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#99 Vielen Dank, Deutschland. その1

こんばんは。
今はドイツ時間夜。
ドイツで過ごす最後の夜です。
今日はチャチャっと飲んで、食べて、寝て。
明日は朝早いからちゃんと起きて、、、
って予定でして。
狙ったわけじゃないけど、このnoteももうすぐ100。
99はドイツありがとう!で100は日本でも頑張るぞ!みたいに飛行機の中で書こうかと思ってたんですが、、、
落ち着かなくてねれないから気持ちをそのままに、日記っぽく書いてきます。

・俺の夢の国、ドイツ🇩🇪
ここに来る前と後では、ドイツに対しての印象は変わった。
来る前はここは完璧で、理想的な夢の国だと思っていた。
日本でのサッカー育成現場では様々な問題がある。

未だに暴言暴力があったり、選手の育成について考えない結果至上主義だったり、リーグ戦の配備だったり、グラウンドなどの環境だったり、クレーマー気質な親だったり、

「ああ、ドイツは完璧なのになぁ。」
と、思っていたものだ。
いったことがないのに、ドイツのサッカー環境に大きな憧れを抱いた。
「きっと、あそこには俺の知りたいサッカーの正解がある。俺の理想のサッカー現場が広がっている。」

「よし、じゃあ行ってみよう!そして完璧なサッカー指導を知ろう!」
そう思い立ち、少しのリスクとお金、時間を投じて、去年の夏にドイツにきた。

そこには、想像通りの最高のグラウンド、毎週繰り広げられるリーグ戦、素晴らしいコーチ達。
最高の環境だったと思う。
ここにきて、学べたことはたくさんあるし、目標としたい人達にもたくさん出会えた。
サッカーの環境だけではなく、多くの人らのサッカーへの理解度も進んでいた。それは育成年代の選手も含めてだ。
だからここで基礎について学べた。自分の指導者としての土台を作れた。

しかし、サッカー大国ドイツでのサッカー育成現現場は、素晴らしい数々の取り組みで我々が見習うことはたくさんあるが、「完璧」ではなかった。
日本と同じように、選手育成よりも結果に重きをおきすぎてしまう人らや、子どもらのサッカーに熱が入りすぎる親もいて、様々な問題はある。

サッカー以外のことについてもそうだ。
詳しくは知らんが、様々な問題がドイツの社会にもあった。

最初のノートにも書いたが、サッカーとは?の正解を知るためにドイツに来たのに、ここにはサッカーの正解はなかった。
逆に、知れば知るほど「サッカーってなんだよ?」とわからなくなった時期もある。

ドイツのサッカーから
「楽して正解を求めようとするんじゃねぇよ。考えろ。今の状況で、どうすれば最善かを考え続けろ。そして動け。」と学んだ。

前述したようにドイツにも問題はある。
しかし僕が目標としたい、こうなりたい、こんなチームにしたいと思った人らはみな、立ち止まらずに「どうする?どう解決する?」と考え、即行動をしていた。
考えるための準備で知識も蓄えていた。
失敗を恐れず、挑戦していた。
それを子どもらがみて、彼らも挑戦していた。

そうやって、問題があることは悪いことじゃなくて、すこしでも良くするためには、解決するためにはどうするか?と行動し続ける大切さを学んだ。

求めたサッカーの正解は、全くわからん。
そもそも正解があるのかもわからん。
というか、多分正解は時代とか、チーム状況とかで常に変わり続けている。

考え、行動する力は手に入れた。
そして、僕のサッカー感の基礎となる知識や指導者としての心構え、立ち振る舞いをここドイツで学べて本当によかったと思う。

・サッカー以外のこと。
日本から出て、色んなことを知れた。
1つの大きな経験は人種差別だろう。
ものすごい自分に不利益が生じる差別はないけど、
「ニーハオ」とバカにされたは結構あったし、物乞いを断ったら「チン・チャン・チョン!」(アジア人に対する差別的、侮辱的な言い方)と言われたことも覚えている。

なんか、これは、その。
悲しいというか、モヤモヤするというか、呆れるというか、腹立つというか、、、
色んな負の感情がぐわっと出てくる。

される前までは、別に「ニーハオ」と言われるだけなんて、なんとも思わんやろ。と思っていたが、まぁこれが腹が立つ。

道で立ち話してたら、たまたま横を通りかかったやつらが馬鹿にするように、僕の前に顔を出して、ニヤニヤしながら、「ニーハオ」と言って逃げるのように立ち去っていくのだ。

僕が日本人だとわかると、「こんにちは!」「ありがとう!」と好意的に言ってくれる人がたまにいるが、それとは全く違う。あいつらは完全にバカにして言ってるのが毎回わかる。

「だからなんや。どーゆー意味やねん。俺はどうすりゃええねん。ぶん殴ってやろうか?」
と思うが、トラブルになるのも嫌だし、毎回我慢した。

されて初めてこの差別的発言の問題の大きさがわかる。
多分一生無くならない問題なのだとも思う。
されたからこそ、どんな扱いを受けると嫌なのかがわかった。
それは良い経験になったと思う。
自分は絶対しないように。
教え子達が無意識にしているならダメなことだと教えられるように。

しかし今まで話した差別くそ野郎の数より、日本人の僕と温かく接してくれた人との出会いの方がものすごく多い。
逆に日本に興味を持ってくれている人たちもたくさんいて、「俺、日本が大好きだぜ!」といい、めちゃくちゃイカつい入れ墨を入れてる人に3人あったこともある。

基本的に無愛想な人が多めなドイツ人だが、困っていて、下手くそなドイツ語で助けを求めると、快く助けてくれる人ばかりだった。

サッカーでの現場でも、ホッホドルフのU19の選手らは皆受け入れてくれ、一緒にやったサッカーは最高だったし、U13の選手らに対して、ヘタなドイツ語と指導で行ったトレーニングに真剣に取り組んでくれた。

同居人さんには、助けてもらいまくった。この人は、本当にほぼ毎日何かしらしてくれてた。65歳のドイツ人。
色んな場所にしょっちゅう連れてってくれたし、自転車がパンクした時は迎えに来てくれたし、昼ごはんは毎日作ってくれた。
何かしら僕がやらかして迷惑かけても「Kein Problem!!」と笑顔で毎回言ってくれた。
この人の性格なのだろう。めちゃくちゃ世話焼きだ。甘えまくった。
今日もクラブでみんなでブンデスリーガ最終節をみていると、1人だけ空いたグラスを下げたり、足が不自由な人の送り迎えをしたり。
ああ、こんなじじいになりてーな。と何度も思わされた。
最後に飲もうぜ!とさっきまでたくさんビールとワインを一緒に飲んだ。

他にも色んな、たくさんの親切な人達に助けられて、ここまで楽しくドイツ生活を送れた。

初めて住む国、初めて使う言語。色んな初めてで、1人では困難なことばかりだった。
まるで赤ちゃんに戻ったようだった。

だからこそ、ドイツで出会った人たちの助けや親切に大きな感謝ができた。
そしてこれまで日本では当たり前だと思っていたことは当たり前ではない。と気づくこともできた。

ドイツは僕にとって夢の国から、すこーーーしだけ第二の故郷のようになった感覚だった。
問題があったり、ムカつくことも少しあるけど、なんやかんや良い場所だなぁと思わされる。

ここには書ききれない程のことがドイツではあったが、「来て良かった。楽しかった。」と思わしてくれたドイツに大きな感謝を!
「Vielen Dank, Deutschland.」

そして、また戻ってくるよ。
今度は1人じゃなくて、選手を連れて!

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