見出し画像

諦めない丹精

先日の記事「大西伝一郎」にて、転校したけど、どうしても新しい学校に馴染めずにいた児童を、大西伝一郎校長先生は、何ヶ月も、気長に、「諦めずに」、その児童に寄り添って、ついには元気に登校できるようにまで導いた話しを記事にしました。

私はこの記事を書きながら、ふと、2023年10月26日、秋季大祭での真柱様のご講話を思い出しました。

『私たちが教祖のひながたに思いを致すときに、教祖はあのときこのようにされたとか、このように仰せになったということを思い出して、よく参考になされることと思うのであります。それはいいことなのでありますが、まずは教祖は、五十年もの間、どんなことが起こっても諦めることなく、丹精し続けられたということを、これもひながたとして忘れてはならないことなのではないかと思うのでございます。』

この部分のお言葉です。
“どんなことが起こっても”には、簡単には言い表すことのできない、おやさまの身の上に起こった様々なご事歴がありますし、また、たとえ相手がどのような人であろうとも、と様々な周辺の人々のこともあろうかと思います。
そんな中でもおやさまは、“諦めることなく、丹精し続けられた”のでした。

大西伝一郎先生の、児童一人ひとりに接する態度、とりわけ、件の不登校児への姿勢は、常に児童目線で、児童の立場に立って、児童の心に寄り添って、“諦めることなく丹精し続けられた”おやさまの御姿そのものだったように感じました。

以下は、私の失敗談といいますか、過去の反省です。

私が教会長になって、まず実感として身に迫ってきたのは、お預かりする教会に縁あって引き寄せられた信者さん方一人ひとりの人生でした。
信者さん方それぞれの人生の節目に、直に関わり合うのです。
喜ばしい事、お祝い事、そんな節目に教会にお礼の参拝にお越しになられ、私も共に喜ばせて頂くことは、教会長として本当にありがたい事だなぁと思います。

しかし、嬉しい事ばかりではありません。順風満帆な方々ばかりではない事は、百も承知です。
時として、悲哀を伴う大きな節目に遭遇した方々は、ある日突然にやって来ます。
なんとかお守り頂きたい、なんとかこの節目を乗り越えたい、と藁にもすがる思いを募らせて教会にお越しになります。
教会に来た時点で、すでに事態は随分と良くない方向へと進んでいる場合がけっこう多いです。

そうした方々のお話をじっくりと聞けば聞くほど、私は「おぢばへ!」との思いが去来します。そして、もし三ヶ月の時間のお供えができうるなら、修養科をオススメするのです。
おぢばなら、きっとたすかるんだ!
という信念あっての事です。

問題を抱える方々に修養科を志願して頂き、最初の面接まで同行し、さぁこれから三ヶ月、どうぞ勇んでお勤めください、と送り込む。
三ヶ月後、まるで別人のように、以前の問題はどこにいったの?と目を疑うばかりに、そんな親神様に良きようにお導きいただかれた方がいらっしゃった反面、修養科を途中で辞退せざるを得なくなった方々もこれまで3名いらっしゃいました。

3名とも、私がお迎えに行きました。
3名とも、修養科中に事態が悪化しました。
お迎えに行き、おぢばをあとにしてからの帰りの車内は、重い空気感でいたたまれません。

修養科を志願するまでの時間、教会(長)として、してあげられることがもっとあったのではないか?
修養科に行けばなんとかなる、と安易に考えていなかったか?
教会(長)としての丹精を諦めていなかったか?

『諦めずに丹精し続ける』
これは今の私にはとても切実で重要な課題です。
人の人生に直に関わり、喜怒哀楽を共にし、共に喜び、共に泣いて、節目にぶち当たった時は、光明が見出されるまで共に御教えを求めてもがき、そして、みんなが笑顔になれるその日まで、諦めない!そんな思いを新たにした今日この頃です。
『丹精』などと、主体が私であると考えている時点でおこがましいのですが、イチ教会長として、いや、イチよふぼくとして、たすけの道を邁進したいと思います。

そして、私は、この合言葉が大好きです。

「おやさまならどうなさるだろう」
        と、心する三年千日

津軽大教会の活動方針です。
おやさまは、どんなことが起こっても、諦める事なく丹精し続けられたからこそ、今の私たちの道があるんですね。
ありがたいことです。

今週も最後までお付き合いいただき、大変ありがとうございました。
深く感謝致します🙇‍♂️

オマケ
といっては講師に失礼なのですが、前述の真柱様のお言葉について、2023.12.21の月次祭で神殿講話なさった記録がありますので、宜しければこちら↓↓↓もご覧いただければ幸甚です。講師は、私ととっても仲の良い同僚の教会長さんです。

ではまた来週です👋

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?