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駐車場で見つけたハム

こんばんは。月岡です。
私は自分のことを文章にするのが得意ではないのですが(大抵、後で読み返したときに「気持ちわるっ」となる)、日々感じたことを記録として残すために、書いていこうかなと思います。

なにかに悩んだとき、インターネットに答えはないと分かりつつも検索してしまうことってありますよね。大抵夜にね。
そういうときに、ちょっとでも自分の意見に似ている記事を見つけると、安心して眠りにつけるものです。私の文章も、誰かの「ほっとした」に貢献できれば嬉しいです。

自分の人生においてよく考え込んでしまうテーマがいくつかあって、そのうちの一つが、恋愛についてです。
私は1年と半年ほどお付き合いしていた恋人がいたんですが、昨年の10月頃に、その方との、恋人としての関係を終わらせる選択をしました。
正直、お付き合いしていた期間はずっと悩んでいたんです。
「私はこの人のことを本当に好きなのかな」「この人と結婚するのかな、でもまだしたくないしな」・・・などなど。
今となっては「そもそもそんな気持ちの状態で付き合うなよ!」と思うのですが、自分の性格もあって、まあ仕方なかった。
常に相手の不満なところや、2人の関係について考えてしまって、辛かったですね。

それから今は、新たに「好きかも」と思える方が現れて、おそらく相手も私のことを好意的に見てくれている、けど、「付き合う」という段階に気分が向かない。
「また別れたら辛い思いをするんだろうな」
「そもそも“付き合う”ってなんだ」
「今の関係や“好き”という感情を1人で抱えている状態が楽しいのかもしれない」
「まず今は仕事や自分の時間を最優先したいし」
とかまあ、こんなふうにコチャコチャと考えてしまっています。
特に「そもそも“付き合う”ってなんだ」ということに関しては、「付き合おう」「わかった」という言葉を交わすだけで、その言葉を発した瞬間を境に、2人の関係性が変わってしまうんだ、と、変な感じがする。
まず「付き合う」と言う日本語も謎で、じゃあ付き合う前は「付き合って」ないんかい、という。一緒にいるのに。
言葉によって定義される関係が、自然ではなく感じて、抵抗があります。
考えすぎですね。

でも今日も、その人のことを考えると胸が「キュッ」となるんです。
この「キュッ」から解放されたくて、人は付き合うのかな、なんて思ったけど、20代も後半に入ると、「こんな感情はレアだから長く楽しまないと」とか気持ちの悪い思考回路になっているので、今のところ私は胸の「キュッ」をじっくり楽しんでいます。(病気だったらどうしようかな)

写真は役所の駐車場で見つけたハムです。
それではみなさん、おやすみなさい。

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