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長男がぶっきらぼうで困っていた頃の話

先日、夫と長男のコミュニケーションが、途中を飛ばして唐突に結論に飛ぶように見えると書いた。

そのことで、以前、長男との会話で悩んでいたことを思い出した。以下、2023年9月に書いて未投稿だったもの。


ぶっきらぼうな返し

■1■登校前、何気ない朝の状況
母 :ほら、時間だよ、早く出ないと
長男:無理

■2■宿題をしている長男のところに夕食を持って行き尋ねた場面
母 :ごはん食べられる?
長男:食べられない

■3■塾から帰宅後、寝る時間が迫っていて
母 :じゃ、ほらもう寝ようよ
長男:まだ寝られないよ?

長男も自覚はあるだろうけれど念のため声掛けをしている事柄について、自覚なし、意思なし、他人事のような返しがかえってくることがある。

特に■1■は、無理とだけ返されても困るのである。そもそもこっちの知ったことではないが、遅れるなら遅れるでどうしようと思っているのかが知りたい。

原因を考える

このコミュニケーションがうまくいかない理由の一つは、長男が結論だけ述べて、途中のプロセスを省略するからだと思っている。途中省略スタイルは心理士の方からも指摘されているが、本人は自覚がない。そして悪気もない。

そこで長男に、次のようにアドバイスしたことがある。コミュニケーションだから、例えば「わかってるんだけど」とまず相手が考えていることに同意していることを示し、それから理由等を話したら良いのではないかと。

すると長男はこう言った。「でも俺今行かなきゃとは思ってないんだよ。思ってないことを言うのは変でしょ。」とこれまた相手の戦意を刺激する。

長男の言いたいことはこうだ。もともと行かなければと準備をしていたが、途中で訳あって(大抵探していた物が見つからない)予定通り行けなくなった、よって、もう今となっては行ける状況にないのだから、行かなければとは思っていない、結論「今は行けない=無理」という様な話である。この途中を飛ばして最後だけ伝えられても、人は混乱する。

そもそも相手は長男も同じ認識でいるはずと思っていて、まさかぶっきら棒に「無理」とだけ返してくるとは思っていない。この辺りを長男が分かって行動できるようになってくれると有難いのだが。

実は、長男がぶっきらぼうに「無理」とだけ言う場合も、理由はその時々で様々だ。自分でも本当は行かなければと焦っている時に親から言われたために、やらされている感が強くなり、主導権を取られたように感じて反発したくなることもあると言っていた。親も口調がきつい時もあるため、これは反省せねばならない。

筆談を希望

しかし、このままではコミュニケーションが破綻する。

■4■
私 :唐突に「無理」とか反対の結論だけ返すのじゃなくて、説明が欲しいんだけど。
長男:筆談でも良いの?

当初、このタイミングで筆談を持ち出すなんて喧嘩を売っているのかと思った。積極的に会話したくないと言われているように思ってがっかりしたのだが、理由を訊いてみたところ長男なりの相手を怒らせないための工夫なのだと教えてくれた(できれば最初からこの説明を入れて欲しいのだがまだ訓練中なので)。

たとえば■2■のように、勉強中に私がご飯を食べられるかと聞きに来ると、長男からするとせっかく集中しているのに中断させないでくれと思って、「食べられない」とだけ回答して集中モードを継続してしまいそうになると教えてくれた。それがコミュニケーションで悪影響になるのだから、そうならない方法として筆談が安全なコミュニケーションになるのではと考えたそうだ。

いかにも面倒臭いのだが、そういう趣旨なら全く問題ない。しかし、唐突に「筆談でも良い?」と返すと、ふざけているのかと思われるリスクは高いだろうと思う。そのためやはり途中の”説明”やプロセスを省かないように努めることは、長男自身を守るためにも必要な術だと思っている。

ChatGPTか?

長男がぶっきらぼうで腹が立ってしまうことについて、「親もさ、毎回注意したり、叱るとか罪悪感あるし、どうやったら解決すると思う?」と訊くと、長男が「うーん、普通、日常生活に人は罪悪感を感じないよね。だからその状況を日常にしてしまえば解決するんじゃない?」と回答してきたことがあった。

それってどうなのよ?である。やめたいと思っている行動を当たり前にしてしまえばなんて、それでは解決策になっていない。さらには長男も解決に向けて協力する気がなさそうに映る。

なんだかChatGPTに質問したらとんちんかんな回答が返ってきたような気分だった。でもそれで思ったのだ。ChatGPTが相手なら、あまり腹も立たない。それに聞き方が悪かったのかなと思って聞き方を変えるだろう。

因みになぜ長男が罪悪感を感じる行為を日常にしてしまえば良いと提案したかと言うと、行為自体(親が注意や叱ること)を変えられないものとして条件設定したからなのだ。行為を継続しながら罪悪感を感じない様にするにはどうしたら良いかと考えた結果の回答だったそうだ。

質問する側が「行動自体を変えることで罪悪感もなくしたいのだが、行動の変え方がわからない。どうしたらよいだろうか」と聞いていれば違った回答があったかもしれない。


時は経ち、2024年4月時点、状況がどうなったかというと、こういったコミュニケーションの問題は発生しなくなっている。当時はストレス、睡眠不足、様々な悪循環の中にあってありとあらゆることが上手くいかなくなっていたのかなと思う。

今は、私が「あのさ・・」と言っただけで、「すんませーん!!」と大声で返したり、「僕が悪う御座いました!」「わかってまーす!」と言ってこちらの戦意をうまく消失させている。

ChatGPTによって救われるか?

ところでChatGPTを思ったとき、回答がいまいちなのは質問の仕方が悪いからと思えたと書いた。もし人々がChatGPT的なやりとりに慣れたなら、それこそ当時の長男のような回答に寛容になるだろうかとふと思った。たぶん、長男にしても、また状況や環境次第ではぶっきらぼうな結論だけに飛んだ返しをする事はあると思うのだ。

しかし夫にこの話をしてみたら、むしろChatGPTが普及すればするほど、人間同士のやり取りにおいては、ChatGPTとはできない人間ならではのコミュニケーションが今以上に求められるようになるだろうと言った。

なるほどそうかもしれない。

ただ、そうは言っても、インプットが悪いからアウトプットがいまいちという思考も普及するような気がしている。聞き方を変えた方が良いかもしれないという発想により、出力側を責めないでワンクッションおけるような気がした。

被害者意識があると難しい

こういった話をする中で、長男が興味深い発言をした。「自分の方にも努力が必要なことは認めるが、親の方が被害者意識を持っている中では自分にどこまで状況改善できるかわからない」と言ったのだ。

長男曰く、コミュニケーションが破綻する時、どちらが被害者とか加害者という話では無く、もしそうであるならば両方が該当するはずだが、しかし親の方が被害者意識を強く持っているように思うと何をやっても無駄に思えてくるとのことだった。

言われてみればそうだったかも知れないと思う。叱られている長男からすると、長男こそ被害者意識を持っていたとしてもおかしくはなかったのだが。

当時は親子関係に悩んでいたし、特性から来ているなら、長男に変わってほしいと思うのではなく、私の方も合わせなければと思いつつ、それもしんどいなと悩んでいた。

トンネルを抜けた今、親子ともに頑なになっているときや、リラックスできていない時に問題が起きやすいのかなと思う。どこの親子にも起こりうることでもあるし、あまり思い詰めないことも重要だったなと今は思う。