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7インチ盤専門店雑記354「B面の愉悦10:Colour My World」

ブラスロックの雄、シカゴに「ぼくらの世界をバラ色に Colour My World」というブラスの入ってないバラードがあります。作者はジェームス・パンコウ、シカゴのトロンボーン奏者です。この曲が好きでしてね…。実に滋味深い歌詞は以下の通りです。

Colour My World
As time goes on
I realize
Just what you mean
To me
And now, now that you're near
Promise your love
That I've waited to shure 
and dream
Of our moments together
Colour my world
With hope
Of loving you

シングル盤のスリーヴ参照

シカゴの2枚目のアルバム「Chicago」は邦題が「シカゴと23の誓い」と言いまして、日本サイドも力を入れて強力にプロモーションしていた作品でした。この時代のシカゴは、日本語で歌うヴァージョンを作ったり、アーティスト・サイドも頑張ってましたね。

「ぼくらの世界をバラ色に」は、このアルバムのSide2の大半を占める、ジェームス・パンコウ作の組曲「バレー・フォー・ア・ガール・イン・ブキャノン」の5番目のパートでした。シカゴがブラス・セクションも含めたバンドなのだ、つまりロックバンドとおまけのブラス・セクションではなくて、フラット組織的なバンドなんだということを主張しているような曲です。

この曲、当該組曲の冒頭を飾る「ぼくらに微笑みを Make Me Smile」と同様に、ギターのテリー・キャスが歌っております。1970年3月にアルバムからのファースト・カット・シングルとして「ぼくらに微笑みを」をA面、「ぼくらの世界をバラ色に」をB面にしてリリースされます。全米9位の大ヒットとなり、続けて同アルバムからのセカンド・シングル「長い夜」が全米4位まで行きます。このあたりはライヴでも定番曲になります。

シカゴは1971年2月に3枚目の2枚組アルバムをリリースしますが、この時点でファースト・アルバムの評価がお気に召さなかったか、ファースト収録曲「ビギニングス」を1971年6月に再度シングル・リリースします。69年10月に初回リリースしたときはチャート・インを逃したこの曲も全米7位まで行きます。この時のシングルB面がまた「ぼくらの世界をバラ色に」なんです。そして71年9月には、デビュー曲「クエスチョンズ67/68」も再度シングル・リリースします。こちらは24位どまりでしたが、初回リリース時は71位だったので、目論見通りに評価を勝ち取ったということになるのでしょう。

「ぼくらの世界をバラ色に」は、プロムなどで人気のダンス・チューンになったとかで、70年代にティーンだったアメリカ人には特別に思い入れのある曲だったりするようです。とにかくジェームス・パンコウ作の曲だということが面白くもあるのですが、シカゴでもブラスが入ってなくて、曲の後半にサックス奏者のウォルター・パラゼイダーが吹くフルートがフィーチャーされていること、3分1秒の曲なのにイントロが58秒もあることなど、いろいろ語りたいところがある曲なんです。

ただ個人的にもっと気になることがあって、この曲の原題のスペルが「Color My World」ではなくて「Colour My World」なんですよ。アメリカ的に「色」は「Color」でしょう。…どうして?多民族が集う合衆国のアメリカン・イングリッシュはスペルを簡略化する傾向があるので、そういうことに対する反発なんですかね?

加えて日本サイドは、タイトルが「…My World」なのに、何故「ぼくらの世界…」と訳したんですかね?プロポーズ的な歌詞だから、微妙なニュアンスの違いがあるような気もしますが、日本語的には座りがいいので、これはOKなんですかね?めちゃくちゃ気になるんですけど。

余談ですが、以前、ウチのお店に「シカゴの「ビギニングス」のシングルがあるんですか?」とたずねていらっしゃった若い女性のお客様がおりました。お父上が大好きな曲で、バースデーにプレゼントしたいのだということでした。大変喜ばれて、お買い上げいただきました。ウェブでいろいろ発信していたのを見ていらっしゃったのだとは思いますが、何だか忘れられない一事なんです。…お父さんが羨ましいですよね。

ちなみに、ヘッダー写真は、売り物ではないお宝的なものでして、52年前の盤でありながら、ミント・コンディションを維持している文化遺産的な一枚です。…イベントでかけるか悩んでおります。

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