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人、関係性、運命、すべてが進化する『お泊り会』

ゴールデンウィーク最終の土日、お泊り会を開催させていだきました♪

内容は
・山登り🗻
・カレー作り🍛
・おつとめ(祈りの時間)
・お泊り🛌
・町内清掃✨
・流しそうめん
・手作り貯金箱

子ども総勢16名、スタッフ除く大人が6名の参加で、賑やかすぎるくらい賑やかに2日間を無事に過ごすことができました♪

■進化したお泊り会

みんなでカレー作り🍛

今回は今までと違ったところがたくさんありました。

第一は参加した子のママ・パパが我が事として手伝いにきてくれたこと。つまり天理教で言う「助け合い」が自然に行われたんです。

過去開催では、教会側もご近所ママ・パパもお互い遠慮しあってた感じから一歩先へ進んで、お互い頼り合える間柄に♥

「手伝いたいから遠慮せず言って」

その声に「お願いします🙏ありがとう」と素直に応えるだけで、どれだけ身も心も楽に安心して居られるか。

『助け合いってなんて素晴らしいんだろう』

会長なのに今更ながらに心底、助け合いの善さを感じました。


■進化させた子どもたち

朝の御供えを神棚に届けてくれる子供たち

ご近所パパ「さぁ、おつとめ行こう、神殿行こうかぁ」

ご近所ママ「会長さん、こんな機会だから、おつとめ見学してもいい?」

いったいぜんたい、おつとめ(祈り)への理解を親に促したのは誰だろう❓

会長じゃありません。これまで日参(※お祈りに毎日のように通うこと)し続けてくれた子どもたちです。

彼らの「楽しいからおつとめ行く」という三才心が、親の心に鏡写しになったんでしょう。

当初、古株信者さんには

「おつとめに何も分からん子供出さすんか?子供の興味は一瞬や。大きくなったら蜘蛛の子を散らすよう離れていくだけや。意味あるんか?」


意味があるかどうかは正直わからなかったし、確かに時にはハチャメチャなおつとめだけど、おやさま(教祖)ならきっと止めない。

子どもたちに上段を開放して、おつとめに出てもらい続けてよかったと、今は心から思います。

彼らの毎日があったからこそ、このお泊り会で大人の初参拝者+5名、初来会者+2名となった。これは間違いないことなんですから😉


■子どもたちも進化

お泊り会2日目の朝、早起きした子たちを連れて町内の草引きに出掛けました。

たっくさん集め終わった後に、参加者の女の子(信者子弟ではなくご近所さん)が、私の横で嬉しそうにつぶやきました。

「親神様喜んでくれたかなぁ???

その子は頼まれもしないのにみんなの靴を揃えたり、参拝の時には

「神様、今日も体を使わせていただきありがとうございます🙇‍♂」

とも祈っていました。

教会に関わる中で、自然と神様の存在が大きくなり、神様が喜ばれることや、体がかしもの・かりものであることが染み渡ってきているのかも知れません。


■体験学習スタイルに進化

流しそうめんの道具を洗って準備する子たち

今までのお泊り会は、教会スタッフがすべてお膳立てして提供する、レストランスタイルだったように思います。

レストランで食べると確かに美味しいし感動します。でもその時だけ、食べてる時だけの感動、「与えられた感動」でしかない。

それはまるで【おたすけされる側】の立ち位置。

しかし今回は(狙った訳ではないのですが…)「キャンプスタイル」つまり『体験学習型』のお泊り会になりました。

会長がお泊り会の内容を考えているとき、たった1つ決めたていたことがあります。それは、

『準備もなんでも全部、子供たちと一緒にしよう』

一緒に山に登り

一緒にカレーを作り

一緒におつとめして

一緒に布団を敷く


一緒に寝て

一緒に起きて

一緒に布団片付けて

一緒に草引きする


一緒に朝ごはん作って

一緒に流しそうめんの道具出して、洗って、セッティングして、テストして、そうめん湯がいて食べる!

『体験すればその思い出やスキルは一生物』

彼らに子供が生まれたとき、生まれなくっても人生のどこかで『ぁ、あのとき近所の天理さんで流しそうめんしたな。よし、マネしてやってやるか♪』と思ってくれたらその瞬間、彼らはたすけられる側から『たすける側に立ち位置が変わる』

ご近所ママ「お泊り会って私は初めて聞いたけど、天理教の中ではポピュラーなの?」

会長「そうだねー。自分も子供の頃、教会の大人にしてもらって楽しかったから、その恩返しも込めてやってるんだよ

私がそうなったように、10年先、20年先のながーいながーい先を楽しんで参りましょう😂


■最後に

こんな素敵な活動ができるのも、過去にそして今に、教会を支えてくださる皆さんのお陰です。

教会で生まれた笑顔や勇みは、教会を支えてくださる皆さんに徳となって分配され、そしてそれぞれの運命がより善く変わるタネとなる。

ぜひこれからも教会を支えてください。

あなたが支えてくださった分、活動し笑顔を生んで参ります。

たすけられた者もたすけた者も共に救かっていく。

それが『教会』なんですから🏠


あなたのそのお金は、あなたが働き、培った、あなたの時間という名の『命』です。もしあなたの『命』を寄付したいと言われたら、私は覚悟して扱わなければならない。『決して無駄にはできない』