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【従軍慰安婦とは】20210315【コメントエラーで投稿不可なのでこちらへコピペ】20210316加筆修正

はじめに

 普段はふざけた記事を書いていますが、今回の記事は事実を元にまとめました。
未だに従軍慰安婦問題が歪曲されて取りざたされる事には、日本人として腹立たしさを感じます。
在外国邦人の子供たちが間違った情報でイジメを受けるなど、在ってはならない状況を知り「大人が正しい情報を発信しなければ」と感じました。

 このつたない記事では不十分とは思いますが、少しでも多くの人に「大東亜戦争と従軍慰安婦の事実」を知って頂きたく存じます。
 検索すれば「当時の慰安婦募集ポスターの画像」や「給与明細の画像」「慰安婦たちが楽しく過ごしている写真」「自由恋愛での手紙のやり取り」など書籍や画像も出て来ます。(時間が無いので貼ってはいませんが、おそらく沢山出て来ると思いますよ)

 難しいとは思いますが、この記事を少しでも良いと思って頂けたなら、紹介・拡散・イイね♥をして頂けると幸いです。

【追記】20210320春分節
タイトル画像は
絵的にきついものが有りますが「戦時中に休暇を満喫する本物の在日元従軍慰安婦」の有名なお写真をお借りするに至りました。
 当初、みんなのフォトを利用させて頂いておりましたが、画像投稿者が削除されてしまわれました。
やはり、記事の内容が内容なだけにお写真(いわさきちひろ様のイラスト画像)経由でリンクされてしまふ事に抵抗を感じてしまわれたものと思われます。
画像投稿者の方にはご迷惑をおかけし大変申し訳ありませんでした。


【従軍慰安婦とは】
 従軍慰安婦とは、軍人の20倍の給料をもらって大切に扱われ、健康診断まで受け、戦時中にもかかわらず旅行をし、恋愛をする自由のあった高給取りの娼婦・職業婦人。(軍管轄の非常勤職員)
田舎の口減らしで日本人の女子も「家族の為に」と人買いに買われていた子もいたが、主に職業募集で自主的に集まった職業婦人。

ただ、一部の在日や朝鮮人の人買いが、金儲けで朝鮮人女子を強引に集めたらしい。一部の在日や朝鮮人がな!
朝鮮人の娼婦らはルンルンで兵士と手紙のやり取りをしていた者も居た。

あと、現代においての「自称元従軍慰安婦」の年齢だと戦時中生まれていなかったり4才~7歳だったりと、虚偽で賠償金をせしめようと言ふあさましい人々だと言ふことに注意せよ。

ちな、日本人の従軍慰安婦の方が多かったが、日本人は一人も日本軍に対し損害賠償を請求していない。
なぜなら、職業婦人として高給取りの上に大切に扱われていたから。

なお、1970年代に既に日本から韓国人元従軍慰安婦への損害賠償支払いは済んでいる。
しかし、国が賠償金を自称元従軍慰安婦へ配布しなかったため、個人的に「金を受け取っていない!」と主張している状況。
であれば、自国:大韓民国国家元首に対し請求すればいいのにね。
なぜ、賠償責任を果たした日本にまた請求しようと思ったんだらうね? 実に不思議だね! 理解不能だね!


【戦後の占領期間中の連合国軍(戦勝国軍)用慰安所とは】
 その他、戦後、GHQが米軍人を引き連れて日本に来た。
 その他、戦勝国・連合国軍も軍人を引き連れて日本へ来た。
6年7か月の占領期間に大量の日本人女子が強姦され混血児が大量に生まれたり、任務が終われば事実婚を解消し日本人妻と子供を置いて黙って帰国した軍人が多数いた事に対し、日本人は損害賠償を請求していない。
この時にも日本軍は終戦時、真っ先に対米軍への慰安所を設置している。
慰安所を設置しても強姦と略奪は起きたと言ふこと。

 生まれた混血児を育て切れず孤児院や寺に仕方なく預けたり捨てにくる事例が多かった。
戦後の食糧難と物資不足の中、敵国人に犯され敵国の子供を女子だけで育てる事などほぼ不可能であったと思われる。
物理的にも精神的にも社会的にもほぼ不可能であった、または、非常に困難だと簡単に想像できる。

 その為、孤児院は混血児で一杯になった。
彼ら親の無い混血児らは成人しても好奇の目にさらされ、敵国の子供として憎まれ、ましてや親も居ない為、また、社会制度も整っていなかった時代の為、きっと、現代の混血児や養護施設の子供たちよりも過酷な人生だった事は想像に難くない。

 一部の孤児院には、噂を聞き付けた一部の外国軍人らが粉ミルクなどの物資をコッソリ寄付しに来てくれたらしいが・・・。

 敵国に犯され身ごもった女子を集め、安全に中絶する為に働いた医師達も居た。
それ程、日本人女子らに対する外国人らの態度がひどかったと言ふこと。
しかし、日本人はこれらの事に対し外国へ損害賠償請求をしてはいない。


 また、逆に、日本軍人が婦女子を強姦した事件など聞いた事が無い。
あったとしても、軍法違反で厳しく処罰されたはず。
(山本五十六など妻子が居る身で遊郭通いがひどかった云々と言ふ都合のよろしくない事実はあまり表に出て来ず、なぜか、実力も無かったのに「名将」とされている違和感。あ、つまり、「一部の色キチ軍人は金払って遊郭で遊んでいた・犯罪なので一般婦女子に手は出せなかった」と言ふ事を伝えたくて・・・)
遊ぶなら金を払って遊郭や娼館と常識的だったから、一般人を強姦するなど犯罪なのでそんな野蛮な発想すら起きなかったのではないかと。
日本軍人は、外国人捕虜が死ねば墓を建てて弔うような民族だったり、元々の民度が高かったからと思ふ。(ただし、統率する長にもよるのであらうけれど)

 余談として、従軍記者をしていたユダヤ人のリチャード・リンドバーグ氏は、米軍が日本人捕虜を虐待し、食事も与えず、散々弄んだ後は飛行機から海へ突き落すなど、いわゆる「米軍の日本人捕虜虐待」について記録し出版もされ、当時、米国で大変良く売れた。

国際法であるハーグ陸戦条約や軍法にも「捕虜についての扱い」「非戦闘員への扱い」が決められている。
つまり、「捕虜を虐待してはならず、軍人以外の一般人を攻撃してはならない」という世界法と軍法。
しかし、真面目に国際法・軍法を守っていたのは主に日本兵であり、最も虐待を受けたのも「現場の日本兵」と「非戦闘員の庶民の日本人」だったと言ふことであらうか。

 戦前から戦中にあれだけもてはやされ大人気作家だったリンドバーグ氏が、その後、あり得ない状況で失脚させられ続けたのは偶然なのであらうか・・・。
 米国人はリンドバーグ氏の著書を愛した。
ベトナム戦争反対運動などを見ても、一般的な米国人たちは平和と正義と家族を愛する人々なのだと良く解る。
しかし、一部の人々は彼の著書が都合が悪かった・・・?
そして、都合の悪い一部の人々はとても権力を持っていた・・・?


 そして、日本は、終戦の年、1945年3月10日に東京大空襲で焼夷弾で囲い込まれ逃げ場を無くした一般国民が町ごと焼かれた。
沖縄と硫黄島(いおうとう)と北方四島と北海道では地上戦があり、特に沖縄は、一般住民の避難が間に合わず学徒動員の女子たちや一般島民らが戦闘に巻き込まれた。

硫黄島(いおうとう)については、クリント・イーストウッド氏の映画「硫黄島(いおうじま)からの手紙」二部作などが参考になるのでは。


 更に、終戦間際の1945年、8月6日に原子爆弾実験のリトルボーイ(男性器の隠語)、8月9日に水素爆弾実験のファットマン(デブの差別的隠語)を落とされ、非戦闘員である一般国民を大量虐殺された上に、核爆弾の人体実験に利用された。
1945年8月15日正午、昭和天皇陛下が「終戦の詔(みことのり)」玉音放送をラヂオで発表。


しかし、武装解除命令が出された後、ソ連軍が北海道沖の北方4島を占領して来たため、陸軍の部隊が独自の判断で戦闘再開し2島を守り抜いた。


 あまり知られていないが、北方4島と北海道民は、地上戦で沖縄よりも軍人と一般人の戦死者が多い。
あの時、陸軍が機転を利かせ戦闘再開し、2島を守りソ連軍の北海道上陸を阻止したおかげで、日本の本土は守られたと言ふ事実。
 4島の一つに無線所があり、女子学徒動員の無線従事者たちが働いていた。
戦後のソ連軍進軍を知り、女学生たちは青酸カリで自決してしまわれた。
それらの事に対し、日本人は戦勝国・連合国軍やアメリカに損害賠償を請求していない。


 また、占領期間中、看護婦として戦勝国外国人駐屯地の要請で看護に派遣されていた日本人看護婦や日本人女子の中で美しい子は、外国軍駐屯地にさらわれ、性奴隷として扱われ、病気になれば放置され、中には犯されたショックから自害を選ぶ日本人女子が相次いだ。
まともな日本人は家庭教育で元々の貞操観念がきちんとしていたから。
戦時中から外国軍人の捕虜虐待がすさまじいとの情報から「生きて辱めを受けるより死んだ方がマシ」と教えられ自害用青酸カリを持参していた人も居た。

 この考え方は武士道や武家のしきたりに詳しい人なら理解できるのではあるまいか? 
武家の女子(おなご)は、成人する(初潮を迎える)と守り刀を親から贈られ自決の仕方を習う。
また、嫁ぐ時にも夫の為に尽くす事を最大の幸いとして、そうできなかった時には命をもって償う覚悟などを教えられる。
「内助の功を尽くす事の幸せ」とでも言ふのかな・・・ 男女の役割分担がきちんとしていた時代が美しく見えてしまふのは我々だけであらうか。
それが武家のしきたりだった。昔のね・・・。
武家や軍人の家庭を守り軍人の子を育てる女子(おなご)とは、少し特別だったのであらうと思ふ。
命を懸けてお国の為にお働きの夫を支えるとは、それだけの覚悟が無ければ務まらないと言ふことなのかも知れない。昔のね・・・。

 この価値観の「良し悪し・好き嫌い」は別の問題なので、ここでは議論しない。

 現代の平和は、彼ら先人らの献身の上に成り立っている事を忘れてはならない。
未来の平和は、今を生きる我々が守りより善い状態で子供らに継承せねばならない、先人らが我々にそうして下すった様に。

(だが、現代の大人共の体たらくはどうだ? 精神的に自立さえ出来ていない間抜けっぷりはどうだ?)


 それで、沖縄戦の時も、一般人や婦女子が追い詰められ崖から「天皇陛下万歳!」と叫んで皆が飛び降りる為、米兵らが彼らの行動を「バンザイ・クリフ(万歳崖ジャンプ)」と呼んだ。
沖縄では上陸した米兵が、防空壕を火炎放射器で焼いて回ったり・・・
ハーグ陸戦条約はどこへやらですなあ・・・

 日本人もお人好しで、在留外国軍駐屯地から「看護婦増員の要請」に真面目に対応し続けていた。
大量のうら若き清純な看護婦が失踪している事を後から知り、婦長が駐屯地に問合せても「失踪した・自殺したので敷地内に埋めた・知らない」とすっとぼける占領軍戦勝国軍人たち。

「この事実を伝えねば」と病気になっても生き延び、放置されたのを機に逃げ帰って来た一人の看護婦が全ての事実を報告し、看護仲間と看護婦養成所の先生らに見守られ息を引き取った逸話がある。
彼女のおかげで、行方不明となった看護婦らや美しい一般人女子らの末路が明るみになったそうです。

 それらの事に対し、日本人は戦勝国・連合国軍やアメリカに損害賠償を請求していない。
つまり、国際法や軍法、はたまた人道的見地からして「ダメ絶対!」な事をやらかしてたのは誰?
被害に遭っているのに、ただひたすらに傷を癒して懸命に前向きに生きようと努力しているのは誰?


*以上は、【当時を知る先人たち複数の記録】と【これらの記録を調べた「自作漫画」を購入】し知り得た情報をまとめました。

 難しいとは思いますが、この記事を少しでも良いと思って頂けたなら、紹介・拡散・イイね♥をして頂けると幸いです。


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