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楽しく作って丁寧に壊して全力で棄てる

Y野先生の話

とある数学教師・Y野先生について書かせてください。
高校3年時の僕の担任教師であり、1998年当時は(多分)35歳くらい。つぶらな瞳とふっくら丸顔、切なげな眉根、髪型はピッチリ横分けという愛くるしい相貌の中年男子です。

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何と言うか、2次元にも3次元にも具現化しやすい、シンプルかつ特徴的なフォルムを備えた素晴らしい先生でした。懐かしいです。お元気でしょうか。

文化祭前の、ありがちな一幕

1998年10月。高校三年の秋。そうです文化祭です。僕のクラスの企画はアイスクリーム屋でした。
あれは文化祭当日の1週間前だったと思います。リア充が「みんな!放課後に文化祭の準備しようぜ」と言い放ったがために、ほとんどのクラスメイトたちが教室に居残っていました。

世の大多数のプロクリエイターさん達と同様にスクールカースト最下層に属していた僕も、なんとなく流されて居残っていました。

アイスの仕入れ量とか料金設定とか、お店をどう飾り付けるかとかビラ作るかとか、リア充達が「あれしたい」「ああしたら面白い」と盛り上がっております。
スクールカースト最下層(って長いな以降スンカスと呼ぼう)な僕は少々手持ち無沙汰で、リア充どもがちんちんかもかも、もといキャッキャッウフフしてるのを尻目に、スンカスらしくぼんやりしていました。

ふと見ると、手の届くところにいろいろモノが転がってました。トイレットペーパー、ガムテープ、空の2Lペットボトル、空気の抜けかけたハンドボール... リア充たちが「お店の飾り付けに使えるかも」とかき集めてきた資材なのですが、彼ら彼女らはそんなものそっちのけでちんちんかもかも、もといキャッキャウフフしています。

手持ち無沙汰なスンカスは、ふと思いました。
「そうだY野先生作ろう」と。

Y野先生のモックアップを作る

前述の通り、Y野先生は具現化しやすい御方です。
ボールにトイレットペーパーを巻きつけて頭部を作り、黒ガムテープを切り貼りして顔をつくり、ペットボトルに紙を巻きつけて白衣を着た胴体っぽくして、丸めた紙を2つ胴体にくっつけて、ついでにダンボールで看板ぽいもの作ればお店のマスコット人形完成です。

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なかなか良きものができたぞ... と独りフフフと笑っていると、ちんちんかもかも、もといキャッキャウフフしてたリア充どもがなにやら此方に興味を示してきました。

「なんだこれ面白ぇ!」「キモかわいいー」「これ使えるべ!使うべ!」と盛り上がりだしました。塵芥の如き瑣末な命を生きてきたスンカスの所業が注目された瞬間です。

ひょんな事から生じた共創空間

そして、リア充どもが言うのです。
「これたくさん作って学校中に置こうぜ!」と。

スンカス「え、えー...、作るの?たくさん?オレが?さすがにめんどくせぇよ。」
リア充A「じゃあみんなで作ろうぜ!」
スンカス「え、あ、まじ...? うん楽しそうね。OK。やろう」
リア充B「やろうやろう!」
スンカス「あー、でもよ、たくさん作ってそのあとどうする?Y野先生の形したものを廃棄処分するとか、心苦しくねぇ?」
リア充C「気にすることないでしょ!」
スンカス「あー、まぁ、(丁寧に解体して袋詰めして棄てれば)いいか...」

と、こんな流れで、作り方を黒板に書いて説明とかして、6体ほどのY野先生マスコットを作成しました。
積極的に手を動かす人もいれば作ることに拒否反応を示す人もいたりして面白かったのですが、その辺りはこの記事の主題から逸れるので触れずにおきます。何にせよ、数名で協力してマスコット人形の増産に成功しました。

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1週間後の文化祭当日、僕らのアイス屋はそれなりの盛況を博し、終了1時間前あたりで完売御礼。マスコット達も集客に貢献していました。ささやかながらも僕たちの思い出に彩りを加えた6体のマスコットたちは、立派に役を全うしたのです。

そして、役を終えた彼らを、処分せねばなりません。
僕は「解体するからまた手伝ってー」とリア充達に声をかけました。

それを棄てるなんてとんでもない

リア充A「解体?なんで?(困惑)」
スンカス「いや棄てなきゃ」
リア充B「あ?棄てんなや(怒気)」

え、いや、じゃあどうすんのこれ。けっこうでかいよ?
表面は紙だから汚れやすいしすぐボロボロになるよ?
愛くるしい姿してるし作るの楽しかったから、壊したくない棄てたくないって気持ちはわかるけど...。

リア充共「持って帰って大切に保管するさ!」

いや、ちょ待てよ、電車通学のそこの君、これ持ち帰るのかなり恥ずいよ? チャリ通の貴方、チャリカゴに積んで帰るつもり?途中で崩壊するよ?

ええ...。大丈夫かよ...。

そして、月日は流れ

マスコットたちはリア充たちに引き取られ、何の問題もなく解決... となるわけなく、やはり学校内の所々に放置される形となりました。

ある個体は空きロッカーに押し込められ、別の個体はどこぞの部活の部室に捨て置かれ... ていうか大体は部室行き。
「持って帰る」って家にじゃなくて部室にかよ...。迷惑な3年生だなオイ...。

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Y野先生の目に入る場所には放置されてなかったから、それが救いか...。

卒業間近の回収解体祭り

楽しかった文化祭から約5ヶ月が経ち、卒業シーズンを迎えます。
やらねばならならないことが、あります。

彼らを回収し、葬らねば。

でなくば彼らは、あちこちの部室で邪険にぞんざいに扱われ、やがて完全に崩壊し、それが何者であったのかを想像されることもなく、ただのゴミとして棄てられることでしょう。耐えられんよ。

そんなわけで、学校中を巡って彼らの姿を探します。テニス部の部室、委員会室、化学準備室、向かいのホーム、路地裏の窓... そんなとこに居るはずもないのに。(だいぶ歩き回りました)

そうして回収した彼らを当時の僕の根城である美術室に集め、丁寧に丁寧に解体していきます。剥がれかけた目・鼻・頭髪(を模した黒ガムテ)を1つ1つ取り、頭部と胴体に巻かれた(すでにボロボロの)紙を巻き取り...。
紙類・プラゴミとペットボトルとで分別してゴミ箱へと入れ、ゴミ出し場に運びます。こんなにいっぱいのY野先生の抜け殻集めてゴミ箱抱える僕は、他の誰から見ても一番センチメンタルだったことでしょう。

こうして、とあるスンカスの大仕事はひっそりと幕を閉じました。

創ること、壊すこと、棄てること

このほろ苦い思い出を、僕は毎年秋になると思い出します。
のみならず、モノ作りをしているとしょっちゅう顔を出してきます。

\壊せない、棄てられない/ という事態を見るにつけ、思い出すのです。
「嗚呼、またこれか」と思うのです。

創ることは、割と誰でもできます。
大抵の人は、日常の中で何かを創っているものです。それは「思いつき」とか「工夫」とかって言葉で表現されたりもしますが、誰でも行っていることです。

そして、誰かが手順を説明して指示すれば、マスコット人形程度の有形物を創るくらい誰でもできます。それはあの文化祭前の放課後に経験しました。創るまでは割とすんなり行きます。

が、それら創ったものを破棄するとなった途端に、人の心は激しく抵抗します。

プロダクトの使い勝手を明らかに落としている機能、採算とれていないサービス、終わらないリファクタプロジェクト... それらを破棄できません。

周りの人たちがどれだけ理を尽くして破棄を勧めても、数字がマイナスを示していても、創った人間が自ら破棄することには大きな抵抗を伴います。
破棄するときは、上の立場の人間から命じられるか、決定的な破綻を迎えて霧散するかのいずれかの形をとる... というパターンが多いです。(無論、例外はたくさんありますが。)

正直、自分自身にもこの「破棄できない」傾向は感じます。

これは本能なのかな、と思います。
脳と手を使ってモノを作って、問題や危機を打破して進化してきた人類の、本能に根付いたものなのかと感じます。

共創の時代を迎えて

クラスメイトたちとワイワイとマスコット人形を作り、そしてそれを独りで解体処分するというあの出来事から、20年が経ちました。2018年でぴったり20年です。

今は「共創の時代」であるとそこかしこで言われています。

デザインワークはデザイナーだけのものでなく、いろんな職種の人たちが力を合わせて押し進める時代です。それらを牽引したり、そのための道具や場を作ったりすることが、現在のデザイナーの役割だと言われています。

正しいと思います。全くもって賛同します。

ただ、それ以上に、「創ったものを破棄すること」こそがプロのデザイナーに求められる役割なのではないかとも思うのです。

幾度も創作と破棄を繰り返し、壊したくない・棄てたくないという本能を克服した経験を持っていること。
「モノ作りが好きな人」と「プロのクリエイター」を分ける境目はそこにあるのではないか、とそんな風に思うのです。

とどのつまりは、愛情の多寡?

破棄できるか、できないのか、その差は何なのかと考えると、創作物をどれだけ愛しているのかなのかな、とも思います。

愛情が深いと、不本意な形で存在し続けることを受け入れられない。破棄せずにいられない。したくないけど。
... このへん詳しく語り出すとこの記事の文字数がさらに膨れ上がりそうなので、ここまでにしときます。

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2018年中に書き上げたいトピックでした。書けてよかった。
お読みいただきありがとうございました。

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