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『空気人形』是枝裕和監督

 最近、見た映画で心に残っているのは是枝裕和監督の「空気人形」です。(2009年度公開)
「空気人形」とは、ラブドール。等身大の女性の柔らかい感じの人形で、恋人のいない男の人がそれを抱いて寝る感じでしょうか。

このラブドールには「のぞみ」(ぺ・ドゥナ)という名前があり、ある日突然、人間のように魂が宿ってしまいます。しかし、のぞみを買った主人(板尾創路)はすぐに彼女に飽きてしまい、のぞみは押入れの箱の中に仕舞われることが多くなります。

でも、すでに魂が宿ってしまった、のぞみは人間の世界に興味深々になり、主人が留守の間に、町へ繰り出して遊ぶようになります。
 初めて町へ出た時の、のぞみはメイド服を着ていました。でも、誰も振り向きません。
 保育園児たちが公園で遊ぶ砂遊びを真似て、砂山を作ったりもするのですが、先生や園児の誰ひとりとして、のぞみを振り返らないことが私には不思議でした。(異端な人は無視するという暗黙のルールを、子供たちは大人の背中から学ぶのかもしれません)

 最初に出会った人たちに思いっきりシカトされたのぞみでしたが、探検はそのあとも続き、水上バスに乗ったり縁日を楽しんだあと、ビデオ屋さんで純一(井浦新)という青年に出会い、のぞみは彼に恋をします。

印象的なセリフは、のぞみが純一の部屋を訪ねた時です。部屋には純一と元カノのツーショットの写真が飾られています。のぞみは、それを見て「私ね、空っぽなんだ」と言いますが、純一もまた「空っぽね、僕も同じだよ」と答えます。しかし、この二人の言葉の誤解が、後に大きな悲劇を生んでしまいます。
この「カラッポ」というキーワードは、映画の中で何度も出て来て、この物語の核となっていると、私は感じました。

物語の終盤で、のぞみは自分を作りだした人形師の元(オダギリジョー)を訪ねますが
「なぜ、私は魂を持ってしまったの?」
と、尋ねるのぞみに、彼は仕事の手を休めて、
「それは、神様がなぜ、人間を作ったの?と言うくらい難しい質問だね」と微笑みます。
そして、明確な答えをもらえなかったのぞみは立ち去る時に、人形師に「行ってきます」と言い、彼は「行ってらっしゃい」と送り出すのです。果たして、のぞみは人間の魂を与えられて幸せだったのでしょうか?

後半は少し衝撃的なシーンもありますが、私の好きなシーンは、のぞみが純平とレストランで食事をする時に🥕を食べたフリをして、フォークで、後ろにポーンと放り投げるところです。
自分の秘密を悟られまいとするその仕草が、何とも可愛らしく、それがまた自然なのです。
 もうひとつ好きなシーンは、のぞみの命が燃え尽きる寸前で、みんなが、のぞみのバースデーを祝ってくれる場面。
 のぞみは人形なので、誕生日など無いハズなのですが、決して、のぞみには優しくなかった人たちまでもが「ハッピーバースデー、のぞみ♪」とみんなで👏してくれて、ローソクが灯された誕生日🎂に、のぞみは涙するのです。

 遊覧船に乗って川の橋を頭スレスレに通った時の、陽の光り。夕方の広場で、何処からか鳴り響く「夕焼け小焼け」の鐘のメロディ。詩を書くおじいちゃんと仲良くなったり、人間として吹き込まれた短い生命を、精一杯生きた、ラブドール、のぞみ。

自分に酷い仕打ちをした人を、人はどこまで許し、愛せるのだろう。夢や孤独、憤りや悲しみの中で訪れる、一瞬の微笑みと小さな幸せ。

 残酷な場面は自分の中へ閉じ込めて、また、朝の光りが訪れる。
酸素が薄い深い絶望の闇と、無いかもしれない希望の光の隙間に挟まれながら、私の中で今日も、のぞみ(ぺ・ドゥナ)は美しく生きている。



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