学部生が院進前から研究を始めた方法

研究をする学部生とは


研究職を志して大学に来た学生は少なからずいるだろう。研究をする、と聞いて実験室にこもり白衣を着て実験をするような光景を浮かべる人は多いのではないだろうか。理系学生は多くの場合入学した後すぐから実験を伴う授業を受けることになるが、それは教科書や手引書に適切な順序が示され、材料は教員によって準備され、模範的な結果が想定されている実験である。ある種の「正答」が存在する実験であると言える。それに対し、研究活動における実験というのは、方法の詳細を自ら計画し、材料と設備を自ら用意し、その結果が予想できない部分を多分に含むものである。理系学生がこのような予想不能な結果や展開を含む「研究のための実験」を実際に手を動かし行うのは、大抵は学部3-4年生からの卒業研究、もしくは大学院進学後であろう。どちらも正式に各研究室に配属され、そこで卒業までの時間を見越して実験をこなしていくことになる。

研究職を志す学生が一定数いる以上、学部の授業では満足できず、もしくは純粋な興味・意欲から卒業研究などに伴う配属を待たずに自らの手で研究のための実験を始めたいという学生が生じるのは当然の流れである。多数ではないが、そういった流れから、正式な配属を伴わずに実験室に足を踏み込む学生が存在するのだ。

いくら理論上確立していても、実験というものはある程度の経験を必要とする。実習とは異なりその準備や片付けまで自分で行う場合、非常にこまごまとした部分まで身に着ける必要がある。どういった条件を比べればいい?どれくらいの時間がかかる?試薬のある場所は?洗い方は?そういったことも含む。逆に、時間をかけそのようなスキルを身に着ければ、実験を自ら進めることが可能になりのだ。ある専門に絞って実験をする場合、学部の授業で身に着ける知識が全てではなく、非常にニッチで狭い部分の知識を有していることが重要になってくる。従って、実験のスキルや実験の立案や結果の解釈を含む研究の進行とその熟達には、学部生なのか大学院生なのかは関係ない。学部生であっても、自ら実験を進める能力というのは獲得しうる。大学院生を越えることも十分にできる。同じ土俵にいる

彼らはどうやって、正式な配属を伴わず、すなわち形式的な過程を経ずに研究室での実験を始め、身に着けていったのだろう。

ここではいわゆる「実験系」と呼ばれる、特に基礎医学・生物学分野でのことを中心に述べる。

研究室に足を踏み入れる

研究室というものはピラミッド構造をとることが多い。頂点である教授、教員であり研究者である准教授や助教、いない場合もあるが博士研究員(ポスドク)、そして博士課程や修士課程の大学院生。これが一般的な構成である。こういったメンバー構成やその研究室で専門にしていること、最近の業績はホームページから知ることができる。その研究室で研究に携わりたい、そこまでではないが中を見てみたい、メンバーと話してみたい、そういった場合、どうしたらいいのか。よくある方法は3通りだ。教員経由の方法と、学生経由の方法と、直撃である。

教員、特に教授や准教授といったラボのトップ(本段落では教授)を経由する方法は、至極全うである。必要なのはメールか電話と常識的なマナー。研究室や教授の連絡先はホームページに掲載されている場合が多く、大学の事務に問い合わせれば教えてもらえる。利点としては、アポイントメントをとりつければ確実に訪問できること、教員に対して好印象であることだろうか。また、そこで紹介された教員が直属の指導者になることは多い。自然な流れで教わる相手が決まれば、より早く取り組むことが可能だ。逆に欠点は、場合によっては教授にしか会えない場合があることだ。教授と一対一で話して実験室の方に行ったり他のメンバーと話したりできない流れになってしまうこともある。

二つ目は、学生を経由する方法だ。この方法をとる学生は、部活等で知り合った先輩を経由する場合が殆どである。先輩の話を聞いてその研究室の存在を知った、興味を持ったという場合が多い。研究室に立ち入るのに許可が必要な場合もその学生が取り持ってくれるし、教員と話せるように手筈してもらうことも可能だ。研究室の外面だけでなく内部の実情を知るのにも、その研究室の学生の話を聞くのは極めて有効である。学生がいるのは教授室などではなく学生部屋と呼ばれる居室や実験室なので、それらの部屋を見ることもできる。実際に実験を始めるにあたっても、大学院生等の年齢の近い人間と交流を持ったり教わったりするのは精神的なハードルも低い。ただし、いざその研究室で実験をしたいと頼み実現するには、その研究室の学生を頼るのでは不十分である。学生が外部の人間に研究室の設備を使わせる決定をすることはできず、教授を初めとする教員の承諾を得ることが必要である。そして大学院生、特に自らの研究を進めるので精一杯になっている学生は、自分の後輩に時間を割く余裕がなく、後輩の世話をするのを避けたがる傾向があるのは否定できない。自らも教員に教わりながら研究を進める状態で、更に指導が必要な低学年を積極的に招き入れる大学院生は、多数派とは言えない。

最後の方法、突撃、はご時世的に困難になってしまった。血気盛んな学部生が突然研究室にやってくる、という事態は稀ではなかった。授業もハイブリット化が進みつつある2022年現在では、徐々にそのハードルは下がりつつある。

教わるというハードル

学部生が正規のカリキュラム外で研究室での実験や研究活動を行うことに伴う利点・欠点は過去にも述べた。

学部生がある程度自立して研究できるようになるためには、教員や大学院生がある程度の負担とリスクを負わなければならない。研究室の優先順位として、学部生の教育が上位に位置することはできない。そのため、学部生が知識や技術を身に着けそのラボで自ら実験を遂行するためには、大学院生等に比べて「頑張る」必要が出てくる。教える側がリソースを割く価値があると思わせなければならない。自分が「使える」人材にならなければ、教育する利点がないのだ。学位のために論文を書くことが義務付けられていない、研究室から離れても卒業や単位に関係のない学部生の指導に対するモチベーションの維持には、自分の存在価値を高める必要がある。以前の記事でも述べたが、学部生というのは本業として授業や実習といった進級・卒業のためのデューティーが存在するため、研究に割く時間というのは大学院生や教員に比べて非常に短い。その中で、より有用な人材になるための能力を身に着けなければならないことになる。学部生が研究を続けるにあたって不利な点というのは、捧げることのできる時間が短いだけではない。正式に配属されているわけではない学部生を指導する義務は教員側には存在しないため、それをも補って余りあるリターンを生み出さねばならない。初めて実験室に立ち入った人間が、手順書を読むだけで実験をすることは不可能だ。先達に教わらなければ、実際に手を動かすことは始められない。大学院生は大学院に入学することで教育を受ける権利をもち、その身分を預かった研究室はその大学院生を教育する義務を負うが、その関係は学部生では成立しない。実験にあたって教育を受けるというハードルは、学部生にとってはより高いものなのだ。

このハードルを越え続けるために、何が必要か?

覚悟かもしれないし勢いかもしれない。要領の良さかもしれないしコミュニケーション能力かもしれない。「始めた方法」と題したものの、それをここで一つ断言することはできない。ただ、前述の時間の問題も含め、学部生が研究を進めるため、続けるために要求される条件は、人一倍厳しいものだということは心に留めておくべきことだろう。否が応でも実感することになるだろうが。

卒業や単位というものが懸かっていない以上、実験をこなしていくのにはかなりのモチベーションが必要になる。それに加えて、上記の教わるための高いハードルが存在する。「業績を出す」「新しい発見をする」というのが長期的な目標にはなるだろうが、学部生の期間にそのモチベーションを維持するには、自立して実験・研究ができるようになる、そのために自ら進んで「教えてほしい」という姿勢をとる、厳しい条件をこなしていく、といった目標を達成していかねばならない。また、それを覚悟の上でなければ、研究室に足を踏み入れ実験を始めるということは非常に困難だろう。

淘汰されるということ

研究室を始める段階、続ける段階にある要因により、学部生が研究をするためにはより困難な条件を満たし続けなければならない。「淘汰圧が強い」と言って良い。学部生はその単位や卒業要件のために研究活動を義務付けられていないことも相まって、成果を出せないままに卒業を迎えてしまったり、途中で研究室から足の遠ざかってしまう「脱落者」が多く生じる。基礎医学・生物学という分野の特性も後押しして(前記事参照)、成果としての論文を発表する学生も、学部生からそのまま同じ研究室・分野で大学院生や研究者になる学生はかなり少数なのが現実だ。淘汰されている。研究者というものは概して様々な淘汰圧を受け脱落者と生存者が生じる職ではあるが、学部生にもその淘汰圧はかかり、本来のカリキュラムをこなしながらそれに打ち勝つのは容易なことではない。研究の前線から離れていく人間がいるということは、大学院生活を経験したものにとっては当たり前かもしれないが、初めてアカデミアの世界や研究というものに触れた学部生にとっては、耐えがたいことに思えることもあるだろう。また、年数を重ねるにつれ、研究を続けるのにも業績が要求される。自分が淘汰の対象であるあるということを認識し、それを覚悟しても恐怖はしないようになることは、学部生として研究活動を開始し継続することの下地となる。その世界の現実というものは受け入れる他ない。

権利と義務というものに守られない以上、学部生が研究を始め、かつ継続するのは難しい。「少年」である以上、大志を抱かねばなるまい。

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