27歳、冬。薄毛治療を始めた。


薄毛治療を始めて1ヶ月くらい経ちました。1日1錠、謎の薬を飲んでいます。
ねえ、薄毛治療の薬の副作用のこと、ご存知ですか?飲み始めてから1、2ヶ月でめっちゃ髪が抜けるんですって。笑っちゃいますよね。むちゃくちゃですよそんなの。この頭痛薬は副作用で頭が痛くなります、とか聞いたことないじゃないですか。涼しい顔してなるほどですね〜とか受け入れましたけど、そ、それだけは!って縋ろうかと思いましたよ。お医者にさ。

薄毛の状態はぜんぜん改善されていませんが、でも薬飲んでるしなあと思ってそれほど気にならなくなりました。希望があるかどうか、というのは何事においても重要です。80歳の老人と10歳の児童では同じくらい何も持っていないですが、これから始まるのか、もう終わったのか、という点で全然違います。僕の頭皮がこれから始まるのかというとまあそんなことはないですけど。

というか80歳の老人をもう終わった、って表現するの厳しいです。自分の中の厳しさを見ました。僕もいつか80になります。

薄毛治療の薬って、飲むのを辞めたら一気に髪が抜けるらしいです。地獄の片道切符だ。いつ飲むの辞めます?もうやめよ〜って日が来るのでしょうか。
その日の僕は笑っているのでしょうか、泣いているのでしょうか。

薄毛って、喜劇です。なぜなんでしょう、けっこう不思議です。例えば癌の治療の副作用で髪が抜けてしまった人って可哀想じゃないですか。誰が見ても悲劇です。でもおじさんの薄毛のことを誰も悲劇として捉えていない気がします。
たしか太宰の人間失格の中でその言葉が悲劇名詞なのか喜劇名詞なのかを当てるゲームみたいなの出てきましたよね。死は喜劇で、生は悲劇、みたいなやつ。薄毛はきっと喜劇名詞です。
人間って、老いというものを喜劇にしたがるのですかね。あるいはもっと広く、誰しもに訪れる悲劇を喜劇と呼ぶのかもしれません。ね。

大好きな小説、『サラバ』の中に薄毛について触れられる場面があるんですけど、そこがすごく好きなんです。

「僕は禿げていた。僕は無職だった。僕は 34歳だった。僕は、ひとりだった。」

『サラバ』西加奈子著

ここでは薄毛がまっすぐ悲劇として扱われてるんです。感動しますね。だから君も悲しんでいいのだ、と言われたようなさ。
悲しいことをちゃんと悲しがるにも結構勇気が必要だったりしますよね。

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