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被災地で想う

結局のところ何をしたのか、不明である。
何もできなかったと言った方が早いかもしれない。

5日間、石川県にいたわけであるが、支援する側も環境によってさまざまである。

僕のように、夜待機するだけの支援もある。

水道も電気も通っていない環境での必死の支援もある。

与えられた環境下で、精一杯のことをするしかない。

僕は、昼に金沢を歩き回っていた。
美味しい物も食べた。
観光地も見た。

夜、待機の際に仮眠をとることができるからだ。
大変ありがたい一方、もっと求めてもいいのではないか、と思う。

僕らはまだまだやれる、と。

そう思っているのは僕だけかもしれない。

夜勤、それ自体が慣れていないから大変なんだ。

そうかもしれない。

被災者、それを支える地元市職員からの言葉に救われる。

あなたがいるから、私たちは夜に休むことができる。
それまでは交代で、夜も待機していた。

おじいちゃん、おばあちゃんは、不安なのだ。

だから決して無意味だったわけではない、と思い込もう。

配られたトランプで勝負するっきゃないのさ、それがどんな役割だろうと。


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