私の「あの夏に乾杯」は、金網越しの花火に番茶だった

これは私が大学3年か4年か、そんなことすら定かには記憶できていなかった頃のお話し。

当時、精神障害(鬱)をこじらせて閉鎖病棟に入院していた私は、今が春夏秋冬のいつなのかも把握できずにいた。

「今日は花火大会があるらしいよ」

朝薬の時間、薬を手渡され飲んでる間に看護師さんがそう言った。どうやら夏のようだ。

私「この病棟の窓からは見えるんですか?」

看「方角的に窓からは見えないねー。夜、音がドーンドーン言うから、それで具合悪くなりそうだったら言ってね」

薬を飲み終えると看護師さんはいつものように、薬がたくさん乗ってるワゴンを押して次の部屋に「薬ですよー」と言いながら入っていった。

花火大会か。

最後に見たのはいつだ?

今一応大学生(入院中なのでもちろん通えていない)だけど、記憶は小学生のおばあちゃん宅で見た花火大会まで遡った。

私「そーいうこと縁遠いもんなあ…」

閉鎖病棟は基本、病棟から出られない。入り口は閉めた瞬間自動で鍵がかかり、開ける鍵は看護師さんしか持っていない。

同じ病院の中でも別の病棟に行ったり、コンビニや売店に行くなんてもってのほか。

病棟内にいて1日をどんな風に過ごすかというと、半分以上は寝て過ごす。(なにせ激強い安定剤を飲んでいるし)

じゃあ起きてる時間は?と言うと、デイルームと言う5・6人が座れるテーブルに

オセロやUNOやトランプや、いつからあるのか分からない漫画本が置いてある部屋があるので、そこで患者同士だべって過ごす。

人付き合いしたくない人は自分のベッドで本でも読んでいるのだろう。

私「今日、花火大会あるらしいよ」

デイルームでお茶(飲み物を買いに行くことが出来ないため、ナースステーション前にデカいやかんに入った番茶が置いてあり、みんなそれをマイマグカップに入れて飲む)を飲みながら、若い女子数名で話していた時にその話題を出した。

「あー、朝薬の時に聞いた」

「音だけで見えないんでしょ?意味なくね?」

「屋上行けばみれるだろうけど、うちら閉鎖だし」

「いや、屋上は夕方には閉まっちゃうから開放にいても無理だよ」

開放病棟の人は許可があれば洗濯を干しに屋上に上がれる。しかし当たり前だが夜は入れない。

「花火、見たいね」

「夏らしいこと何にも出来ないもんね。アイスも食べらんないし」

デイルームは「どうしたら花火を見られるか」を論ずる会議室と化した。

私「ダメもとで一回看護師さんに頼んで見る?」

女子数名はぞろぞろとナースステーションに行き、訴えるだけ訴えると、すぐにうなだれてデイルームに戻った。

「やっぱダメか」

「精神やっちゃってる身で暗い夜に屋上とか確かに危なすぎるしねえ(※屋上、それは飛び降りのメッカ)」

「でもうちの屋上、飛び降りらんないように横のフェンスから上まで丸ごと金網張ってんじゃん。実際飛び降りらんないって」

「でもまあ…本気だったら金網ぐらい突き破るよなあ。人間の力って本気だしたら凄いし」

「そりゃ看護師さん的にNGだわなあ。」

私たちは花火はあきらめてUNOをやり始めた。

さて、18時の夕薬の時間になり、夜勤の看護師さん(1名)が薬ワゴンを押してきた。

この看護師さんは私が最初に入院したときからの仲(3年ぐらい)で、他の看護師さんよりも色々融通を効かせてくれる人だった。

看「引き継ぎノート見たけど、花火見たいの?」

私は薬を含んだままブンブン首を縦に振って頷いてから飲み下した。

看「ご飯終わったらナースステーション前に来なさい」


…おっ!?



夕食が終わり、ナースステーション前に結集したのは、先ほど会議室からナースステーションに訴えに行った女子数名。

そう、引き継ぎノートに書かれたメンバーがそのまま呼ばれて集まったのだ。

看「外は夜でも暑いから水分持ってね。あと、そんなに病棟あけられないから5分だけね。」

そう言うと看護師さんは閉鎖病棟の重い扉の鍵を開けて屋上へ続く階段を上がって行った。

私たちは、本来はしゃぐべき所を、何故か緊張した面もちで、無言で上がって行った。

花火大会はもう始まっていた。

「わあ…!」

屋上の金網越し、そこには空いっぱいの花火が!

こんな近い場所で花火大会やってたの?特等席じゃん!

私たちはその看護師さんに「ありがとうございます!ありがとうございます!」と何度もお礼を言って

マグカップの番茶で乾杯をした。

看「若い女の子が、治療のためとはいえ花火を音だけ聞けってのは酷でしょ。

ちゃんと治して、金網越しじゃない花火を彼氏作って見に行くんだよ。」

それは同情の花火ではなく、治療の応援の花火だった。

5分はあっという間だったが、その光景はしっかりと今も目に焼き付いている。

「ちゃんと治して彼氏と見に行くんだよ」

この言葉のうちの前半部分、「ちゃんと治して」はついに叶わなかった。

鬱から気分変調症になり、おそらく死ぬまで安定剤のお世話になりながら生きていく身となった。

まあ、日常生活は普通に出来るし仕事も出来るから良いんだけど。

後半部分、「彼氏作って見に行く」は

10年以上経ってやっと叶えました(長い笑)

あの時のメンバーが、今どこでどうしてるのか、生きてるのかどうかも分からないし名前も思い出せないけど

青春の時期の最大限青春らしい出来事として私の心に残った夏の花火だった。



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