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不倫裁判百選99番外編ー不倫慰謝料を否定する見解の理由について考える

 不倫の慰謝料を交際相手に請求する見解は、強い批判にさらされています。

ある見解によれば、「離婚の場面で,有責離婚主義が依然として存在し,その結果,破綻と因果関係のない有責行為をした配偶者からの離婚は肯定するという法理が堅持される…(中略)…「有責性の呪縛から解放されれば,この法理もまた機能しなくなるであろう。また5年の別居を離婚の原因とする民法改正が行われると,比重は5年の別居に移り,右法理はやはり機能しなくなるであろう。その日が一日も早く来ることを期待したい。」

右近健男「婚姻は単語の不貞行為と離婚自由」(判例タイムズ1100号14頁)

 この見解の論者は、不貞行為が有責性の典型であることから,常にと言って差し支えないくらい有責行為としての不貞が持ち出される。本来離婚訴訟では,有責行為に焦点を合わせた醜い争いに勢力を費やすことにピリオドを打って,今後における両当事者の生活をいかに確保するかに積極的であるべきではないか。とも論じています。
 私は、この見解の論拠をもって不倫の慰謝料請求を配偶者の不倫相手に請求すること否定することはできないと思っています。
 

理由は、逆にこれは,配偶者自身の責任を希釈化,薄めてしまうことを意味するのではないかと考えているからです。

⑴ 不貞行為、は配偶者間の義務に違背する行為であることは論をまたない(民法770条1項1号を見れば明らか)
⑵ ⑴に関与しただけ、交際しただけの者は不法行為責任を負わない(慰謝料の負担を負わないと理解すると、もう一方の交際者である請求者の配偶者「だけ」が不法行為責任を負うことになる
⑶ ⑵であれば、通じ合って不貞行為をした者を請求の対象とできない事態が生じる。そうすると、実際にどんなことが生じたのか,⑵の当事者の責任内容を明らかにするには限界が生じてしまう

 上記が主な理由です。
 別の、見解は、以下のように述べています。

「不倫や他人の幸福に対する怒り,憎しみ,嫉妬が存在する。それは人の感情として起こりうるものであろうが,自然の性向を社会性でくるむ慎みに基づいてこそ正常・円滑に動く人間社会の論理として,法や裁判所が支援できる性質のものではない」として、性行為は当事者の自由な意思と合意があって初めて成り立つものであることを強調したうえで,第三者の介入があったとしても,配偶者が関係を止める意思を持てばいいのであって,そうしなかったのは本人の意思によるものであったとしかいいようがない,と述べています。

二宮周平「民法判例レビュー73『家族』」(判例タイムズ1060号109頁)

 私は、この見解も疑問です。それは、配偶者が止める意思を持つことができなかった=婚姻が破綻しているとは評価することはできないはずだからです。
また、この見解の論者は、「不貞の慰謝料を認め続けることは,一見すると婚姻や配偶者を保護するようであるが,実際には,本件のように『争いの醜い拡大に裁判所が手を貸す』ことであり,理念的には,婚姻における夫と妻との自由な意思による対等な結びつきを否定することになると思われる」とも述べています。
 たしかに、たしかに、第三者に慰謝料請求をしたのちの夫婦関係の冷え切りは、想像に難くないはずです。場合によっては、不倫当事者間が密に連絡を取り合うようになってしまい、夫婦関係が形骸化、破綻が進んだなんて事態は容易に想定されるでしょう。

 しかし、私は、それでも、この見解が言うところの『争いの醜い拡大に裁判所が手を貸す』というのは強く反論をしていきたいと考えている。不倫の被害者が醜い争いを作出したのではないからです。

 えてして多くの場合,『醜い争い』といわれるような反論・主張は不倫加害者側からされるものです。そうすると,請求者の請求を制限して,醜い争いを裁判所でさせるべきではない,というロジックは,慰謝料請求を制限させるロジックとして不十分ではないかと思う。

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