自分の奥に眠るもの
「ヘイトスピーチすることは自由なので別にいいのですが、正しい場所で主張を届けるべき人たちにて向けてしてほしいなと思います!」
これはFBで自分がコメントした言葉。
先日、朝鮮大学校の前で行われたヘイトスピーチが起きたときのネット記事が何気なく開いたFBのタイムラインに流れてきた。それを流し読みする。
関係ない人や朝鮮大学校とか学生に向けてじゃなくてやるなら違う場所で主張して欲しい。なんとなくそう思ったままコメントをした。
投稿した方からコメントを貰い、「自分の発言って間違ってる!!!」とはっとした。
これまでいろんな国をまわって世界中に友達が出来た。アフリカにも留学に行った。障がい者支援にも携わってきた。
自分はヒトを見た目や国籍で判断しない人間だと信じていた。
自分は広い世界を観てきて平等に考えれる人間だと思い込んでいた。
もちろんヘイトスピーチで国旗が燃やされたりすごい目つきで罵詈雑言を並べる映像を見たとき、良くない光景だな~ってニュースを見ていた気がする。けど、どこか自分には関係ない世界で、少なくとも自分の周りにはない世界だと思い込んでいたのかもしれない。
最初の言葉に隠されていたのはたぶんこうだ。
「ヘイトスピーチすることは自由なので別に(どうでも)いいのですが、正しい場所(自分の周りじゃなく)で主張を届けるべき人(自分には関係ない人)たちにて向けてしてほしいなと思います!」
差別しているつもりも、ヘイトスピーチを肯定しているつもりもないのに結果的に自分から出てきた言葉は、差別ともヘイトスピーチを肯定するともおれる発言だった。思考には濃度があって環境や出会ってきた人たちとか外的要因で1%~99%まで濃くなったり薄くなったりする。けどその人自身が根本的に持っている濃度は簡単には取り替えれないのかなあ。潜在的にある自分と違うことへの排他的思考や、知らないことへの拒絶反応はどれだけ学んでもどんだけ理解しようとしても無くならないのかな。自分の奥底の 影を受け入れるのは怖い。ずっとしまっておきたい。けど前向きに向き合いたいと思う。
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