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言葉にできない気持ち

2年前からサンフランシスコの英語学校に通っています。ミッション地区にある私の学校は、ラティーノの割合がとても多いです。

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メキシコ、エルサルバドル、ホンジュラス、コロンビア、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、ニカラグア、日本にいた時は、ほぼ交流がなかった国のクラスメイトが沢山できました。

彼らは国籍が違えど、スペイン語かポルトガル語を話すということで、話も合うし、大抵教室では固まって座っていました。

その中で、なぜかホンジュラス出身のモレリアが私を気に入り、いつも彼女の隣の席を取っておいてくれるようになりました。

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彼女は3人息子のシングルマザー。明るくておおらかで、自分のことを話すのが大好き。

若い頃はすごくモテたこと、お父さんがわからない息子がいること。皆んな食べ盛りだから天文学的な量のご飯を作ること、腕に入れたtattoo、お気に入りのマリア様が太ったらマリア様も太った、、など、笑えるエピソードを絶え間なく。

だけどどうしてサンフランシスコに来たの?と聞いた時、顔が曇りました。

『セーフのためよ』

この時に私は、自分の身を守るために、治安が悪い南米から米国に渡って来ている人達がいると言うことを知りました。

具体的な理由は、お互いの英語ができないこともありましたが、なんだか聞いてはいけない雰囲気だったのでそれ以上は言及できませんでした。

モレリアは働きながら、学校に通っていたのでたびたび休みました。4年も学校にいるのに、新入生の私と同じレベル2。

学期末の進級テストの日、彼女は私にテストを見せて欲しいと言って来ました。私はもちろんいいよ、と承諾。

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二人ともレベル3に無事進級できたのですが、モレリアが急にこう言って来ました。

『私は今日で学校をやめる。レベル3になったらやめようと思っていた。仕事と息子の世話で忙しいから。だけど、ずっと進級できなくてレベルを上げられたら、やめようと思ってたの

英語が流暢に話せるようになったら、もっと良い仕事に就けるけど、それでは今が生きていけないから』

ああ!せっかく仲良くなったのに、英語を学んでいったら、もっと深い話もできるようになるのに!と思う気持ちと、彼女の生活事情を知っての気遣いを英語で表すことができず、私は黙って座っているだけでした。

モレリアは次の日から学校に来なくなりました。


三週間ほど経って、下校途中に学校の庭にモレリアがいるのに気がつきました。

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彼女はアルミホイルに包まれた小さなお菓子を私にくれました。

以前 イースターの話題が出た際に、私は、イースターって何をするの?何を食べるの?と聞いていた事がありました。質問した私の英語もダメなら、答えたモレリアの英語も不確かで、お互い意思の疎通ができてなかったのです。

彼女はそれを覚えていて、イースターが来た時に、作ったお菓子を持って来てくれたのでした。

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•••••••• 違う意味で言葉に詰まりました。

言語では説明できなかった事をモレリアは実物(行動)で見せてくれました。

と、ここまでnoteを書いていて、私は気にかかっていたことを思い出しました。モレリアが学校を去った後、仲良くなったパトリシア(通称パティ)の事です。

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彼女はメキシコ出身、自国では麻酔医というエリート。夫のGoogle転職でアメリカに引っ越して来ました。彼女の外交的な性格はラテン気質だと笑っていましたが、授業そっちのけでダンスに勤しむラティーノ達には

あれはラテンのバッドエデュケーション!

指摘するほど、意識も高く知的で洗練されていた生徒でした。英語も私よりかなり出来ましたが、

弱点もありました。

JHの区別がつかないのです。スペイン語のJHと発音するらしく、ついつい

I ate turkey jam this morning. 私は今朝ターキーのジャム(本当はハム ham )を食べました。

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みたいな英作文を作ってしまうのです。

仲良くなってメールをやり取りするようになると、彼女は笑いを表す時、

JaJaJaJaJaJaJaJaJaJaJaJa

と打って来ました(HaHaHaHaHaHaHaHaHaHaの間違い)。でもそれが返って二人だけに通じる言葉のように楽しくて、私達は実際会った時も 

ジャジャジャジャジャジャジャ 

と声を出して、笑い合ったりしていました。

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そして去年の3月、学校はコロナによって突然、閉められました。

行き場所を失った私たち、そしてその頃パティは別のことでも悩んでいました。

自国では医者、でもアメリカではただの学生。医学の知識と経験はあっても英語という壁で自分の力を発揮できない現状に苦悩していたのです。

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いっそのこと自分だけメキシコに帰ろうか、医者は諦めてここで何かバイトでもするべきか、メキシコでは広い家にメイド付きで暮らしていたのに、サンフランシスコではワンルームだとか、自国との生活が違いすぎたのと、医学知識を話せる人もいなくて、相当鬱憤が溜まっていたのだと思います。


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私はその悩みをパティからのメールで知りましたが、彼女が打ってくる医学用語(時々スペイン語)がほとんど分からなくて、

また英語で、どうアドバイスをしていいかも判断できず、

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なんとなく 疎遠になってしまいました。

そして今日、言葉でなく実行動を見せてくれたモレリアについて記事を書いていて、ハッと思い出したのです。

パティとの関係をこのままにしちゃいかん!

•••••••• でも時間も経っているし、英語でなんて打っていいか見当つかないし、、


迷った末に、笑ってるけど汗かいてる(ちょっとごめんね、の気持ち)絵文字を彼女に送信しました。

ドキドキドキドキドキドキ

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JaJaJaJaJaJaJaJaJaJaJaJa


返信きたー!!!!笑ってるー!

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言葉で言えなくてもいくらでも手段はあった!!

何やってたの、私!なんで気がつかなかったの、自分!

本当に伝えたい気持ちは言葉の壁を越えます。

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もし今、誰かに何かを伝えたいけど、言葉が見つからない人がいたら、私が保証しますし、ガンガン背中を押します。

行動あるのみ!

合言葉は JaJaJaJaJaJaJaJaJaJaJaJaで!

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