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伊那路の歴史発見

これまで、南信州新聞には連載のお世話をいただいた。
大いに感謝し、出来ることには適う限りの貢献もしたいと思う。
地方新聞の連載を掴むことは、容易なことではない。
これまでも数多の扉を叩いてきた。応えて貰えるケースは、ほぼほぼゼロ(ホントだよ)。門を開けて頂いても、事情が許されなければ、チャンスはない。南信州新聞の場合は、縁と、人の力、と云っても過言ではない。そして、一度得られたチャンスは、手放したらいけない。一度きりのイベントで終わらせたらいけないのだ。
「次は、もっといい作品を!」
という気概で臨み、捕まえた御縁を決して手放さない意気込みを持ち続けなければいけないのだ。これが地方新聞社で連載を続けていくための信念だ。義理ともいっていいし、縁故とも、信用とも云うべきかも知れない。不義理ひとつが波及して何もかも台無しにしてしまうかも知れない以上、ここは必死で死守する掟だ。
チャンスの女神様には前髪しかないそうだ。正面からきたら躊躇わず掴んで、その手を決して離さない。地方新聞の連載は、まさにその例えと云って過言ではないのです。
平素、地縁のない土地に連載をするためには、その土地の歴史を知り、誤解に気付けばすみやかに正し、歩み寄ることが求められる。掴んだ御縁を振り払われない限りは、必死でしがみつく。
あまりこういう形で発表の場を模索する作家はいないのだろうと思う。その暇があれば、少しでもいい賞を取る努力をするものだろう。
しかし。
人の目に触れてもらうことは、机上の論理よりも大事な経験則である。
という、気障な持論である夢酔。それが正しいかは分からないが、ひょっとしたら何かしら遠回りをしているのだろう。大衆よりも一部の審査員が勝るのがこの世界の真理だとしたら寂しい。
そして、2023年も同じスタンスだった。

南信州新聞連載作はこれまで2本。

この作品が最初だった。
これが二作目。

三作目も近いうちに発表できる(はず)。

そんななか、もう、次の作品の構想はスタートしている。

南信州は、どうして地域の人の教養が高く、国学さえも普及するほど文化水準が高かったのだろう。その大きな根幹は、南北朝の時代にあったのではあるまいか。
このことに気付いて、得心した。
一作目・二作目・三作目。すべての作品の精神的ルーツは、ここのあったのだから、その源流を描き出すことこそ、この地域の作品を描く意味があるのではないか……ということに気がついた。
責務である。
責務なのだ、と。

余所者だから書けることもある。

2024年も伊那谷を深く愛せる気がしている。