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遅かったんじゃない、間に合ったのだ。


わたしが鵤誠司という男を認識したのは、今から約13年前、彼がまだ福岡第一で高校生をしてた頃だ。

2011年の4月に行われたインターハイ福岡予選。その日は偶然友達が第一に通っており、クラスメイトに応援を頼まれたが一人で行くのは面倒だから、という理由だけで連れて行かれただけだった。
当時のわたしはバスケの試合を見たこともないし、ただスラムダンクが好きだっただけで、そもそも福岡第一が強いのか弱いのかさえ分かっていなかった。しかし友人から「大濠との試合は実質全国大会の決勝らしい。」などと吹き込まれ(これは実際ほとんど事実)そんなに言うのなら…とついていったのだ。

これがきっかけでこの友人が腰を抜かすほどバスケ観戦にのめり込んでしまった。

前置きは長くなったが、そういう経緯で“PG、鵤誠司”は認識していたのだ。
バスケ初心者ながらも「デカいしフィジカル強そうなのにゴール下じゃなくて司令塔やってんだ…この人がこのゲームを作ってるんだ…この人にはどういう風に見えてるんだろう…この人のプレー好きかも…」と感動したのを覚えている。初めて観たものを親と思うカルガモと同じ状態かもしれない。

その頃から鵤誠司さんのファンです!と言えれば親兄弟親戚を除いたらきっと最古参である。

そんなわけがない。

紆余曲折ありバスケにのめり込んだわたしは当時のJBLのちにNBLとなる試合をとにかく見漁った。
アイシン、トヨタ、日立、東芝………とにかく強いチームの試合を片っ端から観た。どのチームも魅力的で、それぞれがそれぞれの良さがある中、どこかのチームを選ぶことができず一つのチームの熱狂的なファンになることはなかった。バスケットの試合を観ることが楽しかったし試合に重きを置いていたので選手個人のことを詳しく調べてその人の考え方に触れたいなどとは思わなかった。
こうしてすっかり鵤誠司さんの動向など頭から抜け、たまに月バスなどで名前を見ると「おっ?鵤誠司だ〜」などと勝手に親近感が湧いていた。


次に鵤誠司さんを認識するのは時は10年ほどすっ飛ばしてBリーグ 21-22シーズンのCS ファイナルでのことだ。

高校を卒業後、専門学校へと進み、学生時代を謳歌しているタイミングでBリーグが発足した。
私生活も忙しくなり、特に贔屓にしているチームもないわたしはここでバスケを追いかけるのから遠ざかった。
社会人になった頃にはもうバスケを見ることもめっきり減ってしまった。

月日が経ちだいぶ大人になってしまった頃、(どうやらスラムダンクが映画化するらしい)という情報を耳にした。これは観にいくしかない!と肩をぶん回したが時期未定、何も情報が無い。仕方がないのでBリーグ発足後のバスケ界がどうなったのか興味本位でバスケットライブで観戦をしはじめた。

それはわたしが知ってる頃のバスケではなかった。
ここ数年でどれだけお金と時間と労力が注ぎ込まれていて進化してきたのか、バスケ界を盛り上げようとしているかがチームのホームページやSNSはもちろん、試合を観ただけで伝わってきて、とてつもなく感動したのを覚えている。

そしてとあるチームと出会ってしまった。
わたしが今応援している“宇都宮ブレックス”である。
きっかけは、北海道でのオールスターゲームのスピンオフを見たことだ。ロン毛で顔がいいよく喋る男がいる、誰だお前?と思い検索をかけたのだ。
ブレックスのファンはもう分かったかもしれないが、渡邉裕規だ。
そこからブレックスのYouTubeやSNSを見ていくにつれてチームの雰囲気やDFから流れを変える戦術、泥臭いプレー…などブレックスの魅力に取り憑かれた。

そしてどうやらこの宇都宮ブレックスが今年のCS ファイナルに進むらしい。
これは見るしか無い。絶対に見るべきだ。
急いでチケットを探すも勿論無く、バスケットライブであの試合を観戦することになった。 


そこでブレックスのスタメンに名を連ねたのが鵤誠司さんだ。
スターティング発表時、あの頃よりもだいぶ厳つく、髭なんか生やして立派に成長した姿が映った瞬間、

「鵤誠司いんじゃん!?!?!?!?!?」

とテレビの前で叫んだのを今でも覚えている。


だがしかしここでもわたしは鵤誠司さんのファンになるチャンスを逃した。
宇都宮ブレックスというチーム自体がとにかく好きすぎて、誰か一人を選ぶなんて出来なかったからだ。
ファイナルの試合を観た人はよくわかると思うが、誰を見ても魅力的だった。エース比江島慎の活躍が優勝に貢献したのは事実ではあるがそれだけじゃなく、紛れもなく全員で掴み取った日本一だった。
みんな好き。鵤誠司さんもナベさんも遠藤さんも比江島もお兄も田臥さんも修平さんも海も荒谷くんもジョシュもフォトゥもフィーラーも、みんなみんな大好き!宇都宮ブレックスが好き!になってしまった。

そこから誰かを選ぶことなくブレックスのファンとして1シーズン過ごした。
そのシーズンの結果はご存知の通りである。

そして23-24シーズン。THE FIRST SLAM DUNKの影響、W杯での快進撃のおかげで、わたしが昔ハマった頃とは比べ物にならないくらいバスケ熱は高まっていた。
個人的にも昨シーズン、ラストゲームは良かったにしろチームとしてはじめてCSを逃してしまい、悔しい思いをした。その分、強いブレックスが見たくて昨シーズンよりも応援に熱が入っていた。

わたしの個人的ブレックス開幕戦は10/21、22の第3節、広島ドラゴンフライズとのアウェーゲームだった。
鵤誠司さんはgame2にて自身にとってプロキャリアをスタートさせた大切な場所でフェアプレーをした選手に贈られる“おりづる賞”を貰った。
小さいおりづるを抱えて小恥ずかしそうにニコニコしてちょっと小走りでベンチに戻ってくる姿を見た時に、なぜか「この人を応援したい」と思った。

彼にとって古巣で賞を貰うことの価値がどれだけのものか、いつも冷静にチームを纏める司令塔で険しい顔をしていることが多いのにあんなに嬉しそうな顔をして戻った彼を見て伝わってきたからだろう。
そこから改めて彼のプレー、会見、インタビュー、ベンチでの様子、メディアなどを見てみると、自己表現が得意ではない彼が何を考えてバスケットと向き合っているのか垣間見えた。

20-21シーズンのファイナル、千葉ジェッツにgame3で敗れ、惜しくも準優勝となった直後のBTALKSでのインタビューで彼は「こういった経験を積める選手は少ないですしこういった経験をできたこと、これからの人生そしてバスケット選手としていい経験を積めたな、と今は思います。」と心底悔しそうな顔をして時折言葉を詰まらせながら語った。

自身のことをめんどくさがり屋で淡白だと表現し、冷静沈着で負けても飄々としているように見える彼の“勝つこと”への執着心が滲み出ていた。
同じインタビューで語った「勝ったら正義じゃないですか。勝つためならなんでもします。勝つためのファールだってするし。」の言葉でこの人のことを応援し続けたい、彼が勝つことをこれだけ望むならそれを後押ししたいと思った。

誰よりも勝ちに貪欲なところ、自分の役割を理解してチームのために次起こることを予測してゲームを組み立てていくところ、あくまで自分は繋ぎ役だと言い切るところ、天邪鬼なところ、義理堅いところ……13年越しに知る彼のすべてが魅力的だった。

13年前はここまで鵤誠司という男を好きになるとは想像もできなかった。
でもあの日彼が出ていた試合を観ることがなかったらきっと今もバスケットを観ることさえなかっただろう。


あの時好きになっていれば、あの時から応援できていたら、という後悔が全くないわけではない。
優勝した時の姿だって、きっと違うように映っただろう。
それでも、今好きになれてよかった、と思う。
彼がいつまで現役を続けるかはわからないから。引退した後彼がバスケットに携わるかどうかもわからないから。
これから先の鵤誠司さんのプレーを観ることができるだけでいい。そして欲を言えばまた日本一になった姿を見たい。今度は鵤誠司さんのファンとして、あの金吹雪の舞う中で笑っている彼の姿を見て泣きたい。

いつか彼に思いを伝えることができたら、伝えたいと思う。
13年前あなたがバスケットをしている姿を見てバスケットを好きになりました、本当にありがとう、と。



シーズンの終わりが一つ一つ近づいている中、永遠なんかじゃない彼のバスケ人生を応援できて、わたしは幸せだ。


2024.4/11

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