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5perfect films,5tags②新宿泥棒日記

昨日に引き続き、好きな映画BEST5の残り4つについて書いていきます~。

好きな映画②『新宿泥棒日記』大島渚

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この映画のオマージュをやりたくて演劇やってるところある。(2回目)
いやオマージュというのはちょっとちがうな。自分にとって、都市と物語の結合の必然性、つまり「その場所だから、そのストーリーになる」ということにこだわりはじめたきっかけになったのがこの映画です。

まあまずは座ってキャスト欄を見てくださいよ!(wiki参照)

岡ノ上鳥男 と名のる青年 - 横尾忠則
鈴木ウメ子 と呼ばれる女 - 横山リエ
紀伊國屋書店社長 田辺茂一氏 - 田辺茂一
性科学者 高橋鉄氏 - 高橋鉄
俳優 佐藤慶氏 - 佐藤慶
俳優 渡辺文雄氏 - 渡辺文雄
俳優 戸浦六宏氏 - 戸浦六宏
劇団状況劇場主宰者 唐十郎氏 - 唐十郎
劇団状況劇場の人たち - 麿赤兒、李礼仙、大久保鷹、不破万作、九頭登、藤原マキ、山中広介

この映画の面白いところは「本人役」がこれでもか!と多いところです。というか、主役の二人をのぞいてほぼ全員が「本人役」として登場してるんです。そしてそれがカメオ出演というような観客へのサービスとしておこなわれるているわけではない、というのが他の映画と大きく異なる点です。

たとえば横尾忠則は「岡ノ上鳥男役」として画面の中に登場しているんですが、他の人たちは自分自身として登場してるんですよね。
だから画面の中では、実際には存在しない「岡ノ上鳥男」が、実際に存在する「田辺茂一」と会話をする。新宿の居酒屋で車座になって、セックスとはなんなのかを「高橋鉄」と論じる。花園神社で「唐十郎」と演劇をする。

存在しないフィクションの人物が、実在する人物と出会い、関わり、会話し、時にはどつきあい、そして物語が劇的に展開してく。

「劇的に展開していく」という部分が、これまた他の映画とはちがうなという点で。たんたんとしたドキュメンタリー風じゃないんですよ。ものすごく劇的に、物語として、ストーリーがすすんでいくんです。フィクションとノンフィクションがいりまじり…なんて陳腐な言い表し方じゃとらえられないほどおもしろい。画面の中に、1968年の新宿が生きているんです。

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でもそれは、偶然起こったことじゃなくて。1968年の新宿を永遠に生き延びさせるために、大島渚は、あえて劇的な物語を取り入れているんですね。この作品に物語が、劇的なフィクションがなければ、画面の中の人々はただの「記録」として残ったでしょう。ほんの50年あとの人間であるわたしたちが見たら、「あ~むかしの人はこんなかんじだったのか~」と思うだけの、資料以上のなにものにもならなかったでしょう。

でもそこに、予測もつかない冒険譚を入れる。実際には起こりえないようなファンタジーを入れる。そうすることで観客は、岡ノ上鳥男と一緒に1968年の新宿で迷子になれるんです。1968年の新宿は、いつ見ても観客を迷子にさせる巨大な迷路都市になり、永遠に「生きる」ことになる。

新宿泥棒日記01

大きな嘘の前には小さな嘘は見えなくなる。どれぐらい大きな嘘を設定できるか。そして小さな嘘のなかにどれだけの真実を入れこませることができるか。それが劇作家としての腕の見せ所である、とわたしは思っています。そのお手本のような作品が『新宿泥棒日記』です。
都市と個人と演劇が見事に融合した大傑作です。

ちなみに、わたしが個人的に「同じタイプの映画だ!!!」と劇場で見て感動したのが『帰ってきたヒトラー』です。こちらの方が見やすいかもしれません。ぜひ見てみてください!

と映画レビューサイトの感想みたいな文面を打ってたら、もう1500字近く書いている?!?!と気がついたので、残りの3本はまた明日以降書きます!

皆さんよき週末を~☞written by 少女都市(葭本) @shoujo_toshi

追記:)映画とは関係ないんですがこのニュースを見てとても心が救われたので貼っておきます。


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