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擬洋風建築

『図説 近代建築の系譜』という本を使って学んだことのアウトプットをします。

今回:西洋文化との接触 棟梁・職人の文明開化(P16~)

幕末から明治前期にかけて洋風とも和風とも取れない「擬洋風建築」が建設された。

その中でも重要な建築は
・外国人旅館(築地ホテル) R.P.ブリジェンス、清水喜助
である。

これは日本初の本格的なホテルで、開国と共に外国人の観光客?が多くなることを予想して建てられた。

和洋折衷の意匠がとてもカッコよく、人気でした。

(Wikipediaより)

人気すぎてたくさん絵が書かれていました。

その後
・明治5年 開運橋・三井組(清水喜助)
・明治8年 成知学校(市川代治郎)
・明治8年 尾山神社神門(津田吉之助)
・明治9年 開智学校(立石清重)
・明治9年 開成館(増子儀三郎+宗形彦八)

など、明治10年前後まで日本人の職人さんによる擬洋風建築が盛んにつくられるようになりました。

その後明治12年に初めて近代教育を受けた「建築家」が登場し職人さんに取って代わり、建築界の主役となっていきました


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