凸凹

第三者の助けなくして長男を育てる事などもはや不可能とお手上げとなっていた矢先、WISC…

凸凹

第三者の助けなくして長男を育てる事などもはや不可能とお手上げとなっていた矢先、WISC-IVを受けたことでギフティッドの概念に出会う。小学校時代はこれに救われたが、落ち着いた今は時々思い出す程度となっている。ありのままの長男の成長、そして弟と妹、家族の歩みを記録する。

マガジン

  • 罰則・引き締め・監視強化【学校編】

    ・図書室に鍵がかかる ・読書を許可されている ・長男がもっと頑張ればよいのかもしれないのだが ・本が無いと息が出来ない ・代替策 ・当事者の出方は極めて重要 ・対策実行 ・ところでどうしていた ・長男にも分かってほしい ・学校ではなかなか満たされない知的好奇心 ・長男のために動こう

  • 生まれたての頃

    ・泣きの激しさ ・誕生 ・「新生児無呼吸発作」を起こす ・GCUに入院 ・3時間おきの授乳でGCUに通う ・退院 ・赤ちゃんは泣くのが仕事だが・・ ・一ヶ月検診で医師が仰天

  • 一話読み切り

    ・ものごとの両面性 ・ユーモアと屁理屈の狭間で ・通知表に嫌われて ・親子の珍妙な会話 ・ギフテッドへの理解を当たり前と考えるのはNG ・必読:特定分野に特異な才能のある児童生徒に対する学校における指導・支援の在り方等に関する有識者会議 審議のまとめ(素案) ・胸にずしりと来たギフティッドのスピーチ ・あるギフティッド児の長期追跡記録と弟妹・家族 ・ギフティッドである可能性を本人にも知らせる ・「僕が文科省なら今の学校システムを変える」そうな ・ドル円の行方はGODS' MISO SOUP ・おうちでグローバル教育with Risaさん! ・違うんじゃないか説浮上、呼び名は何でも構わない ・体を張った実験 ・僕はお母さんのことが大好きなカビなんだよ ・授業中に蕪(かぶ)になる。 ・ギフティッド(ギフテッド)

  • 子どもの心を診る

    ・子どもの心相談医を受診するまで ・ストレス症状 ・医療機関を探す ・大学病院に行く ・子どもの心相談医と合う ・家族にそういう方はいますか? ・診察を受けた感想 ・今後を考える ・追加で訊いてみた ・気負わずにと ・一応の結論 ・頭痛の先生からのアドバイス ●続編 ・提出資料、診断までの各種検査 ・心理士との面談 ・絵から見えてきた不安の強さ ・心理士からのその他アドバイス ・ADHD評価スケール ・学校からのADHD評価スケール ・B医師の診断 ・診断書 ・診断書を学校に提出 ・学校から地域の発達支援事業に相談することを提案されていた ・発達支援事業に相談してみた ・スクールカウンセラーからの考察 ・脳波から見た発達 ・大学病院を受診した長男の感想

  • 今日のぼくの良かったところどーこ?

    ・あまり叱っていなかった ・当たり前だが兄とは違う ・満たされている子 ・次男には長男とは別のアプローチを取る ・まずは読書 ・次男には、長男とは違うポイントがある ・次男の学習に付き添ってみることに ・つまづきにパターンがあるかもしれないと気づく ・小学校の面談で言われたこと ・具体的に家庭学習でやっていること ・誰しもギフテッド ・ギフテッドが「教えなくてもできる」であるならば ・長男がWISCを受けていて本当に良かった ・それぞれの良さがあると考えると ・生まれてきてくれてありがとう

最近の記事

その子の幸せの総量を考える

長男の中学受験を通して、自身の教育に関する価値観が明確になったように思う。より正確には、中学受験をしながら下の2人の子達を育てていたから見えてきたのかもしれないとも思っている。 私としては、勉強に関しては基礎学力は身につけさせたいと思うが、子供が他にもっとやりたいこと、周囲が促さなくても気づいたらやらずにはいられないような物事があるのであれば、それを全力で応援したく、それがたまたま勉強なら勉強で良くて、何であれそれを全力で肯定してもらったという感覚を持たせてやりたいと思う。

    • 本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(3)

      受験で顕わになった家庭の脆弱性 このような状況にあって、夫婦の会話も嚙み合わなくなることが発生していた。長男は塾で何かあるとまずは母親である私に話したがり、父親には私から伝えてほしいと言うことが多かった。そのためそうしていたのだが、そんな時、夫が話を聞きたがらないことが出てきたのだ。 どうやら夫は塾が何か言えば対応しなくてはと感じるのと同じく、私の話を聞いても対応を求められていると感じてストレスだったらしい。 夫から、「自分が塾対応をしなくてはいけないことまで考えて話し

      • 本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(2)

        親として中学受験を振り返る 本命校に入れた長男であるが、決して安心して構えていられるような状況ではなかった。もしかしたら違う結果になっていた可能性もあったと思う。それであったとしても、総じて中学受験は長男には合っていたと感じている。 それは長男の知的好奇心が高く、勉強が基本的には苦にならなかったからであり、見ていると、やるべき事が自然とやりたい事になっている様子があったからである。 中学受験と言うと、このように「勉強」を真っ先に思い浮かべるが、最終的に我が家は学力を重視

        • 本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(1)

          長男に中学受験について聞いてみたことがある。 私 :中学受験ってした方が良いと思う? 長男:別にしなくて良いと思うよ。 私 :もしするとしたら、何かアドバイスある? 長男:ストレスの無い状態でやるのが良いと思う。ストレスがあるとパフォーマンスが落ちるから。 「パフォーマンスが落ちる」には異様な説得力があり、親としては身につまされもした。親がストレスになったこともあっただろう。 長男:塾を辞めたことは精神的には良かったよ。ストレスは減った。 そう思えたなら何よりだ

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        • 本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(3)

        • 本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(2)

        • 本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(1)

        マガジン

        • 罰則・引き締め・監視強化【学校編】
          5本
        • 生まれたての頃
          5本
        • 一話読み切り
          17本
        • 子どもの心を診る
          11本
        • 今日のぼくの良かったところどーこ?
          8本
        • お互いを思いやる兄と弟
          2本

        記事

          生徒のための学校?学校のための生徒?

          長男の中学受験本番が始まると、ある違和感を感じるようになった。学校とは生徒のためにあるはずなのに、学校のために生徒があるように感じられることが出てきたのだ。 そのように感じるケースというのは、学校が生徒以上に進学実績に力を入れているように感じられた場合、または管理型の学校で生徒が学校の定めに従わなければ厳しい罰則があるような場合だった。学校側に求める生徒像があり、それに沿うことを求める場合と言っても良いかも知れない。 中学入学と同時に大学を意識 当時は難易度の指標くらい

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          自由な学校、わが子に合った自由

          長男と最初に志望校について話し合ったのは小4の頃だったと思う。それとなく長男にどんな学校に行きたいのかと訊いたら、「自由な学校」と返ってきたのだった。予想通りである。 「自由」で検索をかけてみると、思いのほか沢山の学校が出てくる。ヒットするだろうと思っていた学校もあれば、意外に思う学校もあった。校風で言うと全く違っていそうなのに、「自由」という点では一致するらしい。 はて、どうしたものか。必然的に、わが子に合った「自由」とは何であるかを考えなくてはいけなくなった。 「ア

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          中学受験、国語

          国語は記憶している限り、入塾して一ヶ月くらいはコツを掴むのに苦労したが、割とすぐに視界が開けた様子だった。 なぜか算数になるとあまり書かない長男であったが、記述は全般的に得意だし好きだったと思う。国語なのに記述がほぼ無い過去問に遭遇した際には、素っ頓狂な声で「記述がない!つまらん!」と言っていた。 国語は教えたり、採点するのが難しそう 我が家は長男に国語を手ほどきすることはほぼなかった。採点も算数より難しく感じられて、私は一切関わっていない。 夫は割と上手に教えられそ

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          中学受験、理科

          長男の中学受験に関して最も心配がいらなかった教科が理科であった。もともと理科好きで大量の本を読み、実験・観察する子であったため、好きこそ物の上手なれで、中学受験の理科については下駄を履いた状態でスタートしたと思う。小さい頃から元素周期表を自作したり、ニュートンも愛読していた。 理科に人生を捧げてきた分、塾でも「理科はお前ほんま、いかついなぁ」と一目置かれていたようだ。 しかし、いくら理科好きとは言え、必ず穴はある。そこを埋めるため、カリキュラムを提供してくれる場としての塾

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          中学受験、社会(記述編)

          社会の記述についても、それまでの積み重ねとしか言えない気がしているが、少し家庭で取り組んだこともあるため触れてみる。 社会も長男から教材探しを頼まれていたが、どう探しても長男が欲しがっているような”記述”に特化した教材が見当たらなかった。 困ったと、夫にも探してもらえないかと頼んでみたところ、「なら作るよ」と言って作ってくれたのが始まりだった。 以下、お正月前に夫が作ったものの一例だ。(なお、家庭内使用目的のため、言葉の選択など、より適切にすべきものが含まれているかもし

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          中学受験、社会(暗記系)

          算数については、これでもかと言うほど書いてきたが、その他の教科についても簡単に触れてみたいと思う。 まず、意外にも、退塾して長男が最初に心配した教科は「社会」だった。理由はしばらく社会をやらせてもらえていなかったために、記憶したものが抜けてしまっているのではと心配だったらしい。 本人は不安だったかもしれないが、恐らく先生としては、長男が多少社会をやらずとも不安はないとお考えだったのではないかと思う。 社会は暗記? 社会は”暗記”というイメージが少なからずあるように思う

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          算数、言われた通りに解かなかった事が功を奏した?

          これは半分冗談、半分可能性としてはあるかも知れないと思っている。 算数だけがフリーフォールになりがちだった長男を、あの手この手で安定させようと努めてきたことを書いたが、その際、1つだけやっていないことがあった。 それは、解法を教えることだった。正確には、親の方に教えるだけの技術も経験も無かったためにできなかったと言うべきかもしれない。 夫の方は1月頃、一度だけ長男の本命校の算数を1問か2問解いている。その際に、長男から手ほどきを受けたようで、夫は「こんな所にも補助線引く

          算数、言われた通りに解かなかった事が功を奏した?

          弱気炸裂、でもやっぱり勇者だった

          本命校の受験が終わってからも、まだまだ受験に追われる日々を送っていた。本命校の合格発表はまだである。そんな中、自宅に居るときの長男はかつてなく弱気モードだった。 長男:あぁ悲しい。 私 :やりきったんでしょ?別に手応えも悪くなかったんでしょ?それに今頃あがいたって結果変わらんわ。 長男:わかってるんだけどさ、でも悲しいじゃん? もうずっとこんな感じだった。 私 :わかった。じゃ落ちてる可能性の方が高いんだな?絶対落ちてるんだな?? 長男:いや、そういう訳ではないけ

          弱気炸裂、でもやっぱり勇者だった

          結局、算数の勉強時間が圧倒的に少なかった気がしてならない

          長男の中学受験では最後の最後まで算数が足をひっぱった感があるが、一方で最後まで自分の意志で集中的に取り組み最善を尽くしたのも算数だった。痛い目を見る経験をしても、それによって後ろ向きになることはなく、やるべきことに専念する姿は、「勇者」そのものだった。 過去問を解くときの横顔は、タイマーをかけるや集中モードに切り替わり、うっかり私が部屋のドアを開けても、こちらに目をやることなく、キリッとした顔でやっていたなと思う。邪魔しちゃいけないと、こちらまで緊張感を持つ表情だった。少し

          結局、算数の勉強時間が圧倒的に少なかった気がしてならない

          本命校、本番

          長男の全受験の送迎は夫が担当した。本命校も同じく夫が連れて行ってくれていた。 夫 :無事送り届けた。たくましく行ったよ。 私 :おぉ!どんな風にたくましかったの?見たかったなぁ。 夫 :こっちを振り返らずにまっすぐ入って行ったよ。 私 :かっけー。ありがと。 受験終了。 夫 :無事合流 私 :お疲れ様~!抱きしめたい。頑張ったね。どんな表情かしら。やり切ったかな? 夫 :まあまあ。いつも通りだって。 私 :それは良かった。 長男はいつ訊いても「まあまあ」し

          本命校、本番

          受験本番でかける言葉

          中学受験の話もそろそろ最終章に入った。 本命校の受験は、親にとってもそれまでとは全然違って感じられた。どんな言葉がけが良いかと考えてみても思い浮かばず、それまでは「エンジョーイ!」(夫や子供にとって重要で緊張するイベントがある日の送り出しの言葉)で送り出していたのが、そんなノリではいけないような気がした。 言葉がけに至っては、親の余裕がなくなった際にはよろしくない言葉がけもしてしまっていた。「ちょっと算数どうにかしてくれない?」や「また同じパターンの不合格はさすがに勘弁・

          受験本番でかける言葉

          偏差値

          中学受験の算数で繰り返しフリーフォールを経験しようとは思ってもみなかったのだが、おかげで算数は印象に残り思い出になった。一時は抑え校のつもりだった学校が挑戦校にしか見えなくなったりと、生きた心地がしない時もあったのだが。 我が家はそんな中でも偏差値を理由に併願戦略を変えることはなかった。自宅からの距離を理由に変更した学校が2、3校あったくらいだ。思えば我が家は最初の段階からあまり偏差値を見ていなかった気がする(夫は見ていたかもしれない)。 フリーフォールの恐怖を体験して初