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小説 フィリピン“日本兵探し” (22)

ミンダナオ島の空港毒ガステロ事件について、タカシは、欧米が日本やフィリピン以外の第三国の関与を推察していて、谷口少尉が実在していようがしてしまいが、NPAとその第三国の関係者が、フィリピン政府軍による「制圧」の対象になるだろうという仮説を述べた。第三国の関係者とは、当然、北朝鮮の工作員、マリアを指していた。

「逆もあるのではないか。お前は実在していようがしていまいがと言ったが、それは生きていようが死んでいようがと言い換えることもできるだろう。死せるタニグチによる蜂起。作戦の目的は日米同盟の断絶。反政府思想を持つ旧日本兵が主導する米軍施設へのテロ攻撃に対して、日本政府はどう対応するんだ?本人がいようがいまいが、状況は変わらないのではないか?」とマリアが指摘した。

「日米同盟断絶のため、米軍施設にテロ攻撃?」
タニグチは戦争が終わったことを知らないかもしれない。アメリカもフィリピンも、そして自分たちに死を命じた大日本帝国も、敵と判断する可能性もある。タニグチを排除するということは、殺害命令を出すということだ。実在するのかしないのかが不確かな旧日本兵を排除するという作戦、そしてその判断は、日本政府にとって何の得もない、政権の支持率を下げるだけの行動になるといえた。

例えば、フィリピンの反政府ゲリラと日本の反政府活動家が、アメリカをテロの標的にしたとき、日本政府は厳しい対応を取ることが国際的に求められるであろう。日本人活動家の排除には賛同せざるを得ない。しかし、その排除の対象が旧日本兵だったならばどうか。戦地で54年の長きを生き延びた英雄を排除できるのか。それには政権転覆の覚悟が必要といえた。しかも、テロに使われるVXガスは、日本政府が処理できていない、フィリピンに埋没していた戦争の遺物だったとしたら、問題はさらに大きくなりそうだ。

「結局は、タニグチが何に怒っているのかなのだよ」とマリア。
「それが何かをあなたは分かっているというのか?」
「お前たちは、これを示したという行動から、タニグチの怒りをどう読み取る?」
マリアが示したのは、「総員玉砕せよ!」と書かれた、上官からの指示とおぼしき古い布切れの文字だった。
タカシの横で、マサが黙り込み一筋の涙を流していた。

共産ゲリラのアジトを後にして、カトゥバロガンのホテルで、マサ、タカシ、元小隊長、元兵長、アキラは、作戦会議を開いた。まずは元日本兵への対応だった。
「『日本に帰りたくない』と言ったらどうしますか?」とタカシ。
「それは小隊長と兵長に説得してもらわな」とマサ。
「国を恨むとかいう兵隊はおらんと思うよ。すぐにでも帰りたかったからね」と元兵長は、谷口少尉が国を恨んでいるという話に違和感を感じていた。元小隊長は自分と同じ階級の少尉であるなら一定量の武器を管理しており、その中に毒ガス弾や容器入りのVXガスを戦後も持ち続けていてもおかしくないとと考えていた。そして戦時中は、日本が劣勢の状況で、今では考えられないような命令が上層部から下っていた可能性も十分にあり得ると考えていた。
「『総員玉砕せよ!』って、特攻しろってことだろうから、毒ガスも使えっちゅうことだったんやろうよ。しかし、実際にフィリピンの軍事拠点や集落で、毒ガスで人が死んだという話は聞いとらんばい」、元小隊長は語った。

まもなく大使館職員が来る。彼にどこまで話すかだが、いずれにせよ、共産ゲリラの連中が米軍施設を狙っていることは、向こうに行く前に伝えておいた方がいいだろうとマサは考えていた。

日本車の白のセダンがカトゥバロガンのホテル前に止まった。降りてきたのは長身で色白の、メガネをかけた30代半ばぐらいの男性だった。
「一等書記官の宮田といいます」
一室に集まっているマサたちと顔を合わせ、笑顔を振り撒いた宮田だったが、元兵長やアキラの動きが気になり、思わず尋ねた。
「これは本物ですか?」
「そうよ」と元兵長。
宮田は、銃器を手入れする2人、そして、鉄パイプの柄に布テープを巻く元小隊長、ビデオカメラを手入れするタカシの様子に閉口した。
「この人たち、何をしようとしているんだ?」

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