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【小説感想】芥川龍之介「杜子春」は勇者と魔王の物語!?

「杜子春」の表テーマ・裏テーマ

芥川龍之介による文学小説「杜子春」が面白かったので感想を書きます

名作には表テーマと裏テーマがあると言いますが、杜子春の場合は

表テーマ
杜子春が「幸せとは何か?」に気づく話 

杜子春にとっての幸せとは、誠実でささやかな人並の生活であった

裏テーマ
老人(仙人)が、杜子春との出会いによって、人間への希望を見出す話

老人は人間の醜さに絶望していたが、高潔な杜子春との出会いで人間もまだまだ捨てたものじゃないと希望を得た

「杜子春」の表・裏テーマ

上記の内容なのではと思いました。

杜子春と老人は、お互いウィンウィンの関係になったというか、どちらの立場にとっても爽やかなハッピーエンドなんですね。杜子春の裏の主人公は老人だと思った

「蜘蛛の糸」との対比
【主人公の行動がドラマを生む】


芥川龍之介「蜘蛛の糸」にも似てると思った。同じ作者が、似たような題材で対比のオチになっているという

「主人公にスーパーラッキーな出来事が起きて、その後どう振る舞うか、みたいなやつで

蜘蛛の糸の主人公は欲をかきすぎて自滅する。自分だけが助かろうと、糸を登ろうとする下の人間たちを振り落とそうとして、糸が切れてしまうんでしたよね

杜子春は、欲を手放して「こんなものには意味がない」と財宝を断って、さらに仙人になることよりも人間らしい感情を選んで、最後に人並の幸せを得るというシナリオ

「蜘蛛の糸」「杜子春」は舞台構造がおんなじで、主人公の性格によって、結末が変わるんだ

そこが面白かったです。

ドラマ(読者の感情を動かす出来事)を作るのは構造(シナリオ)じゃなくて、主人公の魅力だってシナリオ教本でみたことあるけど、こういうことなのかと少し理解できました。

「その状況かで、主人公がどういう行動をとるか」がドラマになるんだな

舞台設定は、ドラマを引き立てる前提条件であって、シナリオ自体はドラマではない

トロッコとか崖から落ちそうな場面で、どっちを助けるみたいな心理実験とかあるけど、

その状況で「どうする」かを決める主人公こそがドラマなんだなと思います


面白かったので、内容分析のために「杜子春」の内容を箇条書きで書いてみました

「杜子春」個人的あらすじ


貧乏青年・杜子春が歩いていたら、老人に声をかけられる

「指定した場所時間に、自分自身の影の落ちる、頭のところを掘ってごらん財宝が出るから」
指示通りにすると杜子春は大金持ちになった

でも金があるうちはちやほやされるけど、金がなくなるとみんな離れて薄情な態度をとられる

杜子春はまた貧乏に逆戻り

再び老人は
「影が落ちる、胸のところを掘ってごらん」と助言
再び大金持ちになるが、顛末はさっきと同じ。また貧乏に逆戻り

三度目、老人が「影が落ちる、腹のところをほってごらん」というが杜子春はその助言を断る

杜子春「金があるときはみんな優しいが、そうでなくなるとみんな離れていく。
人は薄情なもので、また大金持ちになっても意味がないように思う」

老人、賢い青年だとほめる

杜子春、老人に弟子入りしたいという

老人は杜子春を共だって旅に出る。

老人「仙人になるために故郷へ戻る。しばらく挨拶してくるからここで待っていてくれ。
待っている間【けして言葉を発してはいけない】」と言い含められる

杜子春、いろんな災難に巻き込まれるが老人の「喋ってはいけない」を守り続ける

いつしか杜子春は地獄に落ちて、
閻魔たちが
『馬に杜子春の両親の顔をつけたもの』を呼び出して暴力をふるう様子を見せつけられる

杜子春は言いつけを守り黙っていたが、
『馬の母親の顔をしたもの』が、杜子春にテレパシーで

「お前が助かるなら、見殺しにしていいんだよ」

といってくれた瞬間に、母の愛に耐えられなくなって

「お母さん」と声を出す

ここで修行終了

老人が
「お前は仙人には向いていない。
しかし、私は両親を見殺しにしてお前がだまっていようものなら
おまえを殺そうと思っていたところだ」と告げる

杜子春「仙人になろうとはもう思いません。
どんな状態の自分でもかばってくれる親を見殺しにすることが必要なら
私は仙人にはなれませんし、私はこれからは人並の生活をしたいと思います」

そうか、と老人

「ではもうお前と会うことはない」と言って帰る

そうそう、と振り向く老人

「私の持ち家と畑があって、それをそっくりお前にやる。その家に住むといい」

杜子春は、老人から譲られたその家で、人並の幸せな人生を歩んだ



【おしまい】


書き出したあらすじを見返しての感想・分析

まず、短編なのに、場面転換がとても多い

そしてマザー2のプーの「ムの修行」を思い出した。マザー2のあのシーンは杜子春オマージュなのかな


精神世界でボコボコにされて、ひどい拷問を受けて、それでもまだ「黙っていなければいけない」というものが仙人の修行

…仙人って、倫理観が人と離れた存在なのかな。それか、感情を手放した存在?

自己防衛とか、人情とか、そういうのをすべて手放した状態が「悟り」なのか?

あと、「主要人物にしかセリフがない」?
母親の声はテレパシーみたいな感じだし

登場人物は
主人公と老人、あと母親、閻魔

くらいしかでてこなくて後はモブ

金持ちの時だけちやほやして、そうじゃないと冷たく去っていく薄情な人間たちはただのモブで、台詞もなにもない

これ、精神的な話なのかな

杜子春の心の話?


シナリオの転調

最初、「貧乏から大金持ち」を3回繰り返して日本昔話のリズムだなあと思ってたら
ここから転調

杜子春「もう財宝はいりません」で新ステージ突入したというか

杜子春ほど高い倫理性がなければ到達できない物語ステージなんだと思うんだよなこれ

普通の凡人なら欲望で自滅して、無限に財宝を求めて老人にたかると思うんだけど。
「どうせまた財宝があるから無駄遣いしちゃおう」みたいな

「金で態度が変わる薄情な人間しか集まってこないので、大金持ちになる意味を見出せません」と考える杜子春だからこそ新展開がある感じが面白かった


主人公の高い倫理観で新たなステージが開かれる感じ
ぐずぐず堕落するループからさらっと抜け出せる感じ

賢者ってこういうことなのかなと思う

「勇者と魔王の物語」

杜子春が仙人になりたいと弟子入りして、ずっと言いつけを護って黙っているシーンでは
最後杜子春は、両親の無償の愛の前には非情になれなかった

そう、杜子春は「目的のために薄情になれなかった」んだ

金で集まってくる薄情なモブとは違った。モブは高潔な主人公との対比なのかな

ダメ、っていわれたことを破るとき、譲れないその人自身の価値観がでるっていうか

仙人になるためにはすべての情と欲を手放すことがおそらく必要で、
杜子春にはそれはどうしても捨てられなかった

老人は、
「お前は言いつけを守らなかったから失格だけども
もし弟子入り合格したら、お前を殺すところだった」といった

老人は、杜子春に「俺のようになるな」って言いたいのでは?

仙人である老人は、人間離れした人外のような存在で人らしさは失った
超能力の代わりに、情を手放した存在を仙人というのでは

老人が杜子春に声をかけたのは
「賢そうな青年だと思ったから」といっていたけど
これは
主人公は杜子春に見えるけど、老人が裏の主人公なのでは?

仙人が
「人間の情け深さ、欲よりも情をとるところを見たい」
と感じて

人間のことを信じたくて、人間に絶望したくなくて

聡明そうな杜子春にわざと
「財宝があるよ」と欲をちらつかせた

なんどもなんども財宝を与えて
杜子春が欲に溺れて自滅するようにけしかける

でも、心の底では
杜子春には、欲に溺れず、人情を忘れない高潔な存在であってほしかった

これ、勇者と魔王じゃないか!

杜子春、勇者と魔王テンプレなのか

※「勇者と魔王テンプレート」とは

魔王が勇者に立ちはだかる。
しかし、実際魔王は勇者に「自分の考えを否定して見せてほしい」・「自分を上回る存在に倒されたい」・本当は絶望しきった自分に「希望を見せて欲しい」と願っているシナリオテンプレート

出典はわからないけど…あるよね?

ちなみに「勇者と魔王テンプレート」という名称は私が勝手につけたもので、正式名称は私は存じ上げないんですけど(ややこしいと思われた方、すいません)…この物語の型、あるよね?

きっとこの記事を読んでくれている方の十人にひとりくらいは「あるある」と言ってくれるのではないでしょうか笑
なんというか、「父殺し」の型の父性側視点「父殺され」というか、そんな感じの。

魔王である老人は、勇者杜子春をわざと堕落させるようにうながすけど
杜子春は、高潔なまま、自滅しなかった
なら逆に、情をそぎ落とせと弟子入り志願OKするけど
杜子春は、仙人の条件の「情を手放す」ことは、できなかった

それがきっと、老人はうれしかったんだろう

仙人はきっと、人間の可能性をもっと信じたかった
人間の薄情さに絶望して、でも本当は信じていたかったんだ

だから最後、
老人は家と畑をまるまる杜子春にあげるけど
それは『褒美』なんだろうな

杜子春に対して、人間はまだまだ捨てたもんじゃないという希望を見せてくれた
そのお礼として贈り物をしたんだろう

財宝のありか

序盤、老人が杜子春にここを掘ってみなさいとアドバイスする財宝のありか。

影の落ちるところは、杜子春のうつる影の

頭 胸 腹

ときて、次断るじゃん杜子春が。財宝はもういらないと。ここでストップ。

これ、影の落ちるところが体の部位の上から順にだんだん下がってくるのが不気味で。

後半の仙人の修行の時に老人が
「もし、親が暴力振るわれてるのに声を出さないままでいたら、わしはお前を殺すところじゃった」
っていってびっくりしたけど(辛いのをこらえて約束守ったのに?みたいな)

これ、もし序盤に杜子春が、あのまま財宝をもらい続けていたとしても老人は杜子春を殺していただろうと思う

あのまま財宝を貰い続けていたら
「影の落ちるところ」は腹、膝、足ときて

まだまだ老人に財宝をたかろうとする、すっかり欲に溺れた人間になった杜子春のことを
ああ、殺す予定だったのかもなと

ほんと『杜子春』がさわやかエンドなのって、マルチエンドの中の真エンドって感じで面白い


杜子春が老人を絶望させる行動をとったなら即死エンドだったのを、杜子春が高潔な魂で
死亡フラグをへし折って、最良のエンドに持って行った感じ



杜子春、マルチエンドのゲームのノベライズ読んでる感じ
ノベルゲームの祖……?

表テーマの主人公として、状況を良いほうに切り開くのは杜子春

裏テーマの主人公である老人は堕落させるほうにわざと主人公を追い込む
構造的に「悪」

勇者と魔王物語だなあやっぱり

魔王は勇者に自分を倒してくれる日を本当は待っている

この場合は、「人間の善性をまた信じたくなるように思わせてほしい」という老人の願いを
杜子春が見事叶えたんだなあ

杜子春の聡明さ

杜子春は
最初素直に従ってやってみて、実感として「違うな」と思ってから断ったり、言いつけを破る。
弟子入りを志願した時も、修行を経てもう一度考えて、やっぱり弟子入りはあきらめるという。

杜子春の賢さって
一度自分の中に取り入れて、それから自分の頭で考えて、新たな判断をくだすところだと思う


一度取り入れてから、違うと思ったら、判断をさらっと変える

なんかこう、柔軟な賢さがあって、聡明さの形のまた一つ知った


以上、「杜子春」の感想でした。

「教養のために内容把握しとくかー」みたいな軽い気持ちで読んだら、思いがけず感想文が弾んだ自分好みの小説でした。面白かったです。

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