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大迫傑という選手について思うこと その2

7月25日 練習記録 

距離 10キロ 平均心拍数 131bpm 最大心拍数 161bpm

ラップ/km 5分41秒 5分47秒 5分51秒 5分47秒 5分49秒 5分54秒 5分39秒 6分41秒 5分51秒 5分47秒

使用シューズ フューエルセルレベルV2

今日はコースの途中で1km以上上りっぱなしの箇所があるコースを設定しました。ペースを落として走りながら、負荷はかけられたのではないかと思います。

前回の記事で書いた大迫傑選手についての続きを書いていこうかと思います。

最後の箱根駅伝では、結果を残せなかった大迫選手ですが、アメリカでの練習に手ごたえを感じていたようで、卒業後は駅伝の強豪実業団である日清食品に所属しつつ、練習の拠点はアメリカのオレゴンプロジェクトでという形をとっていました。この形を許した日清食品はなかなか懐の深い会社だな、と当時思っていた記憶があります。大迫選手の社会人1年目は、日清食品のユニフォームを着てレースに出場し、お正月の全日本実業団駅伝にも出場していました。私はてっきりこのまま大迫選手はこの企業に所属しつつアメリカで練習を重ねるという形をとるもんだと思っていました。

しかし大迫選手は、わずか一年で日清食品を退社し、オレゴンプロジェクトの正式なメンバーとして本格的にアメリカを拠点にすることとなります。あくまで推測ですが、彼は日本で実業団に所属しているとたびたび帰国しないといけないことや、駅伝に出場しなければいけないことをデメリットに感じ、より競技に集中できる道を選んだのでしょう。より競技に集中できるとはいえ、日本企業に所属して競技を続ければ、ある程度の生活の安定は保障されているにも関わらず、自分が強くなるために安定を捨てて選んだ道に飛び込んでいける意志の強さは素晴らしいと思います。

このような形で実業団を飛び出し、海外を拠点にプロとして活動している例が当時日本にはなかったため、期待する声もありましたが、当然心配する声、どうせ失敗するとあざ笑う声もあったと思います。

しかしそんな中で彼は3000m・5000mの日本記録を更新し、満を持してマラソンに挑戦します。2017年のボストンマラソンに出場、歴史と伝統のあるレースで見事に3位入賞を果たし、その年の12月、福岡国際マラソンに出場し、2時間7分19秒というすばらしいタイムで走りました。

そこからさらに準備を重ね、2018年のシカゴマラソンで、快挙を成し遂げます。2時間5分50秒という日本人で初めて2時間6分を切るタイムを出したのです。一躍日本のマラソン界のエースとなった彼は東京オリンピック代表の最有力候補となりました。

その後大迫選手は2019年9月に、東京オリンピックマラソン代表選考レースであるMGCに優勝候補・代表最有力候補として出場しました。代表枠は3つで、2位以内に入ればその場で代表に内定します。

私は当日テレビにかじりついてレースを観ていました。スタート直後に、前日本記録保持者の設楽悠太選手が集団を飛び出すなか、常に集団のなかでクレバーにレースを進め、冷静な表情の大迫選手をみて、このままいけば代表権を手にするのは間違いないと思ってみていました。しかし、レース終盤に富士通所属の中村選手とトヨタ自動車の服部選手が素晴らしい走りを見せて、大迫選手は3位でのゴールとなりました。代表の自動内定とはならなかったのです。一発で内定を決められず、落ち込んでいるかと思っていたのですが、インタビュー時の彼は、前を向いて切り替えた表情をしていたように見えました。

プロとして活動している限り、結果を出すことは大事だが、マラソンは失敗することもある、そこに引きずられず、切り替えて次のレースで結果を出すことにフォーカスすることができる。様々な修羅場を潜り抜けてきたプロランナーとしての矜持をみた気がしました。

ちょっと長くなりそうなので今日はこのあたりで。

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