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ポップで明るい復讐劇のアンチテーゼ|『プロミシング・ヤング・ウーマン』

「モノゴトを良い方に考えること」、すなわちポジティブであることは良いことだと思うだろうか。

普通に考えれば、ネガティブであるよりはポジティブな方が良いだろう。
「モノゴトを悪い方に考える」よりは良い方に考えた方が気持ちが良いに決まっている。

ただそれはそう考えている”当人にとって”であることを忘れてはならない。
「モノゴトを良い方に考えること」にカッコ書きを付け足すのであれば”当人にとって都合が良い”であり、ときには、そのポジティブさが人を傷つけることもある。


例えば過去に誰かを傷つける出来事があったとしよう。
ポジティブマインドを持つ人はこう考えるかもしれない。
「あれば大したことではない。相手も気にしていないだろう。」

その後、ふとしたきっかけでその出来事を思い出すかもしれない。
「そんなこともあったな。時間もたったし相手もそんなことがあったことを忘れて楽しく生活しているだろう。」
と前向きに考える。そしてまた記憶の奥の奥にしまわれてしまう。

一方で相手は「忘れて楽しく暮らしているのだろうか」。
誰にも相談できず、ただ自分だけでは消化しきれず、ずっと悩みを抱えたままかもしれない。楽しく暮らしているどころの話ではない。闇の世界から抜け出せない可能性だってある。


また、相手がそういう状態だということを知った加害者側の人は得意のポジティブマインドを発揮する。
「あんな大したことで落ち込むはずないよ〜HAHAHA」
「え、他に理由がない?そうかな〜だとしてもあの時は子どもだったし今は違うよ〜HAHA」
ごまかしが効かなくなってくると、だんだん語気が強くなってくる。
「自分は”イイヒト”だよね?そうだよね?!」
「そんなはずはない!俺は悪くない!!」
エスカレートすると、ポジティブであるために、自分が作った世界を実現するため現実をねじまげるために強硬策に出ることもある。

ポジティブであることは、必ずしもいいことではない。


また男性だったら、プロミシング(将来有望)な男性だったらそれが許される。
「若気の至りってやつだよ〜HAHA」
「そんなことで彼の将来を台無しにするわけにはいかないからね〜」

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前置きが長くなったが、そんな現実をバッサリ切るのが『プロミシング・ヤング・ウーマン(Promising Young Woman)』である。
本作はキャリー・マリガン演じるキャシー・トーマスの復習劇で、2021年アカデミー賞の脚本賞受賞だ。

キャシーは医学部を中退しカフェで働く実家住まいの女性。夜な夜なクラブやバーにでかけ酔ったふりをし、わざと彼女を男性を家に連れ込ませる。そして制裁を下す、という生活を送っている。
そんな折、彼女がそういう生活を送るようになったきっかけを作った大学時代の同級生に会い、復讐劇が幕を開ける。

というストーリーだ。

本作が素晴らしく斬新な点は3点あるように思う。
3つの「(いつの間にか)こういうことになっている」をばっさり切っている。

1.復讐劇は暗くない

ストーリーだけ読むとどうしても暗いストーリーで、映像としてもダークな雰囲気、黒やグレー、あるいは赤といった色が画面の多くを占める映像になりそうに思える。本作は全くそんなことはない。

パリス・ヒルトンとブリトニー・スピアーズといったポップで明るい曲が劇中歌としてながれる。ホラーやサスペンス作品で流れるような、低音の下から迫ってくるような効果音ではない。
またビジュアルもポップだ。キャシーも着る衣装はピンクだったり水色だったり、賑やかな色、パステルカラーばかり。

テーマは重たいものだと言えるが、そう感じさせない。
「被害者は泣き寝入り、加害者はポジティブマインドで楽しく明るい生活」
という状況へのアンチテーゼのように思える作品になっている。

2.復讐者は普通の人

「復讐者」という立ち位置で出てくるキャラクターとしては、
「スーパーマン/ウーマン=ヒーロー」か「狂気の人」のどちらかのパターンが多い。前者は悪役をスパスパッとやっつけてしまう爽快な人物として、後者は怒り苦しみが振り切って普通の人では取らない行動を取る狂人として出てくる。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』のキャシーはどちらでもない。
もちろん復習に踏み切るという点では「狂気の人」の側面を持つが、とある出来事をきっかけに復習をやめてしまうのだ(もちろんそれで終わりはしないが)。これにはびっくりした。え?落ち着いちゃうの?、と。
あとから考えるとそう感じてしまうのは、自分の中で「復讐者」=「スーパーマン/ウーマン=ヒーロー」「狂気の人」であり、どこか遠い世界の話だったと認識していたからだろう。

キャシーを普通の人として描くことで、作品のテーマに対して「現実性」を持たせているのだろう。

3.加害者は”加害者”だけではない

加害者とは「実際に手を動かした」人だけだろうか。
法律で言えばそうなるのかもしれない。「見過増しました」「一緒に笑ってました」罪なんてものはないから。

だが現実はそうではない。「手を動かした」人が行動をするまでに「そうさせる雰囲気を作った人」や、「コトが起きたときに盛り上げた/一緒に笑っていた」人もいる。また被害者が苦しんでいるのを知っているのに「見ないふりをした/知らないふりをした(そして放置した)」人だっている。

どこからどこまでが加害者なのかを線引をするのは難しいけれど、本作において「実際にコトを起こす」ことが線ではないことは明確に提示されている。キャシーは断罪していく。男性に限らず女性まで。

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復讐劇は暗くなりがち、かつ本作のようなテーマは重たくなりがちだが、ここまで上げた特徴によって見やすい作品になっている。
かといって軽くはない、しっかり「観た後に考えざるを得ない、自分の過去と現在の行動を見直さなければならないと思わせる」ものになっている。

「夏休み映画として」とは言いにくいが、「日本のオリンピックを巡るチープな批判合戦にはうんざり…」という方にはぴったりのハイクオリティな批評性を持った映画だと思う。

Photo by Paulius Dragunas on Unsplash

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