見出し画像

水木しげるとゲゲゲとボクと

昨年、水木しげる先生の生誕100年を記念して、お住まいだった調布市でも、イベントを開催したりしていました。
見出しの写真も、六本木の東京シティビューで夏に開催された「百鬼夜行展」の時のものです。
この展覧会は、蔵書の古本を展示したりして、水木先生の妖怪を描くまでになるルーツをたどったりしていました。水木先生に造詣の深いボクとしては、知っていることばかりで、入場料が高い割には正直あまり感激することはなかったのですが(失礼)、ちょっと驚いたのは、学生だと割引料金になるにしても、若い女の子たちが沢山来場していたことでした。皆さん記念のガチャをやったり、写真を撮影したりして、楽しんでいる様子でした。
改めて、水木先生の妖怪が広い世代に未だ愛されていることを、実感したのでした。

さて、ボクは今回から水木先生のことをnoteに取り上げる訳ですが、数回に分けて記事をアップしていこうと思います。未だ水木先生の本は毎年のようにどこかの出版社から出されていますが、ボクとしてはやはり唯一無二の記事を書きたいと思っています。

まず第一回目の今回は、なぜボクが水木先生のファンになったかと、妖怪についての見識を書かせていただきます。

「妖怪ってナニ?」

皆さん、妖怪ってどういうイメージでしょう?幽霊とも違う、いわゆる化け物と呼称する、カラ傘お化け、一つ目小僧、ろくろく首…、そういうモノをイメージするのだと思います。確かに間違ってはいません、それらも立派な妖怪の種類に入ってますからね。
しかし、それらはいつぞや何かのビジュアルで見たことのある具体的なイメージなのだと思います。
しかし、本来妖怪というのは「心の中にあるイメージ」なのです。またそう考えることが大事なのです。
そんな妖怪についての答えをボクに見事に分からせてくれたのが、水木先生が書いた一冊の本でした。
「妖怪なんでも入門」という、小学館から出された小学生向けの本です。
ボクはなぜかこの本を幼少の頃に買ってもらい、詳しく読まないまま、捨てずにずっと保管していました。
ボクがその本を開いて改めて読んだのは、中学生の時でした。掲載されている妖怪画や読み切りマンガに目を奪われがちなのですが、肝心なのははじめの方のページで、水木先生が妖怪についての考え方を詳しく説明していました。

「妖怪なんでも入門」の妖怪についての説明文

ボクはこの説明を読んだ時、
「ああ、そうだったのか!」と感嘆したのでした。
妖怪とは、「心で感じるもの」「もうひとつ別な世界があるという気持ちが大事」と説明されていて、ボクの心の中にあるノスタルジックな感情と繊細な風景描写の妖怪画が合わさって、すっかり沼に落ちたのでした。
妖怪について、これほどわかりやすく書かれた本は、未だ他にありません。
それからボクは、水木先生の書かれた本、あるいは先生が参考文献とした関係書物の収集を始めます。

中でもこの「妖怪なんでも入門」でも紹介されている、水木先生の妖怪画のルーツである鳥山石燕の「画図百鬼夜行」、民俗学者柳田國夫の「妖怪談義」に強く惹かれたのです。「妖怪談義」は当時文庫でも売っていたのですぐ手に入りましたが、「画図百鬼夜行」は江戸時代に出された本であり、昭和43年に渡辺書店という出版社から一度出版されてはいるものの、出版社自体が火事で焼失してしまっていて、古本屋をあたるしかなかったのですが、どうにもなりません。

左から「画図百鬼夜行」、「妖怪談義」、「妖怪なんでも入門」 妖怪に関する三大本

水木先生に電話をしてみた

「画図百鬼夜行」もそうでしたが、水木先生の書物で唯一入手できなかった「ふるさとの妖怪考」という本がありました。こちらは絶版でした。
この頃、ボクの妖怪愛は爆発状態だったので、どうにか入手できる方法はないかと考え、なんと迷惑なことに、水木先生に直接電話して聞いてみよー!となった訳です。はたまた迷惑なファンです。
そしてある日電話番号を調べ、思い切って電話してしまったのです。
電話には水木先生本人が出られました。
緊張しながら、ファンの者ですが、と告げると、水木先生は快く話をしてくれました。先生は何事にも興味のある性格で、直接家まで来てしまうはた迷惑なファンにも快く応じていることは「水木しげるの不思議旅行」の書物にも記されています。テレビなどで見た方もいると思いますが、実際の先生もあのまま穏やかで、とても優しい方でした。
ボクは二度も電話してしまい、二度目は布枝夫人が電話に出られ、今仕事中なのであと一時間したら大丈夫だと思います、と丁寧に仰ってくださり、そのとおり、一時間後に先生と再びお話させていただくことができました。
ボクが水木先生をリスペクトする理由のひとつが、こんなファンを大事にしてくださった、その優しい人柄なのです。
結局本は入手できませんでしたが、後年「画図百鬼夜行」は新装されて出版社から出され、「ふるさとの妖怪考」は京極夏彦さんのおかげで、水木先生の全集の中に収められています。

水木先生からハガキが来た!

それからのボクは水木愛、妖怪愛が止まらず、先生に便箋にして20枚にも及ぶファンレターを書いたのでした。自分なりに感じていることと、水木先生がどれだけスゴイか、愚直な内容だったと思います。
すると数日経ち、ナント水木先生本人から、ハガキが届いたのでした。

こちらがハガキに書かれていた全文内容。
「前略、私は多忙なので、二、三か月自分のファンレターをためておいて一日で読みます。それで返事がおくれたのですが、なかなかいい”カンカク”です。私に似ております。とにかくこれからがんばって下さい。
さて”師匠”(ボクは当時先生のことを師匠と呼んでいた(笑))は「百鬼徒然袋」なるものを未だもっていないのです。できましたら至急コピーをして送っていただければ助かります。
”師匠”は七月一日ごろの二冊の本が出ますのでそれをあなたにプレゼントいたします。これからも”妖怪ってなんだ?”というテーマで研究します。では又。」

まあボクは感激を通り越して、とにかく嬉しかった。
ちょっとだけ補足すると、「百鬼徒然袋」とは鳥山石燕が「百鬼夜行」の第二弾として著した妖怪画の本で、さすがの水木先生も所蔵していなかったのです。それをボクがファンレターでちょっと触れたところ先生にあたかも所蔵しているように勘違いさせてしまったのです。このことは後にファンレターでお詫びしたのですが、ボクが所蔵していた本の中に幾つかその画が紹介されていたものもあったので、集めるだけ集めて先生に送ったのですが、果たして役に立ったかどうか。
そして今度は本当にハガキに書かれていた通り、後日先生から本をプレゼントしていただいたのです。その本が自己紹介にある見出しの「続妖怪事典」と、もう一つが、こちらの「あの世の事典」です。

「あの世の事典」のサイン、イラストが描かれた中扉

水木先生の記事を書くにつき、ちょっと自慢気にもなってしまったかもしれませんが、自慢の少ない人生なので、ご愛敬で勘弁して下さい。
先生からいただいたハガキ、本はもちろん今でもボクの宝物です。
この一回目は、そんな自分と水木先生とのことを中心に書きました。次回は水木先生の妖怪画について、その表現がどのようにして生まれたのかを解説したいと思います。
併せて、妖怪についての考察もアップしていきたいと思っています。

最後に毎度おなじみ、天才妖怪アシスタントのユウさんが、ボクの記事の紹介をしてくれているので、リンクしておきます。
彼女が作った「妖怪事典」のビジュアルやボクに作ってくれた「牡丹燈籠」のビジュアルは、水木先生が生きていればぜひ見せたかった。きっと喜んでくれたと思うのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?