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#6号北上計画 で人生を振り返る

『仙台まで自転車で走って、牛タンを食べよう』


大学2年だった2015年のGW、
友人の一言が人生を変えた。

この一言を夢から現実に変えるために、
人生で初めて"旅"と言えるような
生きてきた価値観の変わる経験をした。

いまでこそ日本各地への自転車旅、海外バックパッカー旅、
週末岐阜県民の2拠点生活など行動の幅も広くなったが、
当時はそんな活動的な性格ではなかった。
1泊2日の旅行経験すらも少なかった。

そんな私の人生観を大き動かし始めたのが
仙台を目指して国道6号を北上した自転車旅、
通称 #6号北上計画 である。

この夢を叶えるため過去3回の挑戦をしてきた。
しかし、着実に成長を実感してきたものの
これまで失敗に終わっていた。
というより、成功させることが叶わなかった
という表現が正しいのだろう。

国道6号は東日本大震災の影響を受けて、
自転車での走行がそもそも認められていなかったからだ。

そして11年以上の復興活動によって、
待ち望んだ自転車での走行が可能となった。

2023年のGW、国道6号の全線開通とともに
夢だった #6号北上計画  を叶えるチャンスが来た。

たった数日のことを大げさに見られるだろうが、
この旅なくして今を私を振り語ることはできない。
だからこそ今、自分の言葉で書き残そうと思った。

まずは3度の挑戦を振り返ろうと思う。

#6号北上計画 take① 2015


特に予定もなかった大学生のGW、
友人から連絡が来た。
「明日から自転車で遠くまで走らない?」

断る理由もなかったので「分かった」と返した。
そして伝えられた詳細はこうだった。


『仙台まで自転車で走って、牛タンを食べよう』


とにかくよくわからなかったのだが、
友人となら楽しくやれるのではと思った。

前日の誘いにも関わらず大学の同期4人の参加が決まった。
これが僕たちの旅の始まりの瞬間である。


しかし誰も自転車旅の経験などない。
どこまで行けるかわからないので宿の予約のしようもない。
日数的にも仙台に行くことは無理そうだったが、
つくば近くを通る国道6号が仙台まで繋がっていると分かり、
行けるところまで北上してみることだけ決めた。

僕たちは #6号北上計画 と呼ぶことにした。

当時のTwitterを遡ってみた
とにかく急遽決まったことだった


前日の思いつきで決まったので必要なものもわからず、
最低限の睡眠のために寝袋とランタンを調達した。
衣類は間に合わず、パーカーやジーパンを着用していた。
寝袋をママチャリの荷台に結び付けて出発した。

出発前の集合写真。完全に夜逃げ前だ。


出発後は極めて順調だった。
つくばから土浦、そして水戸を超えてひたちなかへ。
公園に寝袋を広げ、野宿で一夜を過ごした。
見るもの・経験するもの全てが新鮮で楽しかった。

真似してはならない


眠い中朝を迎えて出発。
日立に入ってからアップダウンの連続に涙したが、
地域の方との交流も楽しみつつ福島県に足を踏み入れた。

これがはじめての東北だった。

「福島県」の入り口まで辿り着いた瞬間
あまりの嬉しさで鮮明に覚えている


いわきから先、どこまで北上して折り返すか
というところで気づいたことがあった。


『東日本大震災による影響でこの先自転車は通行できない』

福島県に入り『震災』の一片に触れることが増えた。
今まではどこか人ごとに感じていたことが、
一気に身近なことに感じた。

楽しくて辛かった旅は、
大きく考えさせられた旅に変わった。

工事の進む国道6号


そのためこれ以上の北上を諦めて、
つくばまで戻ることにした。

2泊3日の旅を終えて体はすり減ったが、
得られたものはとても大きかった。

知らなかった世界への好奇心が高まり、
足を踏み出すハードルが格段に低くなった。

何も予定もなく終わるはずだった2015年のGWは、
今後の人生を大きく変えた旅のはじまりとなった。

#6号北上計画 take② 2016


国道6号の開通の知らせはなく、1年が経った。
このGWも、同じ4人で自転車旅をすることが決まった。

今年の計画はこうだった。
『仙台まで4号を自転車で走り牛タンを食べる』

まずは4号を目指すため栃木県へと向かった。

鬼怒川を渡る頃には24時だった


翌日は白河までの上り坂は多少辛かったが、
無事福島県へと入り郡山まで行くことができた。

しかし翌日は大雨の予報で、仙台までは
間に合わないと判断して戻ることにした。
2回目の挑戦だったが、
今回も仙台にたどり着くことはできなかった。

雨対策は自治体のゴミ袋

来た道を戻るくらいなら違う道の方が面白いということで、
いわきを経由して戻ることにした。

下り坂が気持ちよかった

そのまま6号に合流して
1年前に走った道でつくばへ戻ることにした。

茨城県北の海沿いの風景は印象深い


#6号北上計画 ならぬ6号南下ではあったが、
6号を走り1年前のあれこれを思い出した。

日立の坂道も難なく走れた

『あの時何もできなかった僕たちは
こんな風に変わったんだ』
この1年間で数々の自転車旅を経験したし、
授業でも地域に対する考え方を深めてきた。
やりたいことや、生き方が少しずつ定まってきた。

#6号北上計画 take③ 2018


大学院に進学した。
院進学した友人3人と仙台を目指す
自転車旅をGWに計画した。
しかし、様々な事情もあり
”仙台へ行く旅”ではなく”仙台から戻る旅”となった。
新幹線に乗って仙台へと向かった。

念願の仙台に着いた
到着早々に牛タンを食べた。

国道6号を南下して最初に目指したのが宮城県岩沼市。
所属する研究室と岩沼市の共同プロジェクトで
震災前の景観をバーチャル空間に復活させた。


自分の目で確かめようと、現在の景観を自分の足で見に行くために海沿いへ来た。

海沿いの嵩上げされた小高い丘は
千年希望の丘として復興の象徴とされている



⇩震災前の景色(再現)


⇩震災後の景色(実際)

道の一部は昔のままだ

たまたまではあるのだが、大学の学問の延長線上で
自分を変えてくれた東北に、しかも6号の通る自治体の
復興に一部でも携われたのは嬉しかった。


そして岩沼市から先の6号は、まだ走ることはできない。
一部4号へと迂回する形で走ることにした。


何事もなくつくばまで戻ってきた。
やっといけた仙台。
やっと食べた牛タン。
僕たちの当初の目標は達成できた。
達成感もあったけど、心は晴れやかではなかった。

仙台に行くことも牛タンを食べることも
あくまで過程の1つにすぎない。
本当に見たかった景色や経験への挑戦はまだ達成できてない。

国道6号を完走することに意味がある。
このまま終わるわけにはいかない。


この自転車旅以降、国道6号を走ることはなかった。
自転車で完走できるその日が来るまで。

#6号北上計画 take④ 2023


そして2022年夏。
国道6号全線通行止め解除の知らせを耳にした。
東日本大震災から11年の月日が経っていた。

頭から離れることのなかった『6号北上計画』
ついに夢を叶える環境が整った。

迎えた2023年。
夢の始まりでもあるGWがやってきた。


東京から国道6号を経由して仙台まで自転車で走る旅は
どんな形で終えるのだろうか。


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