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御先祖様の祀り方を通して自分なりに考えたこと

先日、とあるお宅でみたま様に関する式を取り行った。
みたま様は、とても熱心にこの道を通り切ったご婦人さん。
ご主人様は、このご婦人さんよりも先に出直し、すでに故人。実は、ご主人様は、仏様。
当家の御先祖様の祀り方が仏式だったので、その式に則って、ご主人様の葬儀が執り行われた。
その数年後にご婦人さんのお出直しの節となったわけだが、家族親族は、真っ直ぐに天理教の信仰を通り切った姿を偲んで、葬儀は天理教式にて執り行い、みたま様として祀ることになった。
つまり、一つの家に、お仏壇と、神実様と、みたま様が同居するカタチとなった。
これは今から10年前のこと。

その後、近隣に住まいを構えるご長男さんは、さまざな諸事情で父親の仏様だけを自宅に迎えお祀りした。母親のみたま様は、そのままのカタチで元の家の神床。
夫婦が別々の屋根の下に祀られることとなった。
これには、ちょっと事情がある。ご長男さんの奥さんは、統一教会を熱心に信仰する方。ご長男さんが、そうした奥さんからの影響を受けるのに、そんなに時間はかからなかった。そして、「仏様はともかく、天理教のみたま様を祀るのは、ちょっと、、、」との奥さんの意向でこうなった。

夫婦が離ればなれに祀られるようになった状態を、「両親があまりにも不憫でならない」と心配していたご長女さん(二世帯住宅を建て、実の両親と暮らしていた)が、「両親を一緒に祀ってあげたいので、いろいろと相談した結果、母親のみたま様を仏式へと改式し、兄(前出のご長男さん)の家に祀ることになりました」と私に連絡があった。

私は「はい、分かりました。菩提のお寺さんにご相談くださいね」と、気持ちは複雑だったが、ご長女さんの申し出を了とした。
ご長女さんはすぐにお寺さんへ相談に行った。
ことの次第を聞いたお寺さんの申すには、「〇〇さん(みたま様であるご婦人さんのこと)は、熱心に熱心に天理の教会に参っておられたことは存じてます。改式せずとも、みたま様のままご主人さんの位牌の横に祀ってあげるのも一つですよ」と話してくれたそうだ。
ご長男さん家族のほうも、このお寺さんの提案を受け入れてくれた。
私は、お寺さんの申し出に感謝した。

お寺さんの提案は、ご長女さんにとっても嬉しい話だった。なにしろご長女さんは、母親のひたむきな信仰の背中を見て育ち、嫁ぐ前に修養科を卒えて、家庭を持ってからも足繁く教会に運んでいた。その夫も、ご長女さんの信仰にとても理解を示し、時折、夫婦で教会にもお越しになり、私どもとお付き合いが続いている。

両親の仏様とみたま様の、行き先と祀り方が決まったところで、ご長女さんが、式の日取りの相談にみえた。すると、思いがけないお知らせを聞いた。
「数年前に、兄(前述のご長男さん)は亡くなったんです」と。
70歳。今の時代、70歳でご生涯を閉じるのは少し早い気がする。ご病気だったそうだ。ご長男さんのお子さん達は、それぞれに家庭を築き、独りとなった奥さんは、小さな賃貸で侘び住まいをなさっておられるそうだ。
私も父親も、信仰上の理由から法要や年祭にあまり顔を出さないこの奥さんとは、ほとんど面識がない。人柄も知らない。
だけど、ご長男さんの実家の両親を、仏様とみたま様のままで祀ってくれるという。しかも、代々のご先祖の仏様と共に。
私は、統一教会を信仰なさっている方が、その式で葬儀を取り行った場合、どのようなカタチで祀られるのか、知識がない。が、ご長男さんの奥さんは、全てを受け入れてくれた。感謝だ。

件のご婦人さんの10年祭とみたま様の遷座の日。
なんだか複雑な思いを抱きながら当家に向かった。久しぶりの訪問だった。ご長男さんの奥さんがすでにいらっしゃてて、私に笑顔で丁寧にご挨拶くださった。二世帯住宅を構えるご長女さん夫婦も笑顔で気持ちよく迎え入れてくださった。
ひと通りの挨拶ののち、座敷に祀られている神床の前にて年祭を始めた。
祭文奏上。みたま様のご生前の信仰の姿を偲びつつご事歴を述べ、そして、このたびの年祭を仕切りとして、みたま様はご主人様の仏様がお鎮まりくださるご長男さん宅へとお遷りいただく旨をもしたためた。
祭文を奏上する私の後ろから、シクシクと、溢れ出そうな感情を抑えるように静かに泣いて(いるであろう)仕草が伝わってくる。ご長女さんと、ご長男さんの奥さんだった。
お一人ずつ、みたま様に参拝。ご長男さんの奥さんの番だ。
私は、視線を伏せつつも、恐る恐る、奥さんの様子を伺っていた。すると、奥さんは、姿勢を正し、みたま様と正面に相対し、静かな視線で、我々がみたま様に礼拝するときと同じ作法にて、深々と参拝なさった。
私は感動してしまった。そしてなんだか、ホッとした。
式ののちのご挨拶の時も、ご長女さんと奥さんは目に涙を浮かべたまま、私の話を聞いて下さった。
そして、霊舎からご婦人さんのみたま様を抜き取り、別誂で製作してもらった移動用の桐の箱にお納めし、奥さんに託した。
奥さんは帰り際に、再度、天理教式の参拝の作法を自身に言い聞かせるようにしっかりと確認して、「大切に祀らせていただきます」といって、侘び住まいたるご自宅へと帰宅なさった。

「これでよかったんだ。」私は、今回のことを自分自身に納得させるように呟きながら、中身のなくなった霊舎とお道具を片付けた。

今回の出来事は、あまり心が晴れなかった。

代々のご先祖様の祀り方が仏式である家のご夫婦。ご主人様は、天理教の信仰を持った件のご婦人さんと結婚し、それが私どもの教会との縁となって、おぢばに席を重ねてよふぼくとなり、退職後は修養科、検定講習へと進み、私の祖父が会長時代に教会役員となり会計係を長年勤めて下さった。当然、ご婦人さんの信仰はますます進み、ご長男さん、ご長女さん共によふぼくとなった。その、ご長男さんの人生の伴侶となった方が、統一教会を熱心に信仰なさっていた。前述の通り、ご長男さんが統一教会の信仰へと傾倒するのは自然の成り行きさだった。そして、ご長男さんは実家と疎遠になっていった。
家庭を持ったご長女さんが、実家の両親と二世帯住宅を建築し、一つ屋根の下に収まった。これには、ご長女さんの旦那さんの理解が必要だったが、この旦那さんがとても優しく聡明で、天理教にも好意的だったことが「幸いした」。ご婦人さんのみたま様を兄宅へと遷したあとも、「神実様はそのまま祀りますよ」とも言ってくれている。

私は、「幸いした」と書いた。
「幸いした」のは、誰なのか??
信じた道の相違で、こんなにも「もつれて」しまって、いったい誰に幸いしたのか?
この記事を書いていて、私自身、とても心が晴れない。
しかし、前述のお寺さんの申し出に感謝した。
「幸いした」と感じたのは、実は、私だけだった。
あゝ、改式を免れた、信者さんが減らなくてよかった、そらそやろ、一度みたま様として祀ったのに、なんで改式? は?
という、浅はかで傲慢な気持ちが1ミリはあったんだと思う。5ミリかもしれん。いや10ミリだわ、、、。
だから、一つ屋根の下に仏様とみたま様が同居する状態であっても、しかも、そのことできっと悩んでいるであろうご長女さんに、こちらから解決のきっかけを持ちかけることを、私自身が避けていたんだと反省した。
そして、家の御先祖様の祀り方が「もつれて」しまった、とも書いた。
「もつれた」と感じたのは、私だ。それは私の主観であり都合。亡くなったご長男さんの奥さんにとっても、「主人の実家は仏式なのに、義母は天理教のみたま様で、、」と、多少なりとも悩まれただろうことは想像に難くない。

“主観的な立場で物事を考えていた”
このことを、今回とても反省した。
物事の理解は、自分自身の主観だけではダメだ。お相手さんの立場に立ってじっくりと考えてみることも大事。

天理教は、他宗教を排他的に扱うことはしない。
しかし、我々の天理教の教えが一番尊いんだ、一番偉いんだ、という高慢や驕りはなかっただろうか。

ちょっと話が逸れるが、以前、ある葬儀会館に行き、スタッフさんと式の段取りについて相談をしていた時のこと。私は、どこに行っても会館スタッフにあれこれと注文をつけることはあまりしない。その時のスタッフさんとは長年のお付き合いで、冗談話もする仲だが、その方が「先日、天理教さんの葬儀があってね、齊主の先生は遠方からいらしてたんだけど、まあ、偉ぶった爺様でね。『俺の(葬儀の)やり方はこうなんだから、そのように段取りせよ』的なね、、、。」
返す言葉が見つからなかった。私は、恥ずかしくなった。その偉ぶった爺様に代わり、スタッフさんにお詫びを伝えた。

万事、陽気に思案を進め、関わり合う方々みんなが笑顔になれるようなお付き合いを心がけなければ、陽気ぐらしはほど遠い。
ややもすると、親神様の教えを聞く私たちが、むしろ道を暗がりにはしていないだろうか。

一人ひとり、生きる信念は違うのだ。
大切に、義母である件のご婦人さんのみたま様を胸に抱き、亡くなったご長男さんの実家を後にする、その奥さんの小さな背中を拝まずにはおれなかった。「お元気で長生きしてくださいね、信仰を大切になさって下さいね」と祈念しながら。

-了-

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