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【引越しツバキ 9】

『あの頃に戻りたい。』
安月給でも仕事にやりがいがあって、その疲れは家で笑ってかき消した、あの新婚の3年間のような。
その想いは口には出さずとも、2人の共通点だった。

2人の乾いた夜は明け、俯いたままの虚ろな朝をループする。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

こんな日々が続き、塵が積もって椿は体調を崩した。
医者には過敏性腸症候群と言われ「頑張りすぎて、ストレスをためないようにね。」と、添え物のような言葉をもらう。

回転性の目眩で歩く事に気を張り、胃の痛みと吐き気で体力を消費していた。
蓄積されたストレスには気付かず、とにかく仕事に支障がでてはいけないという一心で受診すれば「頑張りすぎ」と言われた…
椿は大黒柱だ。だから、頑張っている。

『なんの為に頑張っている?』
ふと、椿は自問した。
家庭を支えなくてならない、自分が頑張らなければ桂介との生活は成り立たない。

『桂介の為?』
桂介は傍から見れば、遊んでいるだけに見えるかもしれない。でも、誰にでも優しい良い人だ。

『椿にとっても桂介はそう見える?』
自分にとって桂介は、唯一の味方。
これだけは、変わらないはずなのに、不安が過ぎった。

それでも、椿は思い出に縋りながらも頑張る事を続けたのだ――

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

そんな椿を茜は心配していた。

職場では明るいのに、家では別人のようになる椿。
おしゃべりな椿が無口になる場所。
その場所に毎日帰って行く椿。

「それ大丈夫じゃないね?!」
椿の近況報告を聞くと、そう言った茜。
「ねぇ…茜だったら、こんな時どうする?」
椿は現状打破するにはどうすればいいのか、路頭に迷っていた。

体調を崩した事で感じたのは、苦労してまで桂介がゲームをする為に、自分は頑張って働かなければならいのかと…そう思うと、椿は自分が滑稽で笑いがこみ上げる。

口論が増えた事、ほとんど会話のない日常。
この日常の為に、椿は頑張っていた事になる。

「変わらない人は変わらないからなぁ…諦めるかもしれないけど。でもさ、このままだと…どっちかが倒れちゃうよ?」
そう話す茜に椿は、悩んだ末に脳裏をよぎった言葉を思い出していた。
「だよね…実は、離婚も考えてはいるんだ。」

現状を考えると、一緒にいて良い事の方が少ないのではないだろうか。
このままでは、お互いの為には何一つならないのではないだろうか。
そう思うと『離婚』という選択肢は、どこからともなく姿を現した。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

――『さよなら』の言い方が分からなくて、椿は考えた。
どんな風に切り出し、どんな風に言葉を並べればいいのか。
どんな言い回しが耳触りが良いのか。
どうすれば、聞き入れて貰えるのか………

それが分からなくて、とりあえず変わらぬ日常を過ごす椿。

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