見出し画像

『すばらしき世界』感想|「怒り」×「優しさ」で見える世界

『すばらしき世界』

タイトルだけ見ると内容の想像がつかないだろう。
何か世界を肯定する作品なのだろうか、と感じると思う。

では作品の予告はどうだろうか。

何かサスペンス的な展開を予測させるようなものになっている。

ただ実際はそんなことはない。
生きづらい男(三上)が、生きづらいまま少し希望を見つける、そんな作品だ。


行きづらいってどういうことか。それは「居場所がない」ということだ。
今の社会には、人生のほとんどを刑務所で過ごしてきた男が生きる場所がなかなか見つからない。そしてその苦しさは「怒り」に変換されていく。

日々仕事をしていて、生活をしていて、そういった「怒り」を感じることはないだろうか。

『なぜこの人はこんなに些細なことで怒っているのだろう』
『なぜ関係ないことなのに、ネット上で毒ばかり吐くのだろう』

それは怒りの対象に強い感情があるわけではない。
生きづらさが「怒り」に変わり、それが他の対象に向いているだけ。私はそう思う。


「そんな冷たい社会を変えよう!!」
理想はわかるが、大きな話で無理なことだ。

ではどうすればいいのか。


『すばらしき世界』で提示されている1つの解は「優しさ」だ。

冒頭、三上が希望を見つけたと書いた。
その希望とは「自分に向き合ってくれる人の優しさにふれ、社会との関わり方を見つけることができたこと」だ。

ただここでの「優しさ」は、「ご飯を作りすぎてしまったから差し入れる」といった生易しいものではない。「向き合ってくれる人」と書いたように、真剣に相手に向き合った上での「優しさ」だ。

だから時には意見もぶつけ合う、相手の考えも否定するし、叱りもする。アンタッチャブルな領域(作中で言えば三上の出生について)にも触れる。
ただしそれは相手に真剣に向き合っているからこその姿勢であり、結果的に三上の考えを変えていく、三上が生きやすくなるという点で大きな意味での「優しさ」だと思う。


怒りは、同じエネルギー量の暴力で抑え込むのではさらに増幅してしまう。

怒り×怒りを抑えるための怒り=怒りの2乗

怒りは、優しさによって消えていくのだと思う。

怒り×優しさ=怒りのない”すばらしき世界”


なかなか社会は変えられない。
身近な人、自分と普段接している人に対して「優しさ」を向けていくことで、少しずつ個人の総体としての社会が変わっていくのではないだろうか。


「いや、そんな社会的な話はつまらん」
と言うかもしれないけど、まあとりあえず観てほしい。

小難しいことは考えなくとも、役所広司の演技を観るだけでも価値がある。
力強さとか弱さ、暴力性と優しさ、それら矛盾する性質の共存を表現している。

本作の監督、西川美和監督の今までの作品は、どちらかと言うとドキュメンタリー調であまり映画的な表現が目立たなかったのだけれど、今回の作品はいくつかそういったシーンがみられた。

役所広司って言ってしまえば「決して美しくはないおじさん」なのだけど、
いくつかのシーンで「なぜこの人のこの表情に惹かれるのだろう」と感じるシーンがある。それだけで圧倒される。


ネット上の言論、怒りに飽き飽きしていたら、映画館に足を運んでみるといい。少しだけ、見える世界が広くなるから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?