた」ことが言及された。そして鬼太郎が少年の姿のまま何十年も生きているという描写もあった。住職が50年ぶりに鬼太郎に会ったという回もある。

また目玉親父のかつての姿として、これまでは不治の病で全身に包帯を巻いた姿しか描かれなかったが、本作品では病罹患前の幽霊族としての全盛期にあたる姿が初めて描かれている。鬼太郎の危機に際し、霊力を高めてイケメンな姿に戻り戦う回も一度だけあった。

人間側のヒロインとして登場した中学生の犬山まな。
元拝み屋の母方の曽祖母から名付けられた。漢字で表すと「真名」、「真(まこと)の名前」と意味づけられている。因縁の深い家系の出自で、妖怪に深く関わっていく。
このあたりは3期のユメコちゃんと違って翳りがある。

最終章のラスボスはいつになく迫力ある「ぬらりひょん」

妖怪を憎む人間へと心を誘導するぬらりひょん。人間を憎む妖怪との戦争へと発展。人間によって裏切られ絶望する鬼太郎。
現代風刺としては凄まじい。
“あらざるの地”へ転落した鬼太郎。連れ戻しに行ったまな。
人間と妖怪の戦争は終息するどころか、「人間の尊厳のための戦い」だの「妖怪の意地」だの言って、死を前提に戦う狂った状況になっていく。
復活を拒む鬼太郎。

まなの「鬼太郎たちとの記憶」を引き換えに復活した鬼太郎は最後の敵を倒す。

そして、まなは1話から紡いできた鬼太郎との記憶をすべて失ってしまう。

子供番組に特化して、子供番組ではない深さを湛えた6期ゲゲゲの鬼太郎。
そのエッセンスが、劇場映画に注がれているのだとしたら、きっとダークな鬼太郎が楽しめるに違いない。


劇場、本日公開です。