見出し画像

わたし、うつなので。

30代女性、未婚。子供なし。

これだけでも今の日本では希少種だろうけど、今回更に人生のゲームコンソールに「うつで退職」が加わった。
大学卒業後、転職を経てIT業界に入社したのは5年前。
そして今日、わたしは上司に退職の意思を伝えた。

上司はよく言っていた。

「数字がすべてだ」


途中入社の同期8人のうち、4人がうつで退職した。
最初は遅刻が多くなる。
つぎに不眠や過食の病状が出る。
3週間もすると、休みがちになる。
「きっと体調不良だ。」そう言いきかせるのはなにも当事者だけではない。
見守る同僚だって思いたいのだ。「うん、気にしすぎだ」って。

同僚や直属の上司に相談する者もいれば
無理をおして病んでいく者もいる。
まぁでも大抵は、その前にたまっていくフラストレーションの前兆がある。
言いごもったり、叱責に耐えていたり。
みんな死んだ魚の目をしていで、寝ていない。
多忙で、仕事のスケジュールさえ立てられない日々。
仕事の納期は毎回「ASAP(なるべくはやく!)」
休日にプライベートの予定を組むこころの余裕?あるもんか。
諦めモードが漂っていた。
「仕方ない」は先輩社員の口ぐせだった。

2回目になるが、上司はよく言っていた。「数字がすべてだ」と。
私もそう思う。なぜなら、今日、私は同期でうつ退職の5人目になったからだ。
満足か?あなたはいつも正しかった。
同期で入っただけでこれだから、見たこともない退社済みのセンパイ方もきっと同じ辞め方だったんだろう。
あなたは正しい。数字がすべてだ。

ちなみに、姉の誕生日に退職の意思を伝えた。
姉ちゃんごめん。なんだか別の意味で忘れられない日になりそうだわ笑

これだから若者は。

と言われそうではあるけれど。
上司には某メッセージアプリで「退職したいです」と伝えた。
たった10文字にも満たない文字を、ほんとうは何百回送信しようと思っただろう?
せめて電話で伝えろって?わかる!マナーとしてはそれが正しいよね。わたしもそう思う。直接対面で話せればそれがベストです。ただし、双方が望めば。

会社を考えるだけで嘔吐感がせり上がってくる。食べすぎ呑みすぎた翌日の朝みたいに胃が沈んでいくように。
あとに来るのは罪悪感だ。「私が悪い。至らないから。臨機応変にできないから。上司を満足させられないから。」

もういい、自分でやるから!」
語気も荒く電話をガチャ切りされた日の事がフラッシュバックする。
1日のうちに、短文で連続送信された300件超えの通知ポップが脳裏にチラつく。
待ち構えているのは「自分は無価値だ」という思考の螺旋。時間にすれば実際の叱責は1時間にも満たない間だっただろう。でも記憶は終わらない。
ああしていれば、こうしていれば、こう伝えていれば変わっていたのかも。
いつのまにか今日も夜明けだ。
また眠れなかった。

思うのだが。

他人に何かを(この場合は成果を)求めるならば、あるていど目標値のすりあわせをするべきだ。

前提条件と言い換えてもいい。双方が合意した後に破られたとき、はじめて「どちらかが一方的に責める権利」が発生するのではないか。

コミュニケーションの齟齬において、「どちらかが一方的に悪い」、という状況はありえない。
だがこの世の中にはそれを押し付けてくる奴が一定数いる。マジでバルス。○ね。天空の城のようにさっさと滅びてしまえ。

でもわたしは、今日、悪縁を絶てた。

やっと。というと、わたしが相手を非難しているように感じる人もいるかもしれない。でも実はわたしは、基本的には同僚へ感謝している。(中には心底嫌いな奴だっているが)。フラッシュバックの原因となった人も「相変わらず不器用な人だな」という認識でいる。だが仕方がない。天才肌には天才肌にしかわからない苦悩があるんだろう。周りがバカだとレベル合わせないといけなくて大変だろうと推察いたします。お疲れさまです。

原因となったことはこれだけじゃなくて
もう全部なんだろう。
合わなかったものにじぶんが無理をして合わせていただけで。
こう変えたいと思ってもそこには慣れた環境で耐えることに慣れた人たちだけが生き残っている。
考えてみると、5年という年月をすごした場所なのに全く感慨がない。

この5年間のことにとても感謝している。目をかけてくれた上司もいた。たくさんの事を教わった。たくさんのことに挑戦させてもらった。
新参者がいたせいで、業務量が増えただろう。
でもたぶん、もう二度と会うこともない。
わたしはもう、自分を傷つけたすべてを捨てたいんだと思う。
関係者ごと、まるごと。ぜんぶ。

よく「数字がすべてだ」、と言っていた上司はわたしの事を「採用費のムダだ」と思ったかもしれない。
だが、WebデザイナーでもないわたしがつくったLP(ランディングページ※広告問い合わせのページ)を約3年間、80本超にわたり使いつづけているなら、1ヶ月の広告費から考えても作成1か月目で回収している。むしろ6ヶ月にわたる月残業時間200超のサービス残業代を考えたら秒で飛ぶ。まあいい。会社員は搾取されるものだと学んだ。現在もLPを使い続けている様子を見ると、いい数字がでているんだろう。どうやら爪痕はのこせたようだ。

この日は天啓のように訪れた。

ハローワークに行き、併設されている労働基準監督署に身分を明かさないまま事情を話した。丁寧に告発することをすすめられた。サービス残業した時間は退職した後でもさかのぼって請求できる、とも、労働災害に判定されるとも言われた。
我が社ではうつが原因で早々に退職した人もいるが、休職して傷病手当をもらった人も複数いた。わたしは一応、勤務時間報告代わりのメールをすべて記録してある。もちろん宛先は会社宛て。だから国が調べたらおそらく一発審査になるのではなかろうか。(このあたりはケースバイケースだろうとおもうので最寄りの関係署に相談してください)。
告発されていないだけの黒。数年間で休職者が少なくとも3人は出ているのだ。調べればすぐにわかることである。おそらくできるだろう。いくらばかりのお金を得て、つぎに備えられるチャンスだろう。でも私がとっさに出た本音はこうだった。

いいんです。もう悪縁を絶ち切りたいんです。

もう辞めよう。辞めて、新しい職場を探そう。
こう決めたのは、2年間つきあっていてプロポーズもされた彼に、「実はうつ病で、年単位で休職している。ずっと隠していた。怒っても仕方のない事をした。ごめんなさい」と打ち明けた日だった。
私は一人暮らし。うつ病であることは実家の家族にさえ言えていない。友人にはなおさら言えなかった。言えないことを言わなくてはいけない。本当は墓までもっていきたかった。たぶん、就職先が先に決まっていたらそのまま言わなかったかもしれない。本当は隠さなくてよかったのかもしれない。だけど、世の中には知らないままの方が片付くこともあるのが現実だ。
ひたすらに苦しかった。

彼はなんと、そのまま受け入れてくれた。一瞬も怒ることなく。(仏か?)
あろうことか、泣きじゃくる私の話をずっと聞いた上で「言ってくれたらもっとサポートできたんに。」とまで言ってくれた。別れを8割覚悟していた私は拍子抜けした。

この覚悟の日からわずか1日。

「自分が無価値なんじゃないかと思ってしまう」

3年間かかって、問われたこと以外のことを初めて自ら話しだしたのもこの日だったと思う。
伏せた目で、自分の膝を見つめながら伝えたわたしに
医師はすこし考えたあと、静かにこう訊ね返した。

「価値がないと、だめですか?」

衝撃を受けた。そんなわけがない。
涙がこみ上げてくる。止められない。わたしは秒で理解した。
「価値がないとだめ。そういいきかせたのは、わたし自身なのだ」と。
医師の前で、はじめて泣いたのもこの日だった。

もし仮に『自分には価値がない』としょんぼりしている人がいたとしたら?わたしは100%『そんなことないよ!価値がないわけない!』と言うだろう。絶対にだ。例えばそれが初対面のひとでも会話した内容から良い所をつたえるだろうし、身に着けているアクセサリーや、趣味や仕事や、子育てのことを相手に話されれば、きっとその場で相手が生きて生み出してきただろう価値を語るだろう。

なぜ、他人には言える当然のことばが
自分自身には遠くとどかないのだろう?

それからは生い立ちや、家族との関係性を話したと思う。
しどろもどろで、親に小さいころ「価値がない言葉を話すな」と言われた日の事をはっきり覚えているとも。

その言葉は私の指標であり、同時に呪いなのだと唐突に理解した。

実は今も、答えはわからない。
価値はないとだめなのか。
モノで例えたらわかりやすいかもしれない?
日本でありふれた「水」は、砂漠ではガソリンより高い価値をもつ。なぜなら希少だから。

人は?アリは?コアラは?パンダは?
価値を感じるひともいれば、価値を感じないひともいるだろう。何とも思わないひともいるだろう。

わたし達は、価値を天秤に載せることに慣れすぎている。

大抵のものがお金で等価交換できるからして。
わたしにわかったのは第一に天秤にのせなくてもいいものがあるということ。第二に天秤の反対側の重りは自分の意思でいつでも変えられること。最後に、すべてのあいまいさが時にひとを救うことだ。

ちなみに。ここまで一気に書いたことはなんと、たった3日間で起こった。信じられるだろうか。私はいまだに信じられない。

このノートがいつまで続くか自分でもわからない。
でも、残しておこうと思った理由を最後に書こうと思う。

社会人だけでなく学生も。

うつや引きこもりになって苦しんでいるひとはきっとこの瞬間もいる。自○を思いとどまらせる電話センターは関係者の甲斐なくつながりにくいことも多い。そんな時、インターネットで自由になったわたしたちが目に留めるのは同じ状況の先人たちかもしれない。そう、私のように。

冒頭でじぶんの事を「希少種」と書いた。
そう、わたし達は「レア」で多くのひとからは理解されにくいのだ。
ゆえに、とても生きづらい。
酸素を奪われたコイのようにパクパクしている。
でも実はみんな水面下で喘いでいる。

自分じゃないと思えばどうだろうか。
あなたが置かれた状況になっている他人がいたとしたら、あなたはどんな風に接するだろうか。
「立てる?」「どうしたの?」「何が悲しかったの?」「そうかそうか」
少なくとも蹴り飛ばして「黙れ」とは言わないだろう。

信じて欲しい。

日本は優しい国だ。戦争もなく基本的に生きやすい国だ。あなたが声をあげたら、意思が芽生えるまで回復したら、手伝ってくれるひとや機関が沢山ある。
あなたは自分で天秤の重りを選んでいい。あなたに価値を感じるひとは絶対にいる。でもまだお互い見えていないのだと思う。あなたはきっと良くなる。良くなるというのは、多くの人が望む姿になるということではない。「あなたが本当に笑える一瞬が来る」ということだ。あなたの意思で、あなたの心が本当に望む感情を手に入れるときがくる。

昔から。

家庭にも、学校にも、どこにも居場所がなかった。
不登校もした。引きこもりもした。社会人になってうつになった。
でもそれなりに進学して、他人とそれなりに話せるようになっている。
モテてもいるがどうやら恋愛感情面は薄い。優先順位がどうしても上がらない。でも多分、昔よりは生きやすくなった。おそらく自分が自分のことを受け入れるようになったからだ。「こうじゃないと愛されない」「こうじゃないと否定される」が弱くなり、少なくなった。そう。思い返してみれば中学生のときのわたしはスーパー毒舌サイコだった。全部を憎んでいた。
怒るのをやめたのは、単純に疲れるからだった。怒るにはエネルギーがいる。面倒だった。基本的に人間に興味がない。動物もあんまり好きじゃない。画面越しならいいけど。

話をもどそう。

私はこれから、就労移行支援サービスをつかって求職活動を再開する。同時にハローワークにいき、適性検査とキャリアカウンセリングも受けた。市役所へ申請手続きをするので今月中には通い始めるだろう。慎重派だがこうと決めたらフットワークは軽い。
予約、相談、行くだけだ。
私も選ぶが会社も選べ。そのくらいの権利はやろう。我々はwin-winの関係だからして。

ところであと二ケ月分で生活費が尽きる。どうにかします。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?