童話とは、鳥のような存在なのかもしれない

 文章を書くにあたって「童話」というストライクゾーンはどういう範囲なのか、書くネタもアイデアも何もない段階でわたしはそれを考えていた。
 童話とは何か、という程度のことは承知のうえで文章をすいすいと仕上げる方も世の中にはおおぜいいらっしゃると思うのだが、わたしはそうではない。いつまでも取り掛からずぐずぐずとしている。

 ぐずぐずとするには理由がある。野球でいえば、自分の書いた文章というボールは、えいと投げたあとストライクゾーンに入らなければならない。ストライクゾーンとはこの場合、童話という概念の内側である。そのストライクゾーンがわからない。だからぐずぐず。

 ひとことでいえば「童話ってなんですか」である。

 さて、童話ってなんですか? そういえば童話と児童文学とを並べると児童文学のほうが広い概念のように思えるが、明確な違いをわたしはしらない。児童文学とはなにか。これを考えるきっかけとして下記の文章がある。

小川未明までの児童文学がおもに硯友社系の作家によって担われたという事実は、「児童文学」の生誕がたんなる歴史的連続性においてではなく、一つの切断・転倒として、あるいは物質的形式(制度)の確立としてみられねばならないことを示している。

柄谷行人 日本近代文学の起源 原本

 日本において児童文学という概念は西洋から輸入され、明治時代に解釈がなされてきたとみなすのが一般的であるようだ。これは(他の概念にも言えるが)日本で自発的に発見・醸成され国内で一般化されたものではなく、急速な欧化政策に伴う外部思想の解釈と(表面的な)定着が行われたことを意味する。
 これが「一つの切断・転倒として、あるいは物質的形式(制度)の確立として」と表現されているものであって、引用した文章で柄谷が言いたいことは「日本にとって児童文学は、明治になって入ってきた新しい概念だった」としてよいように思う。

 さらには(主に児童文学の旗手とされた)当時の作家たちがこの概念をどう理解していたかを考察するにあたり、柄谷は児童と文学それぞれの概念を発見することによって児童文学というジャンルが成立するんじゃないですか、ねぇ、と言っている。

 童話作家は「児童」という対象をおそらくこう捉えていたのではないか。ひとつには、自らの書く作品を読むべき対象、もうひとつには、自らの作品を含む"良質な作品"を読み血肉とすることで具体的な成長を遂げるべき対象である、と。それはとなり近所にいる個体としての児童ではなくあくまで概念上の「児童」である。
 この「児童」という概念は作家たちの視点から児童とはこういうものであってほしい、こうあるべきではないか、と見たある種の願望・理想だったように推測される。
 児童という概念は、個体をいくつも観察することで大人とは異なる性質(具体的には、多くの場合おとなには見られない未成熟な側面)を発見し、それを公約数的な共通項で括ることで成立しうる(おそらくルソーはそのような過程を経たはずだ)。日本における「児童」の概念はそれとは異なる履歴を辿っているものの、ここでは未成熟かつ可塑性のある存在を成熟した確固たるものへと導く重要性が認識されていたように思う(大人の考える成熟のベクトルは文化や時代背景によってさまざまあるが、ここでは触れない)。

 そう考えると、作家がこの「児童」のために書く作品は、どこにも存在しない架空の人間に向けて書かれたものではあるが、子供に何かを読ませたい親、啓蒙的な批評家、あるいは教育的な立場の人間にとっては好評だったことだろう。
 そこから児童文学は「児童の読むべき、情操教育にふさわしい作品群」という立ち位置を得たのではないか。これについてはいくつもの解釈が可能だけれども、わたしは肯定的に捉えたい。

 「児童」の成長過程を鳥の姿に重ね、雛が成長し大空へはばたくように、と願うのはいくらか情緒的な解釈ではあるものの、あり得ない話ではなかっただろう。
 そうなると、童話に込めた思想を鳥というmetaphorに託すのは自然なことに思える。親鳥は雛に必要な文学的栄養を運んできて、雛はそれを糧に社会へと羽ばたいてゆく。
 日本における最初の児童雑誌が「赤い鳥」という名前なのはそのような考えがあったからではないか、というのは勝手な空想だけれども。


 noteから生まれつつある童話集もウミネコという鳥の名を冠している。童話をまとめたものが鳥と縁があるのは、偶然ではないのかもしれない。


そういうことである。