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本人の振り返り、中学受験で露呈した家庭の脆弱性(2)

親として中学受験を振り返る

本命校に入れた長男であるが、決して安心して構えていられるような状況ではなかった。もしかしたら違う結果になっていた可能性もあったと思う。それであったとしても、総じて中学受験は長男には合っていたと感じている。

それは長男の知的好奇心が高く、勉強が基本的には苦にならなかったからであり、見ていると、やるべき事が自然とやりたい事になっている様子があったからである。

中学受験と言うと、このように「勉強」を真っ先に思い浮かべるが、最終的に我が家は学力を重視した受験をしていない。一番は、長男にとって苦痛の少ない場所を見つけてやることだった。その話は以前書いた。

さらに付け加えるならば、長男にとって苦痛が少ないなら、親にとっても苦痛が少ないだろうと思った。これの有無は死活問題と言っていい。

こちらの投稿をした当時を振り返ると、親子関係も大荒れだったなと、二度と戻りたくないと思う。

そして、塾に通ってみてはっきり分ったことは、親子関係が荒れる時というのは、パターンが決まっていて、長男を矯正しようと試みたり、厳しく管理しようとしたり、さらには親にも同じように行動するよう強く求めてくる人が現れる時なのだ。

こういった時、親としては、まずは長男と話し合い、長男に対して働きかけてみることをしていた(相手が不快感を示していることについて、こちらで出来ることがあるなら一旦それをやってみるスタンス)。ここで長男が反発すると、途端に親がそれを相手の代わりに受ける状態となり、親子関係にヒビが入る。結局長男を育てにくいと感じてしまうことになる。

一方で、親から先生等に物申すことも時に必要だが、これもまた地雷を踏みに行くに等しい。先方は良かれと思っているし、絶対に必要なことという思いでいるため、より強く家庭側を説得しようと動くことも多い。

こういった人から良い影響をもらうことが全くないとは言わないし、先方は先方で大変さを感じていることも事実であろうから申し訳ないとも思うが、ここから完全に開放された時、親子関係も勝手に改善するのがこれまでのパターンであることもまた事実なのだった。

よって、中学受験も校風が長男に合っていてこそ、だった。

思い詰め、そして助けられた

周りから長男を変えたいという圧力がかかる状況に直面すると、私自身、思い詰めた上、発達特性の情報に行きがちだった。今振り返ると、そこまで発達と絡めて考える必要があったのかと思う。

悩みすぎてかつて無いほどの相談先を確保して話を聞いてもらっていたが、受験が終わってから言われたのは、長男に問題があるように思えていたことも、結局は親の方が学ばなければいけなかったことが多かったですよね、だった。

まず夏頃に相談した大学病院の先生は、我が家の大変さについて、我が家に限ったことでも、長男の特性に関係したことでもなく、受験する家庭にはどこにでもあることだと言った。自分達だけが大変だと思うとしんどくなるため、それはやめた方が良いですよと。

また心理士の方からは、親が真面目すぎる、特にお父さんは責任感が強すぎますよと、塾の先生から何か言われてもそれを全部まともに受けてはいけません、身が持たない、ハリボテを置いて、これは父親という”役割”が怒られているだけで、自分は関係ない、親の役目は「はい、すみません」と頭を下げることなんだから、それだけやってれば良いんです。だからハリボテ、自分事としてまともに喰らってはいけないのですよとアドバイスをいただいた。

実はこの心理士の方とはオンラインでお話ができたために、夫にも参加してもらっていた。これがとても良かった。夫婦で会話をしているだけでは気づかない発見ができた。

カウンセリングの先生が「お父さんは割と自然に、結果で相手を黙らせることができてきた方なんじゃないでしょうか。でも今回はそれができませんよね?だって息子さんを通してだから(笑)。でも息子さんだから自分にも責任があるように感じるし、期待に応えられていないことにストレスも感じる。責任を感じるから自分まで叱られてるような気持ちにもなるんでしょうね。」と言うのを聞いてはっとしたのだった。

塾からは、「できるはず」「できないのはおかしい」「他の子はできている」と言われ続けていた。これに対して無理して期待に応える必要はないと思えるようになるまでにはかなりの時間を要した。

それこそ小6になりたての頃を思い出せば、私は防空壕の中で乳飲み子を黙らせなければいけないのに黙らせられず、鉄砲を向けられて「黙らせろ」「できるはず、母親だろ」と言われているような心境で狂いそうになっていたことがあった。

状況の比較として不適切かもしれないが、子供の頃にどこかで読んだシーンを思い出してしまっていた。そんな事を言われても栄養不足で母乳は出ないし、お腹がすいた子は泣くに決まっているのである。自分に泣き止ませる責任があることはわかるが、泣き止めと言う方が無理な話で、でも黙らせないと敵に見つかって味方がやられてしまうような状況だということも分かっていた。

長男が泣き止まなければ敵に見つかる前に味方に撃たれるのだろうし、なら自身できつく抱いて窒息させた方が良いのではないかと、長男に詰め寄ってしまったこともある。

長男はこの時限りだが、一度だけ自傷行為が出ている。これも親が第三者に相談しないとまずいと思ったきっかけの一つだった。

夫も自分事と捉えてこれに近い心境だったのだろうか。

過去の夫と私のやりとりの中に「先生に言われて、その勢いであの子のこと叱り続けてたら親子関係が本当にヤバいことになりそうでそっちのほうが心配だわ。」というのが残っているが、ハリボテでかわすことができていなかったなと思う。

(3)につづく