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No. 33 英語教育とtranslingual ⑨【方言というidentity①】

はじめに


前回の投稿では、小笠原諸島に見られるtranslanguagingについて見てきました。さまざまな国々から人々が移り住んできた小笠原諸島だからこその言葉やその使い方が見られて、非常に興味深かったです。

今回の投稿では、松本敏治氏の『自閉症は津軽弁を話さない リターンズ:コミュニケーションを育む情報の獲得・共有のメカニズム』(福村出版)から、方言とtranslanguaging、そしてそこからことばとidentityについて考えていきたいと思います。


自閉症者は方言を話さない?

まずこの本についてですが、タイトルに惹かれて読み始めました。僕は英語教師ですが、英語という枠を超えて「ことば」に興味があり、ことばを学ぶことでどうidentityを構築したり、表現したり創出したりしていくかということを常に考えています。
また、興味があるというと語弊がありそうですが、発達障害や精神的な問題を抱えている人のことばについても大変関心があります。吃音の方についての記事でも書きましたが、英語教育とは一見関係ないように見えるところからことばについて学ぶことで、より深みのある指導ができると考えていますし、そういったことを学ぶことで誰に対しても分け隔てなく接し、ことばを交わして生きていけるようになると考えているからです。そして、僕はそれを「誰も傷つかない英語学習・教育」という目標として掲げています。

さて、前置きが長くなりましたが、自閉症者は方言を話さないのか。また、話さないとしたらそれはなぜなのかと気になり、この本を読みました。
今回の投稿で全内容をまとめてしまおうと思いましたが、やはりこの本もとても面白いので、何回かに分けて投稿していこうと思います。


方言とidentity

まずは前提としてですが、「方言とidentityが強く結びついている」というのは多くの人がなんとなく納得できることではないでしょうか。
たとえば、東京に移り住んできた人が自分の出身地の方言を話し続けているのをきくと、なんとなく「この人は自分の地元を大切にしているんだな、誇りに思っているんだな」「東京にいても自分らしくいたいんだな」といった感想を持つかと思います。

反対に、ことばとコミュニティのメンバーシップには強い結びつきがあるため、東京という土地になじむべく、自分の方言を封印して「標準語」を話すように努める人もいます。実際、関西出身のお笑い芸人さんは、東京に進出してから関西弁を話さなくすることで馴染もうとする人がいますが、その状態を関西出身の他の芸人さんに「東京に染まった」とみなされてからかわれたりしていますね。笑
話がそれましたが、方言はその土地特有のことばであるがゆえに、identityと深く関係があるといっていいでしょう。

こういった前提を踏まえた上で、松本氏のこの本では、「自閉症者は方言を話さないのか」といったこと中心に議論を進めています。
実際簡単にまとめてしまうと、一般的に自閉症者は「人間関係」を理解するのが苦手とされているので、メディアなどで普遍的に使われる「共通語」と比べて「関係性」のなかで使われる方言を習得するのが難しく、あまり使用することがないという論が展開されていきます。
また、松本氏はこの本の中で定型発達の日本の子や海外の子どものごっこ遊びについて言及し、方言の使用についてまとめています。興味深い内容を二つ紹介します。


定形発達の子どもは方言を使いこなせる

いわゆる定形発達の人は、3歳からでも方言と共通語の区別がつくと松本氏は述べています。いくつかの研究が引用されているのですが、子どもはごっこ遊びのなかで、セリフの部分は共通語で話し、セリフ外で「自分」が話す時には方言を使うというのです。これは方言の社会的機能を学習し、効果的に使っているという証でしょう。


ドミニカ国の子どものことば

Paugh (2005)によるドミニカ国の子どもたちのごっこ遊びの分析を松本氏は紹介しています。ドミニカ国は英語が公用語ですが、フランス語をベースとしたパトワ語というクレオール言語が農村部では話されています。しかし、長い歴史の中で英語が優勢とされ、農村部の大人たちも子どもには基本的に英語を話すようにしているそうです。パトワ語を使うのは感情の伴うやりとりくらいで、基本的には子どもには使いませんし、話すことを禁止することさえあります。ですから子どもたちの第一言語は英語です。
ですが、やはりごっこ遊びの中で子どもたちは、ローカルな大人が話すときのセリフはパトワ語を使っていたといいます。一方、教師(英語を話す大人)のことばは英語にしていたそうです。自分たちはパトワ語で会話をすることはほとんどないのに、ローカルな言葉はパトワ語、公用語は英語ということを知って区別していたということになります。
このことについて松本氏は以下のように述べています。

話すことを禁止されているにもかかわらず、ごっこ遊びにおいて役割などに応じてパトワ語を使用することは、子どもが自分が属する社会の人々の振る舞いやことばを身につけていくとき、大人にやれと言われたからやっているのではなく、より能動的にそれらを取り入れようとしていることを意味します。(p. 51、強調は筆者)

SLA(第二言語習得論)の用語で言えば、この子どもたちはagencyを発揮しているということになりますね。
子どもたち、恐るべしです。


おわりに:translanguagingとの関連

子どもたちはただ機械的にことばを見聞きして習得しているのではなく、ことばを能動的に取り入れ、自分たちのものにしていっているということがおわかりいただけたのではないでしょうか。

また、子どもたちの「方言と共通語」や「ローカルなことばと公用語」のtranslanguagingも見逃せないポイントです。子どもたちは意図的ではないにせよ、agentive(主体的・能動的)にことばを巧みに使い、コミュニケーションをとりつつ自分たちのidentitiesを示していました。これまでの投稿でも書いてきましたが、これこそが「リアル」なことばのやりとりではないでしょうか。

やはり、translanguagingは身近なところにあります。もっといえば、人々が自然に日常的に行っていることなのです。


参考文献

松本敏治 (2020). 『自閉症は津軽弁を話さない リターンズ:コミュニケーションを育む情報の獲得・共有のメカニズム』福村出版.


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