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自尊心を取り戻す恋愛について

あの夏。愛を知ったわたしは「人形」から「人間の女の子」になった

AMの連載に最新話が掲載された。
この文章は、「わたし」が26歳の夏、昔の恋人と東急東横線の中で再会するシーンから始まる。恋人は座席で眠っていて、「わたし」が隣にいることに気がつかない。その寝顔を見ながら「わたし」は回想する。彼と、彼の前に付き合った≪最初の男≫について……。

さて。こんな時だから恋と愛の話をしようと思っている。ということを一週間前に書いた。一週間経って、より深まったことがあるから書く。

恋愛とは自己解放である。という手垢がついた表現がある。上記の文章を書く中で、この言葉が正しいと思うようになった。ただ注意したいのは、すべての恋愛が自己解放になるとは限らない、ということだ。

女の子なんだからああしなさい、こうしなさい。男子はこういう女子が好き、嫌い。モテる女とは、モテない女とは。

というような、世の中にあふれた文言がある。真夜中に傷ついた心でGoogleで検索してたどりつくテキトーな恋愛キュレーションサイトの記事にありふれた文言。こういう呪いみたいな言葉は男性に対しても、もちろんある。男女問わずわたしたちは、昼は会社や学校で、夜はインターネットで、誰かの決めた基準に苦しめられてる。

「〇〇なんだから××しなさい」

冷静になれば馬鹿馬鹿しいことを真に受けて、わたしたちはわたしたちの行動や発言を制限する。でも、納得できないまま制限された心身は苦しくなって、我慢の限界が来たときにあふれだす。それはたいてい、自分を傷つけたり、身近な人を傷つけたりする形であらわれる。そして本来糾弾されるべき相手は責められることもなく、のうのうと生き続ける。
とても悲しいことだ。

心無い人間が築けた自尊心を取り戻し、抑圧から解き放たれるにはどうすればいいのか。
ものすごく簡単に無責任に言ってしまえば、それは自分の力でしか取り戻せないし、解き放たれない。孤独で遥かな道のりを一人歩く時間が必要になる。
でも、絶望するのはまだ早い。人生における偶然はすばらしくて、生きていると「力」をくれる相手と出会えることがある。自分の力で自尊心を取り戻し、解き放たれる、その力をくれる相手。そういった相手と恋愛をしたとき、はじめて、恋愛は自己解放になるのだと思う。

とは言ってもその人物は友人や両親、教師や生徒、同僚や上司の形をとってあらわれるかもしれない。必ずしも恋愛関係にならなくてもいいと言うことを覚えておいてほしい。
言いたいのは、あなたの助けになる人は、けして俺基準を押し付けて、救世主面してあなたを支配しようとする人間じゃない。
「〇〇なんだから××すれば解決するよ(救われるよ)」
と言って俺基準を押し付ける男は、解決という射精をして一人気持ちよくなりたいだけだ。あなたはそんなやつのオナニーに付き合う義理は無い。もちろん男性もね。
愛とは隷属ではない。愛とは対等の上ではじめて存在する。

孤独で遥かな道のりを一人歩く。重い足をあげて、一歩一歩踏み出す。それはあなたしかできない。腹を据えて歩き出せ。そして歩き続けるためにエネルギーをくれる人、その人を大切にしなさい。

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こんな時だから恋と愛の話をしようと思っている。それは今この国で噴き出している問題を見ないようにする……という意味ではなくて、きちんと見るようにするために、恋と愛の話をするのだ。歩き始めたあなたはいろんなことに我慢しない人間になってるはずだから。自分や大切な人を傷つけずに、本来糾弾されるべき人間に自分の権利を主張できるようになっているはずだから。

LOVEはすべてに通じる。
それじゃあ明日も元気で過ごしてね。おやすみ!

よしもとみおり@yoshimoto_miori

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