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アップデートが人生だ

写真には写らない美しさがある。
石川優実さんを初めて生で見たときの衝撃は、19歳の時にテレビ局のバイトで大島優子さんを初めて見たときの衝撃と似ていた。平面で見たときの5億倍可愛いのだ。
ちなみに大島優子さんは非常にやさしく、当時できたばかりのスカイツリーを指して「あ、スカイツリー」と声をかけてくれたのに、オタクのわたしはテンパりすぎて「ア……ア……」と声にならない声で答えることしかできなかった。
いやそれ全然答えられてないじゃん!と大変に反省し、かわいいものにかわいいと素直に伝える練習をその後7年続けたので、石川さんに初めてお会いした時は「こんにちは」より前に「すごくかわいいですね!!!」という感想が出てしまった。
2020年現在、そういう言動はあまりよろしくないと思うので、自分の意識をアップデートして直しつつある。

過去の私が今の私よりちょっと足りないところがあるのは当然なので、その差を反省して、アップデートする。これが続くのが人生なのではないかと思う。

だからね、恐れないで。今、あなたとわたしが直面している変化に。
今、変わる時が来たの。

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買い物に来たスーパーがすっからかんになっていて息を飲む。次の瞬間に「3月1日から大感謝祭セール!※明日はおやすみさせていただきます」という張り紙を見つけ、単純に棚卸がされていなかっただけかとほっとする。それでもトイレットペーパーや生理用品は店内に無くて。マスクに至っては最初から存在してないみたいだった。

自分が変化があるときにしかエッセイは書けない。
かつて自分がメモに残していた言葉のファクトについて考えながら、カートに食料品を入れてゆく。昨日弟が「こんな時だからおいしいものを食べる」とからすみのパスタをつくってくれた。それにならって、わたしも好物の佃煮と梅干を買う。ほんの小さなことだけど、自分に優しくできるようになった。わたしは変わった。

大きな変化が去年の10月にあった。その変化については詳しくは後日じっくり語りたい。ともあれ、大きな変化だった。あまりに大きい波に、最初はおぼれてしまいそうだった。年が明けて、ようやくその波が落ち着いた。だけど凪じゃない。毎日絶え間なく、わたしはよせては返し、変わりゆく。

文章論。
すぐれた文章というのは単純な言葉の連なりではない。文章を書くとは、蚕が糸を紡ぐがごとく、書き手が自分の体の中から≪新鮮な自分ではない別の存在≫を産み出す工程なのだ。そう思っている。産み出すためのエンジンが≪変化≫だと思っている。

自分が変化があるときにしかエッセイは書けない、とすると、今のわたしは変化しっぱなしだから、笑っちゃうぐらい文章が書けるのかな。わたしの唇から生まれる新しいもの。それを毎日インターネットに載せる。読んでくれる人がいる。時にはいいねをくれる人も。そのたびに、ほんの小さなことなのに、まるで世界に受け入れられてるみたいに安堵する。インターネットがあってよかったな。初めてネットに触れた6歳の時に感じたこと。21年経って同じように感じる。わたし一人じゃない。だから変化できる。

お会計を済ましたレジの裏に最新の雑誌が置いてあって、うきうきするような文字たちが躍っている。わたしは早く本屋に行きたいなあと思う。もう5日も行っていない。最後に見たとき、最寄りの本屋のショウウィンドウには手帳の季節が訪れていた。

大事が大事になる前、わたしは一日一度は本屋に行くようにしていた。
本屋はすごい。住む町がたとえ都会から離れていても、通りに人間がいなくても、今はやりのファッションや、多くの人が抱えている苦しみ、より良い未来のための問題提起など、多種多様な情報が一目で知れる。しかも手で触れられる。においもある。わたしは本屋が大好きだ。
そんな本屋が文房具屋に変わるのがこの季節だ。入ってすぐの一番目立つコーナーにずらりと手帳が並ぶ。昔は「どうして大人は手帳が好きなんだろう」と思っていた。でも今はなんとなくわかる。手帳は、予定という名の≪未来≫を記すものだから。まだ来ぬ≪未来≫のことを考えるとき、わたしはどこまでも自由に走れるような気がする。だから人は手帳を愛するのだ。
手帳の季節は自由の季節。わたしはこの季節が好きだ。
そう、好きなの。たとえなにがあったとしてもね。

「1stスプリング 2nd サマー」
心の中で呪文をつぶやく。パーソナルカラー診断という名の魔法の呪文。
一年前、パーソナルカラー診断を受けた。もはやパーソナルカラー診断の説明など野暮な気がするが、ものすごく簡単に言えば、顔色が良く見える色味の傾向を教えてくれる診断だ。わたしは明度の高い色味を身に着けると顔が明るくなり若々しく見える。
メイクや服装を日々あれやこれやといじりながら湧き上がるのは、「楽しい」という素直な感情だ。この感情を素直に受け取るまでに長く時間がかかってしまった。だけど、今は感じられる。それは大きな変化を経たからだ。その変化はあまりに大きい波で、最初はおぼれてしまいそうだった。だけどしがみついて、この波と共にわたしは変わると決めて、生きた。

今、わたしは毎日絶え間なくよせては返し、変わりゆく。だから大丈夫。必ず変わる。社会は変わる。わたしが変わったんだもの。あきらめない。信じる。自分自身を。そして社会を。黙らない。語る。泣いたり怒ったりする。誰に笑われても。わたしは信じる。変化を信じる。それがわたしの愛ってやつだから。生きるってことに対してのね。

それこそまさに、写真には写らない美しさなの。

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スーパーの前でずっしりと重くなった買い物袋を自転車のかごの上に乗せたら、弟がマンションの下まで迎えに来てくれることになった。よろけそうになりながら、サドルにまたがり、ペダルを踏む。自転車は走り出す。

わたしにだけ見える糸がある。君とわたしをつなぐ糸。今はかすなものだけれど、いつかたぐりよせて、抱きしめられるように。その先にいる君をぎゅっと。そのために書く。毎日一生懸命。だから待ってね、大好きな君。一人じゃないよ。だから変化できるんだよ。とりとめのないラブレターに一旦筆を置く。

それでは、今日もおやすみ。明日も元気に過ごしてね。

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