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小説 フィリピン“日本兵探し” (15)

北朝鮮とフィリピンは、1年後の2000年7月に国交を樹立するが、1999年7月の時点では、外交はフィリピンの駐中国大使と、北朝鮮の駐タイ大使が接触する程度に止まっていた。そうした中、マリアは、諜報および工作活動を専門としていて、フィリピンでは日本国籍の民間人を装っていた。

1970年代、当時の最高指導者だった金日成が息子の金正日に対し、朝鮮労働党内に立ち上げを命じた資金調達組織「39号室」。金一族による独裁体制を支えるための組織だが、マリアの任務は、国外で、この39号室にカネを流し込む仕組みを作ることだった。

39号室は、偽造たばこや偽ドル札の製造・流通から違法薬物、鉱物、武器、希少動物の密売まで幅広い不法活動を通じて、年間億単位のドルを稼ぎ出す。政府関係者や、マリアのような工作員がこの39号室に関わり、ダミー会社や金融機関、ブローカー、犯罪組織などをつなげ、複雑なネットワークをつくっていた。

北朝鮮は、80年代末から90年代初頭に核兵器の開発に着手。同時に進められたミサイル開発と共に、北朝鮮の外交と密接にリンクするようになっていた。
 
1992年11月に拉致被害者問題をめぐって日朝国交正常化交渉が紛糾すると、北朝鮮は、翌93年5月に、日本海で「ノドン」の発射実験を実施した。97年5月に日本が10人の拉致被害者を特定して公表すると、この物語の時点からほぼ1年前の98年8月に「テポドン1号」を日本海に向けて発射した。莫大な資金を必要とする核・ミサイル開発を可能にしていたのが、39号室が秘密裏に集めたカネだった。

マリアを乗せた車は、タクロバンの空港から10分ほど走り、レイテ島とサマール島をつなぐサン・ファニーコ橋に差し掛かった。 フィリピン人の運転手は、サン・ファニーコ橋の眺めを楽しみながらたばこをくゆらせ、鼻歌混じりにハンドルを握る。マリアはそんな気分にはなれなかったが、サン・ファニーコ海峡、海峡に浮かぶ無数の小島、それらをカーブしながら越えてゆく橋の形。その素晴らしい景色を目に焼き付けていた。

サン・ファニーコ橋は全長2600メートル。フィリピンで一番長い橋だ。サマール島とレイテ島とを分けるサン・ファニーコ海峡に掛かっている。マルコス政権下の1969年より日本の戦時補償で建設され、1973年に完成した。それに比べ、日本の、共和国への戦時補償はいつになるのか、マリアに「日帝支配」に対する怒りがこみ上げた。

サマール側の街はサンタ・リタ。そこに、ジュンたち、同じ共産主義に賛同するフィリピンの同志たちがワゴン車で待機していた。

ジュンは、にやけながらマリアが乗る車に乗り込んで来た。
「サンプルとはいえ、金貨をスラムの若者たちに奪われるとは、とんだへまをしましたね」
「バカが金貨を持って動き回ってくれたお陰で、ジュン同志も動いてくれたんだろ?」
「俺たちにとって、敵はフィリピン政府だ。戦うための資金と武器、人員をいただけるのであれば、いつでも協力するさ。カネさえがあれば、フィリピンの共産ゲリラは1つになれる」
「わが共和国とも連携が取れる、だろ?」

ジュンが重要なこととして、マリアに確認を求めた。
「あんた、日本人ってことで、このフィリピンにいるが、日本語はネイティブ並みなのか?今度の日本兵騒ぎで、日本のテレビ局がこのサマール島に入って取材をしている。しかも、自警団と一緒に動いていて、きょう未明に、捕まえていた1人は奪われちまったんだ」
「私はもともと在日同胞だ。日本語はネイティブ。フィリピンに住んでいる日本人って言っても分からんさ。しかし、武装しているNPA新人民軍のアジトに奇襲を仕掛けるとは。相手も武装しているのか?」
「こっちは自動小銃を3丁も奪われた。向こうには、銃の扱いに慣れた奴がいる」、ジュンが悔しげに語る。
マリアは「分かった」と話すと、アタッシュケースをおもむろに開き、透明な容器に入った琥珀色の液体を見せた。
「VXガスだ。猛毒の神経剤だよ。サリンなどと同様、人類が作った化学物質の中で最も毒性は強い部類だ」
ジュンは、この危険な北のスパイを仲間としていることに、安堵の表情を浮かべるとともに、背筋に冷たいものを感じずにはいられなかった。

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