本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(3)
受験で顕わになった家庭の脆弱性
このような状況にあって、夫婦の会話も嚙み合わなくなることが発生していた。長男は塾で何かあるとまずは母親である私に話したがり、父親には私から伝えてほしいと言うことが多かった。そのためそうしていたのだが、そんな時、夫が話を聞きたがらないことが出てきたのだ。
どうやら夫は塾が何か言えば対応しなくてはと感じるのと同じく、私の話を聞いても対応を求められていると感じてストレスだったらしい。
夫から、「自分が塾対応をしなくてはいけないことまで考えて話してほしい」と言われた時には、一瞬何を求められているのか分らなかった。
私としては、ただ聞いて、頷いてほしいだけだったため(←自分勝手だ)、逆に夫が理解を示してくれないようにすら思えて、距離を感じてしまったこともある。
夫からすれば、感情的に状況説明する妻の姿は何も助けにならないどころか、妻と塾との間で板挟みになる自分を想像して頭を抱えたのだろう、だから自分の立場も考えてくれよと言いたかったに違いない。
以降、アクションは必ずしも求めていないこと、情報共有が趣旨だと伝えてから話すようにすると、夫も安心して聞いてくれるようになった。
話を聞いてもらいたい妻、聞いてもらって何になるのの夫
ところで、問題が発生した際に、「ねぇねぇ、ちょっと聞いてよ!」と来られて不機嫌になることのあった夫は、自分が問題を抱えた場合にも、感情的なものや葛藤していることについて誰かに聞いてもらいたいという欲求はなかった。
私が積極的に外部の相談先を活用していたのに対し、夫は特に興味なし、私が頼みでもしないと一緒に参加しようと思わなかったのもそのためだろう。
寧ろ、私があっちこっち相談しているのを見て、「相談しても、また相談して、一向に解決してるようには見えないんだけど。」と言われた時には、膝カックン並みの衝撃を受けた。
途中のプロセスが見えずに妻動揺
話を聞いてもらいたい妻と、結論だけを簡潔にの夫との間で顕著な違いがあった例である。
ある日の塾からのメールでそれは始まった
鵜呑みにしてはいけない。
以下、夫からの返信である。
これに対し、先生からは「何度も比べたつもりが、私の見間違いでした。大変申し訳ありません。」とあったため、稀に自身の過ちを認めることもあるのだなと、多少安心していたのだ。
しかしである。この日長男が登塾すると、先生が長男からフリクションペンを取り上げてしまう。新しいペンを調達し次第、親がフリクションを回収するならまだしも、さらには、よりによって先生自身が見間違いをしたその日に、である。
眩暈がした。しかし夫は平静そのもの。長男もボケっとしている。これが発覚したのはペンを取られた翌朝のことで、長男が朝課題をするのに「ペンがないから宿題ができない」と言ったことで分かったのだった。
そんなもの急に取り上げられて対応できるわけがない。消せないペンを調達するまでの間、大量に買っておいたフリクションの替え芯を使ってもらうしかないだろうと思った。しかし長男がフリクションで書いたら怒られると言う。
そうしたら夫が「ペン買ってくる」と言い、朝の超忙しい時間帯に、コンビニを2件も回って油性の4色ボールペンを購入してきたのだ。なかなか緑色のインクが売っていないのである。
正直、夫の行動にも眩暈がしそうだった。私からしたら、こんな仕打ちを受けているのに、まだ期待に応えるべく朝からペンを買いに行くなんて信じられない思いだったし、何事もなかったかのように対応している夫を見ていると、先生の行動を問題と思っていないように思えて、くらくらしてしまった。
しかし夫の考えは違っていたのである。夫がペンを買いに行った理由は、長男が一番困らないようにするにはどうすれば良いかを合理的に考えての事だった。
私が先生のやり方についておかしいと思わないのかと訊いたところ、夫から逆にこう質問された。
「先生に朝宿題を提出する時、タイムロスがあった分、いつもより課題が少ないことを指摘されるかもしれない(そのことで叱責される筋合いはない)。だから一言書こうと思うんだけど、書き方には3つ選択肢があると思ってる。お母さんの意見も聞きたい。1つ目は、あんなことがあった後でペンを取り上げるのはいかがなものかと書く。これはおそらく相手と対立することになる。2つ目は、ペンを買いに行く時間が必要でタイムロスがあった分課題が少ないですとだけ書く。3つ目は、何も書かずにいつも通り課題だけ提出する。」
1つ目の提案を聞いた時点で私は完全に落ち着きを取り戻していた。確認したかったのはそこだった。夫がそこをどう思っていたかが何よりも大事で、そうと分かれば、後のことは二の次なのである。
コミュニケーションにおける優先順位の違いと言おうか、そこが違うと衝突することもあるというのが学びだった。
しかし夫のこのコミュニケーションスタイルは長男に引き継がれている気がしてならない。長男も途中の思考プロセスや葛藤が見えず、結論にポンと飛ぶように見える時がある。
大学病院のこどもの心相談医の先生とこの件で話した際、結論にポンと飛ぶ人は誤解されやすい傾向にあり、結果自尊心に影響することがあるため、途中の説明を省かない練習は多少必要かもしれないですねと言われたこともあった。
話を戻して、この日、夫からは塾に次のように書いて送っている。
完璧だ。
因みに私も塾から似たようなメールが来て対応したことがある。
以下、私の返信。
もちろん宿題が面倒で小細工、終わらないため偽装、は親も何回か把握はしている。見つけたら注意もした。でも内心、塾の指導スタイルが誘発してる部分もあると思っていた。
いずれにせよ、懸念表明で上手くいった試しはなく、夫もそういった様子を見て、自分が最後の砦として塾の窓口対応を失敗しないようにしないと長男が困ってしまうと、かなり慎重にやっていたと思う。
何はともあれ
中学受験を機に家庭が揉める話は聞くことがあるが、我が家も例外ではなく、脆弱性が露になったように思う。今はトンネルを抜けたが、将来また何かあった時には今回のことを思い出したい。
夫も受験終了後はリラックスしていて、持ち前のユーモアをしばしば発揮している。オムライスを作ってくれた際には、何やら嬉しそうに振舞ってくれたのだが、私が無造作にスプーンを差し込みそうになると、慌てて待ったがかかり、「この文字なんでしょうか?」とケチャップで書いた文字を当ててくれとクイズを出してきた。ピンと来るのに数秒かかったと思う。
長男の中学校の最初の一文字が書かれていた。
大変だったけれど、中学の順調な滑り出しを見ても、長男に関しては、中学受験をやって良かったと思う。