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にげこめ どうぶつの森

ここ数日、『あつまれ どうぶつの森』を1年4ヶ月ぶりに再開した。
この1年4ヶ月ぶりというのは、住人に「1年4ヶ月ぶり」と言われたことで認識した。
この様に「1年4ヶ月」と刻むような表記が、いかにもデータというか、ここはゲームの世界なんだよな、と現実に引き戻されるようで、子供の頃は虚しさを感じていた。
けれど、今回触れたいのはそこではない。

『あつまれ どうぶつの森』を再開したことには理由があった。
数日前、私は対人関係が原因で傷ついていた。
喧嘩をしたとか、悪口を言われていたとか、そういった内容ではない。
私が、本当にただ一方的に傷ついただけで、本人や周囲の人は一切気付いていないだろう。

気持ちが沈むあまり、「傷ついた」なんて表現をするほどに被害者意識が強まっていたが、ずっとこのような心持ちでいることは良くないと分かっている。
良くないというより、正しくないというか。
このまま「あ~傷ついた~」と、うじうじする時間が一生続かないことを知っている。数日もすればへっちゃらになる。
へっちゃらになった時に、うじうじしていた自分を思い返したとしよう。
あまりにも非生産的に落ち込むと、新たな自己嫌悪が生まれる。そうなると、また悲しみやら怒りやらでうじうじしてしまうのだ。
例えば、「嫌なことあったから、普段は買わないような高価なお菓子を食べて自分を励まそう!」と思ったとする。
けれど、お菓子を食べても気持ちが回復をしなかった場合、次の手立てが無くなり、無駄なカロリーを摂取しただけ。衝動買いでの自己嫌悪も加わるので最悪だ。
落ち込みの再発・増殖を防止するには、落ち込みから回復までの期間を逆算し、適切な心のケアを選ぶことが大切だ。
私は今回、PCで作業をしながら、スペースで壁打ち雑談をすることにした。
お風呂に入ったり、散歩へ出かけたりというのも有効的な手段だが、考え事をする余裕が生まれそうなことは避けたかった。
作業6:雑談4くらいの比率で脳内のタスクを割いた。
一通り落ち込みの概要を話し終えた頃、フォロワーさんがスピーカー申請をしてくれたので、1時間ほど会話をした。
自分にとって第三者に話を聞いてもらえることは一番のデトックスになるが、わざわざ人を呼び出して相談したいと思うほど答えを求めてはいないし(そもそも答えがない内容なので)、身近な人に聞かせるには一方的で、個人的な内容のため、今回は憚られた。
スペースは、一人で愚痴を吐き出すこともできるし、そういった愚痴を聞いた上で会話をしようと、自らの意思で参加をしてくれるので、「こんな話を聞かされても相手は困るだろうな」といった杞憂をしなくて済む。

この日はスペースのおかげで落ち込みすぎずにいられたが、後日落ち込みがフラッシュバックしてきた。
私は同棲をしているので、彼を頼ることもできる。
けれど、今回の落ち込みには波があることが分かったので、その都度、彼に話を聞いてもらうのは申し訳ないと思って止めた。
これも、へっちゃらになった時の予防線だ。

そこで思いついたのがゲームだった。
ただし、パズルゲームでは考え事ができてしまう。
スマブラも1つ1つの試合が短いので、途切れることなくタスクが続くゲームが良さそう。
…と考えた末、どうぶつの森をプレイすることにした。

雪の結晶を網で捕らえ、雪だるまを作り、真冬に素潜り。
フラッシュバックしかけた場合は釣りをして、ジョイコンの振動に全神経を集中させる。
チョウザメを3日連続で釣り上げたが、冬が旬なのだろうか。
そんなことを考えている内に、住人からシュラフをもらった。シュラフとはなんだっけ?スマホで検索してみよう。
いいぞ、いいぞ。落ち込みから遠ざかっていくぞ。
ゲームは現実逃避の最適解だと思った。そう思った瞬間に、住人から「1年4ヶ月ぶりかしら?」なんて、現実を突きつけられたのだけれど。
でも、それだけ会えなかったことが寂しかったのかも知れない…。そう思うと、相手がデータだとしても、なんだかいじらしい。
私はあと数日もすれば、また島をしばらく離れることになると思うけれど、みんな指折り数えて再会を待っていてくれよ。

落ち込んだ際の回復手段は選択肢が多ければ多いほど良いなと思った。
また別の機会で落ち込んだ時は何をしよう。今度リストでも作ってみようかな。


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